第1440日目 〈創世記第30章3/3:〈ヤコブの工夫〉with『和漢朗詠集』刊行に寄す。〉 [創世記]

 創世記第30章3/3です。

 創30:37-43〈ヤコブの工夫〉
 ヤコブはポプラとアーモンドとプラタナスの若枝を手折り、表面が縞模様になるよう皮を剥いだ。それは家畜の水飲み場にある水槽へ沈められた。家畜が水を飲みにやって来ると、果たしてかれらはそこで交尾し、縞やぶちやまだらのある子が生まれた。
 次にヤコブは羊を二手に分けた。一方の群れをラバンの群れのなかの縞のものと全体に黒みがかった羊に向かわせた。それをしたのは自分の群れだけで、ラバンの群れにはしなかった。
 また、丈夫な羊が交尾する時期になると、ヤコブは件の枝をいつも水ぶねのなかへ入れておいた。すると、水を飲みにやって来た羊はそこで交尾して子が生まれた。それはヤコブのものとなった。が、弱い羊には件の枝を与えなかったので、それはラバンのものとなった。
 斯くしてヤコブは以前にも増して富み、たくさんの家畜や男女の奴隷、らくだやろばを所有した。

 ヤコブの母親譲りの才覚が発揮されたのが〈ヤコブの工夫〉です。
 自分の望みが伝えても叶わぬなら叶う状況を作ってしまおう、という発想の切り替えと、実現するためにはなにをすればいいのかを考えて実行する能力は、これまでお目に掛かることは殆どなかったように記憶します。
 そうして最後には相手の持ち駒を有効に、巧みに使って自分自身を勝利へ導く術は驚嘆せざるを得ません。かれの才覚はもちろん、困難な条件の下で最前、最良の結果を引き出す粘り強さと、流れを読むに敏な目端の鋭さなどを評価すべきでしょう。
 生涯を象牙の塔や教会にこもって過ごす方々にとっては――数多くの研究所や注釈書の類が表面を撫でて通り過ぎるだけの本挿話は、なるほど、さして興味を引かれず関心も持たれぬようなこぢんまりとしたものだけれど、わたくしはここに組織に組みこまれて生活する者たちが汲み取るべき<教え>を読む。げにすまじきは宮仕えなれど、げにすべきも宮仕えなのである。
 与えられた環境、条件、状況からどれだけ最良の結果を生み出すか? そのヒントが本挿話にはある。それは、朝起きたら会社に行き、上司同僚取引先に揉まれながら仕事して、退社したら帰って寝る(ときどき寄り道あり)、というありきたりな毎日を送っていなければ見出せぬものでもあるだろう。むろん、夜勤ならこのパターンは逆になる。言わずもがなだろうけれど、いうておく。
 大袈裟かもしれぬが、わたくしはここにカラヤンを見る。パウエルを見る。数多の無数の努力家たちを見る。



 『和漢朗詠集』が本屋の平台に置かれていた。懐かしい、と思うた。手にしたら意図したわけでないのに昔から好む作品が目の前に現れて、じわりと一滴の涙があふれた。◆

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