第1452日目 〈創世記第36章:〈エサウの子孫〉、〈セイルの子孫〉&〈エドムの王国〉withルネ・ラリック美術館に行きました。〉 [創世記]
創世記第36章です。
創36:1-19〈エサウの子孫〉
「エサウは、妻、息子、娘、家で働くすべての人々、家畜の群れ、すべての動物を連れ、カナンの土地で手に入れた全財産を携え、弟ヤコブのところから離れて他の土地へ出て行った。彼らの所有物は一緒に住むにはあまりにも多く、滞在していた土地は彼らの家畜を養うには狭すぎたからである。エサウはこうして、セイルの山地に住むようになった。エサウとはエドムのことである。」(創36:6-8)
そのエサウはまだカナン地方に住んでいるとき、3人の妻を得て5人の子供を設けた。ヘト人エロンの娘アダとの間にはエリファズが、ヒビ人アナの娘オホリバマとの間にはエウシュとヤラムとコラが、アブラハムの子イシュマエルの娘バセマトとの間にはレウエルが生まれた。
その息子たちの系図はこうである。エリファズの男子はテマン、オマル、ツェフォ、ガタム、ケナズ。また、エリファズと側女ティムナが通じてアマレクが。レウエルの男子はナハト、ゼラ、シャンマ、ミザ。エウシュとヤラムとコラの男子は記されていない。
ここに名を挙げたエサウ/エドムの子孫は、それぞれが首長になった。
創36:20-30〈セイルの子孫〉
エサウはエドム地方のセイルに住むフリ人を滅ぼし、ここに住んだ。エサウ入植以前にセイルを治めた首長たちの名は以下の通りである。
首長ロタン。妹はティムナ、息子はホリとヘマムという。
首長ショバル。息子はアルワン、マナハト、エバル、シェフォ、オナムという。
首長ツィブオン。息子はアヤとアナという。アナは父のろばを飼っていたとき、荒れ野に泉を発見した。
首長アナ、ツィブオンの子。息子はディション、娘はオホリバマ(エサウの妻)という。
首長ディション。息子はヘムダン、エシュバン、イトラン、ケランという。
首長エツェル。息子はビルハン、ザアワン、アカンという。
首長ディシャン。息子はウツ、アランという。
「以上がフリ人の首長であり、セイル地方に住むそれぞれの首長であった。」(創36:30)
創36:31-43〈エドムの王国〉
まだイスラエルに王がいなかった時代。エサウの子孫が入植以前に、エドム地方を治めていた王は以下の通りである。
1;ベオルの息子ベラ(ティンババ)
2;ゼラの息子ヨハブ。
3;テマン人の土地出身のフシャム。
4;ベダドの息子ハダド(アビト)
5;マスレカ出身のサムラ。
6;ユーフラテス河畔のレホボト出身のシャウル。
7;アクボルの息子バアル・ハナン。
8;ハダド(パウ)
ベダドの子ハダドはモアブの野でミディアン人を打ち負かした。最後のハダドの妻はメ・ハザブの孫でマトレドの娘メヘタブエルという。
8人の王が治めたエドム地方は、入植したエサウの子孫の所領となった。
ゼラの息子ヨハブは「ヨブ記」の主人公ヨブである、といいます。「ヨブ記」を読むと、ヨブは確かにエドムの人であり、また生活や財産についても相応の地位にあった人であろうことが推察されます。
また、エサウの息子にエリファズがおり、セイル地方の首長ディシャンの息子に地名に由来するウツが言及されいている点などから、第36章全体が「ヨブ記」の背景を提供するものとなっていると考えることに不可能はない、と思います。これはヘンリー・H・ハーレイも指摘するところであります(『新聖書ハンドブック』P123 いのちのことば社)。
〈セイルの子孫〉については申2:12(「セイルには、かつてフリ人が住んでいたが、エサウの子孫は彼らを追い払って滅ぼし、代わってそこに住んだ」)も参照していただきたく存じます。
ところで、創36:25「アナの子供たちは、ディションとアナの娘オホリバマである」という文章、もう少しなんとかならなかったでしょうか。どうにも引っ掛かる日本語訳です。この短い文章は読点を付ける必要があったのか? マソラ本文にはあるかもしれないけど、日本語に移す際「アナの娘」なる語は必要であったか? この二点に少々悩まされ、危うく読み誤るところでした(なにを今更、と申す方もおられるでしょうが)。素直に、「アナの子供たちは息子ディションと娘オホリバマである」と訳すことになにか支障があったのでしょうか。翻訳には読みやすさが優先されるべきときもあるはずでしょう。聖書に関しては尚更である、と考えます。
――新共同訳には稀にこんな意図不明の文章が出ます。自分の読解力を棚にあげるな、と文句が出そうですが、敢えてこんな報告もしておきます。
ルネ・ラリック美術館に行ったのは2日目、宿を出て仙石原を抜けて向かったのでした。雨が降っていたのが残念でしたが、美術館に着いては却ってそれが良かったと思います。
特別展「日曜日の庭」に伴って特別展示されていた作品の一つが、水面に映る波紋を描いたガラス工芸作品であったからです。これを鑑賞したあと、外の池に幾つも幾つも出来る波紋を眺めるのは、なんともいえぬ幸福を胸のなかで感じました。外光ありきの作品展示でもあったため、光量が一定である斯様な天気であることは良い方向に働いたように感じました。
いつまでも居たかったけれど――心ゆくまで日がな一日ラリック作品と向かい合って時間を過ごしたかったけれど、残念ながらそんな贅沢が叶えられるはずはなく。また、叶わぬからこそいつまでも深く残り続けるものでもあるから、再訪を決めて次の場所へと向かったのであります。◆
創36:1-19〈エサウの子孫〉
「エサウは、妻、息子、娘、家で働くすべての人々、家畜の群れ、すべての動物を連れ、カナンの土地で手に入れた全財産を携え、弟ヤコブのところから離れて他の土地へ出て行った。彼らの所有物は一緒に住むにはあまりにも多く、滞在していた土地は彼らの家畜を養うには狭すぎたからである。エサウはこうして、セイルの山地に住むようになった。エサウとはエドムのことである。」(創36:6-8)
そのエサウはまだカナン地方に住んでいるとき、3人の妻を得て5人の子供を設けた。ヘト人エロンの娘アダとの間にはエリファズが、ヒビ人アナの娘オホリバマとの間にはエウシュとヤラムとコラが、アブラハムの子イシュマエルの娘バセマトとの間にはレウエルが生まれた。
その息子たちの系図はこうである。エリファズの男子はテマン、オマル、ツェフォ、ガタム、ケナズ。また、エリファズと側女ティムナが通じてアマレクが。レウエルの男子はナハト、ゼラ、シャンマ、ミザ。エウシュとヤラムとコラの男子は記されていない。
ここに名を挙げたエサウ/エドムの子孫は、それぞれが首長になった。
創36:20-30〈セイルの子孫〉
エサウはエドム地方のセイルに住むフリ人を滅ぼし、ここに住んだ。エサウ入植以前にセイルを治めた首長たちの名は以下の通りである。
首長ロタン。妹はティムナ、息子はホリとヘマムという。
首長ショバル。息子はアルワン、マナハト、エバル、シェフォ、オナムという。
首長ツィブオン。息子はアヤとアナという。アナは父のろばを飼っていたとき、荒れ野に泉を発見した。
首長アナ、ツィブオンの子。息子はディション、娘はオホリバマ(エサウの妻)という。
首長ディション。息子はヘムダン、エシュバン、イトラン、ケランという。
首長エツェル。息子はビルハン、ザアワン、アカンという。
首長ディシャン。息子はウツ、アランという。
「以上がフリ人の首長であり、セイル地方に住むそれぞれの首長であった。」(創36:30)
創36:31-43〈エドムの王国〉
まだイスラエルに王がいなかった時代。エサウの子孫が入植以前に、エドム地方を治めていた王は以下の通りである。
1;ベオルの息子ベラ(ティンババ)
2;ゼラの息子ヨハブ。
3;テマン人の土地出身のフシャム。
4;ベダドの息子ハダド(アビト)
5;マスレカ出身のサムラ。
6;ユーフラテス河畔のレホボト出身のシャウル。
7;アクボルの息子バアル・ハナン。
8;ハダド(パウ)
ベダドの子ハダドはモアブの野でミディアン人を打ち負かした。最後のハダドの妻はメ・ハザブの孫でマトレドの娘メヘタブエルという。
8人の王が治めたエドム地方は、入植したエサウの子孫の所領となった。
ゼラの息子ヨハブは「ヨブ記」の主人公ヨブである、といいます。「ヨブ記」を読むと、ヨブは確かにエドムの人であり、また生活や財産についても相応の地位にあった人であろうことが推察されます。
また、エサウの息子にエリファズがおり、セイル地方の首長ディシャンの息子に地名に由来するウツが言及されいている点などから、第36章全体が「ヨブ記」の背景を提供するものとなっていると考えることに不可能はない、と思います。これはヘンリー・H・ハーレイも指摘するところであります(『新聖書ハンドブック』P123 いのちのことば社)。
〈セイルの子孫〉については申2:12(「セイルには、かつてフリ人が住んでいたが、エサウの子孫は彼らを追い払って滅ぼし、代わってそこに住んだ」)も参照していただきたく存じます。
ところで、創36:25「アナの子供たちは、ディションとアナの娘オホリバマである」という文章、もう少しなんとかならなかったでしょうか。どうにも引っ掛かる日本語訳です。この短い文章は読点を付ける必要があったのか? マソラ本文にはあるかもしれないけど、日本語に移す際「アナの娘」なる語は必要であったか? この二点に少々悩まされ、危うく読み誤るところでした(なにを今更、と申す方もおられるでしょうが)。素直に、「アナの子供たちは息子ディションと娘オホリバマである」と訳すことになにか支障があったのでしょうか。翻訳には読みやすさが優先されるべきときもあるはずでしょう。聖書に関しては尚更である、と考えます。
――新共同訳には稀にこんな意図不明の文章が出ます。自分の読解力を棚にあげるな、と文句が出そうですが、敢えてこんな報告もしておきます。
ルネ・ラリック美術館に行ったのは2日目、宿を出て仙石原を抜けて向かったのでした。雨が降っていたのが残念でしたが、美術館に着いては却ってそれが良かったと思います。
特別展「日曜日の庭」に伴って特別展示されていた作品の一つが、水面に映る波紋を描いたガラス工芸作品であったからです。これを鑑賞したあと、外の池に幾つも幾つも出来る波紋を眺めるのは、なんともいえぬ幸福を胸のなかで感じました。外光ありきの作品展示でもあったため、光量が一定である斯様な天気であることは良い方向に働いたように感じました。
いつまでも居たかったけれど――心ゆくまで日がな一日ラリック作品と向かい合って時間を過ごしたかったけれど、残念ながらそんな贅沢が叶えられるはずはなく。また、叶わぬからこそいつまでも深く残り続けるものでもあるから、再訪を決めて次の場所へと向かったのであります。◆
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