第1441日目 〈創世記第31章&第32章1/3:〈ヤコブの脱走〉、〈ラバンの追跡〉&〈ヤコブとラバンの契約〉withヴェールに隔てられた世界にいるあなたへの頌歌〉 [創世記]

 創世記第31章と第32章1/3です。

 創31:1-21〈ヤコブの脱走〉
 ヤコブは気附いていた。ラバンの息子たちが、ヤコブはお父さんの財産をすべて奪って自分の富を築いたのだ、と陰口していることを。義父ラバンの態度が以前の親しみあるもの信頼あるものとすっかり変わってしまったことを。
 或る日、ヤコブはレアとラケルを野原の羊の群れのところへ呼んだ。近頃あなたたちの父君と兄弟たちがわたしを快く思っていないことは知っているだろう。父君はわたしの約束を何度も違えた。しかし、わたしへ手を下すには至らなかった。わが父イサクの神がそれをさせなかったからだ。けれども、夢のなかに神は現れて、わたしにいった。あなたの故郷であるカナンへ帰りなさい、わたしはあなたと共にいる、と。お前はかつてベテルで記念碑を立てて油を注ぎ、誓願を立てたではないか。さあ、ここをあとにして故郷へ帰りなさい。そう神が夢のなかでわたしにいったのだ。
 それにレアとラケルが首肯した。「神様が父から取りあげられた財産は、確かに全部わたしたちと子供たちのものです。ですから、どうか今すぐ、神様があなたに告げられたとおりになさってください。」(創31:16)
 ――ラバンが羊の毛を刈るため出掛けていた或る日、ヤコブは妻と子供たち、パダン・アラムで得たすべての財産である家畜を伴い、父イサクのいる故郷カナンのベエル・シェバ目指して出発した。かれは自分が逃げ去ったことを悟られぬようラバンを欺いた。そのときラケルは父の家の守り神(テラフィム)の像を盗んだ。一行はユーフラテス川を渡って南西に向かい、ギレアドの山地へ差しかかった。カナンはもうすぐであった。

 創31:22-42〈ラバンの追跡〉
 3日目になってようやくラバンはヤコブの脱走に気附いた。一族を率いてかれはあとを追い、ギレアドの山地で追いついた。双方共にギレアドの山に天幕を張った。
 ラバンはヤコブに、なんということをしたのか、といった。なぜわたしを欺いてこっそり逃げていったのか。一言いってくれれば喜んで送り出してやったのに。わたしはお前を痛い目に遭わせることもできる。が、お前の神の言葉――「ヤコブを一切非難せぬよう、能く心に留めておきなさい。」(創31:24)――ゆえにそれはしない。故郷が懐かしく思うなら去っても構わぬ。しかしどうしてわたしの家の守り神の像を盗んだりしたのだ。
 ヤコブはラバンに、帰るといえばあなたがわたしの妻たちを奪い取るのではないかと恐れたのです、といった。もし、あなたの家の守り神の像をわたしたちのうちの誰かが盗んだなら、その者を許さずにはおきません。どうかわれらの前でお調べください。――ヤコブはこのとき、ラケルが盗んだことを知らなかった。
 ラバンはヤコブ一行の天幕をつぶさに調べた。家の守り神の象は見附からなかった。月経のせいで立つことができません、といったラケルの坐るらくだの鞍の下に隠されていたからである。
 ヤコブがラバンを責めた。あなたの家のものが一つでも出て来たならそれをここに出して、われらを裁いてもらおうではないか、と。続けて曰く、――
 「この二十年間というもの、わたしはあなたの家で過ごしましたが、そのうち十四年はあなたの二人の娘のため、六年はあなたの家畜の群れのために働きました。しかも、あなたはわたしの報酬を十回も変えました。もし、わたしの父の神、アブラハムの神、イサクの畏れ敬う方がわたしの味方でなかったなら、あなたはきっと何も持たせずにわたしを追い出したことでしょう。神は、わたしの労苦と悩みを目に留められ、昨夜、あなたを諭されたのです。」(創31:41-42)

 創31:43-32:1〈ヤコブとラバンの契約〉
 もはや手出しはすまい、とラバンがいった。お前とわたしの間で契約を結び、証拠となるものを立てよう。
 ヤコブは一つの石を取って記念碑とした。そうして石塚を築かせ、その傍らで食事をした。そうしたことから、そこはガルエドと呼ばれ、また、「見張り所」を意味するミツパとも呼ばれた。互いに離れたところにいるときでも、主がわれらを見張ってくれるように、との思いからである。
 「神御自身がお前とわたしの証人であることを忘れるな」(創31:50)とラバンがいった。更に、「ここに石塚がある。またここに、わたしがお前との間に立てた記念碑がある。この石塚は証拠であり、記念碑は証人だ。敵意をもって、わたしがこの石塚を越えてお前の方に侵入したり、お前がこの石塚とこの記念碑を越えてわたしの方に侵入したりすることがないようにしよう。どうか、アブラハムの神とナホルの神、彼らの先祖の神が我々の間を正しく裁いてくださいますように。」(創31:51-53)
 ヤコブも父イサクの畏れる方にかけて誓った。そうして山上でいけにえをささげ、一族を招いて食事し、一夜を過ごした。翌朝、ラバンはアラム・ナハライムへ帰っていった。

 どうしてラケルは家の守り神の像を盗んだりしたのか? 真意は定かでありませんが、そこにはなんらかの宗教的な衝動や意味があったのかもしれません。が、アラムの神を象った偶像をアブラハムの神の愛と護りを受けるイサク-ヤコブの土地へ持ちこむことは、そこに意図するものがなかったとしても禁忌というに相応しい行動であったであろうことは、まず疑うべくもないでありましょう。
 ギレアドはヨルダン川の東側に広がる山岳地帯で、後に嗣業地として分割壌土された際はガド族とルベン族、マナセの半部族の所領となりました(ex;民32、ヨシュ13:8-12,15-32)。ヤコブらがどれだけの日数でここに到着したかはともかく、ラバン一行が追跡した際の記述では、ハランからギレアドまで7日の距離があったということです(創31:23)。
 ヤコブとラバンが契約を結び、記念碑を立てたガルエドは「証拠の石塚」という意味である。この直前にラバンはここをエガル・サハドタと呼んだ。意味するところは同じで、ラバンはガルエドをアラム語で斯く呼んだのであります。改めて創31:20でも触れられているように、ラバンがアラム人であり、ヤコブとは異なる地域に根を持つ民族であることを、われらに思い出させます。



 切ない程に手が届かない存在に憧れ恋い焦がれること程嗚咽に等しい苦しみってあまりないと思う。
 どこかで頑張るあなたに負けぬようわたくしも生きてゆこう。◆

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