第1473日目 〈「出エジプト記」前夜〉 [出エジプト記]

 <イスラエル人のエジプト脱出>と<十戒>の挿話をご存知でしょうか。セシル・B・デミル監督、チャールトン・ヘストン主演映画『十戒』(1956)でドラマティックに描かれた場面を、たとえ映画全編は知らずともホレブ山(シナイ山)の山頂で雷が石板に十戒を刻んでゆく場面だけでもご覧になった方は多いのではないしょうか。そんな<エジプト脱出>と<十戒>は明日から読む「出エジプト記」で語られます。
 「出エジプト記」は物語と規則が渾然一体となった書物です。物語についてはともかく、規則とは? 本書のあとの「レビ記」は聖書に於ける六法とでもいうべき、イスラエル人が神の民として正しくあるための規則が細々記されたものでしたが、では、「出エジプト記」でいう規則とはどのようなものか。それは十戒の補足と、臨在の幕屋を建てるにあたって守らねばならない諸々の指示であります。
 <律法>と呼ばれ、<モーセ五書>とも呼ばれる5つの書物の一角を占める「出エジプト記」。これは<律法>の人的主役を務める預言者モーセが、初めて登場する書物であります。モーセなる人物はいったいどのような生涯を歩んだ人でありましょうか?
 かれはレビを祖とする家系に生まれた者で、父はアムラム、母はヨケベド。ミリアムという姉とアロンという兄を持ちます。生誕地は勿論エジプト。かれが生まれた頃、ちょうどエジプトは数を増し続けるイスラエル人(ヘブライ人)を脅威とみなし、殊に当時王位に在ったファラオは、イスラエル人の新生児(男子のみ)を虐殺するよう命じていました。モーセは母の手によって殺害の魔手を逃れ、ファラオの王女の子として宮廷で育てられました。
 やがてモーセは同胞がエジプト人に虐げられているのを目撃、衝動的にエジプト人を殺してしまいます。そうしてはるかミディアンの地にまで逃れ行った。ミディアンで家族を得、遊牧をして暮らしていた或る日、かれはホレブ山で神の召命を受けました。そうして、エジプトへ戻った。というのも、イスラエル人をエジプトから脱出させて、かれらを約束の地カナンへ導くよう役目を仰せつかったからであります。
 戻ったエジプトで兄アロンと協力してイスラエル人を説得し、ファラオにはイスラエルの神の御業を数々体験させて苦汁を舐めさせた。そうして遂にエジプト脱出を果たすのです。このときにユダヤ教の3大祭の一つである過越祭(除酵祭)と七週際(刈り入れの祭とも)の起源が語られ、有名な葦の海を割っての脱出行(エクソダス)が語られる。その後、モーセはホレブ山にて十戒を受け取り、不満をくすぶらせる民の咎により40年荒れ野を彷徨うことになり、カナンを目前にして身罷りました。その意志を継いだのは、モーセの従者でエフライム族出身のヨシュアです。――以上が「出エジプト記」の記述を中心としたモーセの略伝であります。
 この「出エジプト記」を含めた<モーセ五書>は古来よりモーセの筆に成る、と伝承されますが、正確なところは勿論わかりません。ただそこにモーセの言行録に類するもの、モーセに由来する文書がなんらかの形で成立に寄与しているであろうことは、信じてよいと思います。
 ――ヤコブの子ヨセフが逝って約300年後とされるエジプトを開巻の舞台とする「出エジプト記」第15章までを、明日から読んでゆきます。本ブログは「出エジプト記」第16章からスタートした。2008年10月06日午前00時27分のことでありました。◆

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