第1462日目 〈創世記第44章:〈銀の杯〉&〈ユダの嘆願〉with2013年中に旧約聖書読書&ブログは完了させられそうです。〉 [創世記]

 創世記第44章です。

 創44:1-17〈銀の杯〉
 兄たちと弟がカナンへ帰ることになった。
 ヨセフは執事に命じて、食糧を詰めた袋に代金である銀の包みを入れ、末の者の袋には自分が遣う銀の杯を入れさせた。兄たちと弟が出発すると、ヨセフは執事に、どうしてお前たちはヨセフが使う銀の杯を持ち出したのか、どうして悪を以て善に報いるのか問うよう命じた。執事はそうした。
 一同が否定したので、執事は「今度もお前たちが言うとおりならよいが。だれであっても、杯が見つかれば、その者はわたしの奴隷にならねばならない。ほかの者には罪はない」(創44:10)といって、かれらの荷物を、年長の者から順に改めてベニヤミンの番になった。すると、ヨセフの持ち物である銀の杯がかれの袋から出て来た。兄弟は衣を裂き、自分のろばに荷を積み直すと、執事と共に町へ引き返した。
 ヨセフはまだ屋敷にいて戻ってきたユダと兄弟たちを迎えた。かれらがひれ伏す前でヨセフはいった。お前たちがしたこの仕打ちは何事か、わたしのような者は占って当てることを知らないのか。
 如何にして身の証しを立てられましょう、とユダが答えた。われらは皆、あなた様の奴隷になりましょう。「神が僕どもの罪を暴かれたのです。」(創44:16)
 これにヨセフは、杯を持っていた者一人がわたしの奴隷としてここに残り、ほかの者は皆父のいるカナンへ帰れ、といった。

 創44:18-34〈ユダの嘆願〉
 それにユダが抗弁した。なにとぞ僕の申しますことに耳をお傾けください。なんとなればあなた様はファラオに等しい方でございますから。
 前回われらがエジプトへ来たとき、あなた様はわれらの家族について、いろいろお尋ねになりました。そうして末の弟を連れてくるよう仰いました。われらは、それは出来ません、と申しあげました。といいますのも、弟を父から離せば父はきっと死んでしまうからです。しかしあなた様は末の弟を連れてこなければ再びご自分の顔を見ることは許さぬ、と仰いました。
 われらはその後カナンへ帰りました。持ち帰った食糧が底をつくと、父は、もう一度エジプトへ行って食糧を買ってくるように命じました。われらはあなた様が仰ったことを伝えました。すると父は、もはや同じ母から生まれてただ一人手許に残った弟を連れてゆくのを拒みました。それでも説得の末、父は弟ベニヤミンをわたしに委ねてくれたのです。
 従って、いまベニヤミンを連れて帰らぬことになったら、父はその悲嘆のあまり死んでしまうことでしょう。父の魂はこの弟の魂と堅く結ばれているからです。そうしてわれら兄弟は、白髪の父を悲嘆に暮れさせたまま陰府へ下らせることになってしまうのです。
 「父に襲いかかる煩悶を見るに忍びません。」(創44:34)なにとぞかれはカナンの父の許に帰らせてください。この僕が代わって奴隷になりますので。

 誰だって親を悲嘆のうちに死なせたくはない。ユダの台詞は心情あふれる嘆願の思いに満ちている。親への敬意と交わした約束の重さについてここでは語られている。創42-43の再構成と雖も、ここはなかなか家族というものについて考えさせてくれる章である。
 さて、さんさんかはどうだろう。もしそのときが訪れたら、、唯一残った母を、悲嘆とは無縁のまま見送ることができるだろうか。せめていまの会社でもう少し立場を上げて給料を上げて、嫁を見せ、孫を抱かせることができるようにしたい。これまで苦労かけ心配させ泣かせもした母にわたくしができるのは、その程度のことだが、その程度こそが、いちばんわたくしが望んでやまぬ未来でもあるのだ。



 「創世記」は先が見えてきました。緊急案件のプロジェクトが前倒しで終わった昨日(一昨日ですか)の夜、本章のノートを書いていて、ふとその事実に気附きました。おそらくさんさんかの誕生日及び亡き婚約者の命日までにはこの書物を終わらせることができましょう。それはつまり、来月なかばあたりに「出エジプト記」の残り部分と「レビ記・前夜」をお披露目して、約5年の長きに渡った旧約聖書の読書とブログが完了するというわけです。
 途中1年強の中断期間があったのは残念だけれど、あれはどうしても必要な回復期の1年であった、と、いまは考えるようにしています。お陰でカテゴリ内での順位は大きく落ちて読者の数も減ったようだったけれど、あれから季節が一巡した現在、前者についてはなんとか以前の水準に戻りつつあり(とはいえ予断は禁物)、後者については離れた読者を取り戻すばかりか却って増えているようにも感じている――これはアクセス数に基づく感想であるが。
 聖書にまつわるブログとしてはがちがちのキリスト者のブログではないことに加え、おまけのように存在しているもう一つのエッセイ部分が本ブログのウリになっているような気もしないではない。為、同じ聖書ブログとはいえ異色/邪道のものである点が目立って面白がってもらえているのかな、と拙くも自己分析している。
 本ブログはこのあとも旧約聖書続編、新約聖書と続いてゆくからあと4年ばかり掛かる見込みだが、かりに早く終わっても遅く終わってもゴールは既に存在しているので、どうかそれまで気長にお付き合い願えればこんなに嬉しいことはない。最初の大きな節目に達するまであともう一息だ。倦まず弛まず歩んでゆこう。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。