第1476日目 〈出エジプト記第3章:〈モーセの召命〉withこんな夢を見たい;「2014年の初夢」編〉 [出エジプト記]

 出エジプト記第3章です。

 出3:1-22〈モーセの召命〉
 モーセはホレブ山で父祖の神に会った。舅レウエル(エトロ)の羊の群れを追って荒れ野の向こう側まで来たときのことである。ホレブは神の山であった。かれは山中に入り、燃える柴を見た。燃えているのに燃え尽きない柴に興味を惹かれて、そちらへ近附いた。すると神が柴の間から声をかけ、それを押し留めた。履物を脱ぎなさい、あなたが立っている場所は聖なる土地だから。そうして神は、自分がアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であることをモーセに伝えた。モーセは神の顔を見ぬよう自分の顔を覆った。
 主がいった。わたしはエジプトにいるわが民の苦しみを見、叫び声を聞いた。それゆえわたしは降り、イスラエルをエジプトから救い出し、“乳と蜜の流れる地”カナンへ導き上る。モーセよ、いま、行きなさい。あなたをファラオの前に遣わす。あなたはわが民イスラエルを約束の地に導く者だ。
 モーセは、わたしが何程の者だというのでしょう、そうしてファラオの前に行き同胞をエジプトから導き出さねばならないのでしょう、と訊いた。
 主がいった。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」(出3:12)
 エジプトへ戻りイスラエルの人々のところへは行きますが、とモーセがいった。続けて、いったい誰が、なんという名の方が同胞をすばらしい土地へ導き上る、と伝えればいいのでしょうか、と。
 主がいった。わたしはある。わたしはある、という者だ。そのわたしがわが民、汝が同胞を“乳と蜜の流れる地”へ導き上る、といいなさい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神があなたをかれらの許へ遣わすのだ。わたしがあなたを遣わしてかれらを、イスラエルを導き上るのである。
 「これこそとこしえにわたしの名。/これこそ、世々にわたしの呼び名。」(出3:15)
 続けて主の曰く、――
 「さあ、行って、イスラエルの長老たちを集め、言うがよい。『あなたたちの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主がわたしに現れて、こう言われた。わたしはあなたたちを顧み、あなたたちがエジプトで受けてきた仕打ちをつぶさに見た。あなたたちを苦しみのエジプトから、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む乳と蜜の流れる土地へ導き上ろうと決心した』と。彼らはあなたの言葉に従うであろう。あなたはイスラエルの長老たちを伴い、エジプト王のもとに行って彼に言いなさい。『ヘブライ人の神、主がわたしたちに出現されました。どうか、今、3日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。』しかしわたしは、強い手を用いなければ、エジプト王が行かせないことを知っている。わたしは自ら手を下しあらゆる驚くべき業をエジプトの中で行い、これを打つ。その後初めて、王はあなたたちを去らせるであろう。/そのとき、わたしは、この民にエジプト人の好意を得させるようにしよう。」(出3:16-21)
 あなたたちがなにも持たずにエジプトを出ることはない。女は隣近所のエジプト女から金銀の装具や外套を求めよ。それらは自分の息子、娘に身に着(つ)けさせ、エジプト人からの分捕り品とせよ。――主の言葉。

 歴史の転換点になる章です。推敲して短くすることも考えましたが、転換点である重要性を鑑みて、敢えて字句の修正に留めて原稿をお披露目することに決めました。
 地図を広げてほしい。なければインターネットで地図を探してほしい。モーセはミディアンにいて舅の羊の群れを飼った、そうして群れを追ってシナイ半島へ入った。アカバ湾をぐるりと廻って半島へ入り、バランの荒れ野に足を踏み入れたわけです。荒れ野の入り口に立ったモーセにとってホレブ山は「荒れ野の奥」(新共同訳)というよりも、「荒れ野の向こう側」(原稿)とした方が適切であるように思うたため、斯く記した。
 このモーセの行動は、後にモーセがイスラエルの牧者となって民を導き、この畏れ多きホレブ山を通ってカナンへ上るかれの姿を先取りする、と指摘する資料もあります(バリー・J・バイツェル監修『地図と絵画で見る聖書大百科[普及版]』P75 創元社 2013.10)。 出3:19「しかしわたしは、強い手を用いなければ」云々とはこのあとに出る、主による10の災いを指しますが、その窮極にして決定打が第12章で語られる〈初子の死〉。過越祭の起源であり、エジプト王がイスラエルを去らせる事件ですが、これが出3:22、上の本文では「女は隣近所のエジプト女から」云々という箇所につながるのであります。
 預言者、或いはなんらかの役割のため召命される者が羊飼いである場合、その仕事中に役割を担うケースが目につくように思うのは気のせいでしょうか。いまちょっと調べてみたら、モーセ、ダビデ、アモスぐらいなのですが、詩篇も含めれば牧者への特別な指示というのは、もう少し増えるような気がします。



 仕事帰りにオペラを愉しむことができる環境で暮らす。――2014年はそんな初夢を見たいと思います。◆

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