第1467日目 〈創世記第48章:〈ヤコブ、ヨセフの子らを祝福する〉with段ボール箱から出て来た『モダンホラーとU.S.A』〉 [創世記]

 創世記第48章です。

 創48:1-22〈ヤコブ、ヨセフの子らを祝福する〉
 父から埋葬地について遺言されてから旬日経ぬ頃である。イスラエルはいよいよ衰え、臨終間近となった。ヨセフは取るものも取り敢えず、長男マナセと次男エフライムを連れて父の天幕へ赴いた。寝台に半身を起こしてイスラエルはこれを迎え、かれらを枕辺へ呼んで、いった。曰く、――
 かつて神はベテルにてわたしを祝福し、わが子孫にあのカナンの地を永遠の所有地として与える、と仰った。ヨセフよ、この機会にお前の息子マナセとエフライムをわたしの息子の列に加えたい。エフライムのあとに生まれた子は皆お前の子としてよいが、しかし、かれらの嗣業の土地は兄たちの名で呼ばれるようになる。……わたしは妻ラケルをパダン・アラムからの帰途に亡くし、エフラト(ベツレヘム)に向かう街道の途中に埋葬した……。
 ――かれは老齢でかすんだ目でマナセとエフライムを見ると、ヨセフにこれは誰か、と問うた。神がここエジプトで授けてくださったわたしの息子たちです、とヨセフが答えるのを聞いて、イスラエルは2人の孫を抱きしめて、口づけた。
 「お前の顔さえ見ることができようとは思わなかったのに、なんと、神はお前の子供たちをも見させてくれた。」(創48:11)
 さて。イスラエルは自分の右手をエフライムの頭の上に置き、自分の左手をマナセの頭の上に置いて、かれらを祝福した。本来ならば右手が置かれるべきは長男マナセのはずなのに、である。ヨセフはこれを不満に思い、置かれた手を正しく直そうとすると、イスラエルは、いやこれで良いのだ、と拒んだ。曰く、――
 ヨセフよ、わたしには分かっている。そう父はいった。マナセもやがて一つの民となり、大きくなるだろう。が、エフライムは兄よりも大きくなる。そうしてエフライムの子孫は国々に満ちるものとなる。
「その日、父は彼らを祝福して言った。/あなたによって/イスラエルは人を祝福して言うであろう。/『どうか、神があなたを/エフライムとマナセのように/してくださるように。』」(創48:20)
――斯く斯様にしてイスラエルはエフライムをマナセの上に立てたのである。
 イスラエルはヨセフにいった。もうすぐわたしは死ぬが、神はお前たちと共にいる。きっとお前たちを先祖の国、子孫へ与えられる嗣業の地、即ち“乳と蜜の流れる地”カナンへ導き上らせてくれる。ヨセフよ、わたしは剣と弓でアモリ人から奪った一つの分け前(シェケム)をお前に、他の兄弟よりも多く与える。

 エフライムとマナセに祖父が与えた、序列を逆転させた祝福について読むと、かつてヤコブが兄エサウを欺いて祝福を騙し取った挿話を思い出します。そういえば、<族長の物語>と<ヤコブの物語>には弟を篤く扱う挿話が目立つようであります。



 年末の大掃除を控えて、部屋の掃除と本やCDの処分に手を着け始めた。その過程でスティーヴン・キング作品を詰めこんだ段ボール箱を発見。書棚が超過しそうだった時分に(いまでも変わらないけれど)一部を避難させたときの段ボール箱だ。
 角川書店版『暗黒の塔』シリーズの単行本と文庫、文藝春秋を版元とする単行本がそこにはあるが、1985年6月に北宋社から刊行された日本初のキング研究書『モダンホラーとU.S.A』が出て来たのは意外だった。捨ててはいないとわかってはいたが、まさかこの箱に入っているとは思わなかったからね。
 村上春樹のエッセイが巻頭を飾り、甲斐よしひろ他のインタヴューがあったりして楽しめるけれど、如何せんキング作品の邦訳が未だようやく端緒についたばかりの頃の刊行物なため、幅と奥行きがないのが残念といえば残念か。
 全体が幾つかのパートに分けられているのだけれど、その合間合間にキング著作の紹介記事が載っている。1ページにつき2作品。邦訳も既に新潮文庫と集英社文庫にて読めるようになってはいたものの、代表作『シャイニング』はパシフィカ版(しかも映画タイアップのカバー)の書影が載るだけで当時は既に絶版。文春文庫からの復刊にはあと1年ばかり待たねばならなかった。
 往時のキング紹介がどれだけスローペースであったかお察しいただけよう。いまもスローペースだが、現在海彼で刊行されているうちで日本語で読めない作品がどれだけあるだろう? そうした意味ではいまとはまったく状況が違う。
 が、それでも1985年時点に於いて未訳作品すべての翻訳権が取得済みであることには驚きの気持ちを隠せない。なかでもわたくしが、実現されていたらどうなっていただろう、と妄想を逞しうしてしまうのは、筑摩書房から刊行予定であった評論『死の舞踏』(堤雅久・訳)と、サンリオ文庫(!)が刊行を予定していた短編集『ナイトシフト』(訳者記載なし)の2冊。前者はやがて福武書店から(安野玲・訳)、後者はサンケイ文庫から2分冊で刊行された(高畠文夫・訳)けれど、いずれも訳者が実際とは異なる/異なっただろうため、どんな日本語で読むことができたのだろう、とついつい考えてしまうのだ。……。
 未読のスティーヴン・キング作品が実はそこそこ溜まっている。良くないことだ。それらは件の段ボール箱のそばに(物理的意味合いで)置かれている。良くないことだ。負の相乗効果に注意。
 大掃除を控えての部屋の片附けであるはずが読み耽って、ミイラ取りがミイラにならぬよう気を付けねばなるまい。◆

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