第1453日目 〈「創世記」補遺〉 [創世記]

 旧約聖書「創世記」を始めて、途中不甲斐なくも休んだり、別原稿を挟むなどして、どうにか今日で46日目(合ってる?)。あとになって「これを書いておくんだった!」とか「うっかり間違えちまったぜ!」ってことがあり、なにげない風を装って訂正したことも、うん、何度かあるね。
 それにしてもわれらは幾つもの印象的な物語を、これまでに読んできましたね。天地創造。アダムとエバ、エデンの園。カインとアベル。洪水と方舟の物語。バベルの塔。アブラハムのイサク献上。アブラハム、マクペラの洞穴に墓所を買うの話。イサクの嫁取り。兄の権利を奪ったヤコブの逃避行。ベテルでの神の顕現。イスラエルとなったヤコブ。シケムの町での虐殺。
 どれもどこかでなにかの形でうっすら見聞した、馴染みある話が並びます。もしかすると読者諸兄のなかには山室静やウォルター・デ・ラ・メア、ヴァン・ルーン、パール・バック、三浦綾子といった人々の聖書物語で、或いは手塚治虫の漫画やアニメ、ハリウッド映画でこれらを知った方もおられるのではないでしょうか。
 「創世記」の物語についてそのたび触れていると大変なことになるため、例えネタがないときでも(そんな日もある!)それについて述べることは避けてきた。いまでもその気持ちに変わりはありません。
 が、それでも今日に至るまで機会を失ってきた事柄もあるわけで。さほど大きなことではなく、「前夜」で洩らした一点についてのみ、この場を借りて書き足しておく次第です。「前夜」でなにを書き洩らしたのか? なにを書き足そうとしているのか? ――「創世記」の構成について、であります。
 多くの解説書などにもありますが、いまわれらが読んでいる「創世記」は大きく3つに分けられます。章節も含めて分ければ、以下のようになります。
 第1部;天地創造からバベルの塔まで(創1:1-11:26)、〈原初の物語〉。
 第2部;アブラハム、イサク,ヤコブ3世代の(創11:27-36:43)、〈族長/父祖の物語〉。
 第3部;ヨセフの流離と一族再会を描く(創37:1-50:26)、〈ヤコブの物語〉。
 こう書き出してみると、これまで読んできた挿話の数々がしっくりと、一つの枠にはまって――装いも新たにわれらの前へ立ち現れるような思いがするのではないでしょうか。実をいえばわたくし自身、いまここに改めて書き出してみて、第3部〈ヨセフの物語〉を新たな目で視られるようになったのであります。序にいうと、そこそこ切りの良いタイミングで構成について述べられたことに安堵しているのです。
 ……さあ、もう大きな心残りはない。例の大型緊急プロジェクトも修羅場を経て落ち着きを取り戻し(このまま静穏にクロージングできますように!!)、帰りも1時間ぐらい早くなりそうだ。それってつまり、帰宅途中でスタバに寄って原稿を書く時間が割ける、ってことなんだ。ヨーセフ・シュトラウスのポルカに倣って、本ブログも〈憂いもなく〉「創世記」第50章の最後の一文を目指して、着実に歩を進めてゆこう。辿り着いた暁には、わたくしはこう叫ぼう。歌おう、感電するほどの喜びを! そうしてこう感謝しよう、サンキー・サイ。

 「道しるべを置き、柱を立てよ。/あなたの心を広い道に。/あなたが通って行った道に向けよ。」(エレ31:21)◆

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