第1483日目 〈出エジプト記第8章2/2:〈ぶよの災い〉&〈あぶの災い〉withメタボな生活から簡素な生活へ!〉 [出エジプト記]

 出エジプト記第8章2/2です。

 出8:12-15〈ぶよの災い〉
 第三の災いは、ぶよの災いである。主によりモーセはアロンにいった。杖を取れ。土の塵を打ってぶよに変え、エジプト全土へ散らせて広げよ。かれはそうした。
 例によって王の魔術師が秘術を以てこれに対抗した。が、まるで為す術はなかった。魔術師は王に進言した、これはヘブライ人の神の指の働きです、と。
 けれどもファラオが心を頑なにしたままなので、イスラエルの神は次の災いを用意した。

 出8:16-28〈あぶの災い〉
 第四の災いは、あぶの災いである。水辺に来たファラオを前にモーセが、王よ、われらの神なる主からあなたへの言葉です、といって曰く、――
 「もしあなたがわたしの民を去らせないならば、見よ、わたしはあなたとあなたの家臣とあなたの民とあなたの家にあぶを送る。エジプトの人家にも人が働いている畑地にもあぶが満ちるであろう。しかし、その日、わたしはわたしの民の住むゴシェン地方を区別して、そこにあぶを入り込ませない。あなたはこうして、主なるわたしがこの地のただ中にいることを知るようになる。わたしは、わたしの民をあなたの民から区別して贖う。明日、このしるしが起こる」(出8:17-19)と。
 そうして主は予告通り、翌る日にこれを実行した。斯くしてエジプト全土は荒れ果てた。
 ファラオがモーセとアロンを呼んで、いった。お前たちの望み通りに去らせたりはしない。が、国内でお前たちの神のため犠牲をささげることは許そう。
 否、とモーセは堅く拒んだ。われらの献げ物をエジプト人はとても厭います。それが理由でエジプト人がわれらを殺さないなどとどうして保証されるでしょう。われらは3日の道程を行き、荒れ野で主のための犠牲をささげねばなりません。これは譲れぬ要件です。
 ファラオが諾い、去れ、行って神に献げ物をせよ、但しあまり遠くへ行くことはならぬ、お前がお前の神に祈るとき、わたしのためにも祈願してくれ。
 モーセは諾い、ファラオに念押しした。祈りますが、約束は違えないでください。そうしてかれは主に祈る。翌日、あぶはエジプトから飛び去った。
 しかし勿論、ファラオがイスラエルをエジプトから出すつもりはなかった。あぶが飛び去ったことで災いは一段落した、と判断したファラオはまたしても心を頑なにした。主が予告した通りである。

 「掌を返すように」なる表現があります。主によりそうさせられていた部分なきにしもあらずですが、このときのファラオの態度がまさしく斯く表現するに適したものであることはいうまでもないでしょう。でも、案外と為政者にはそうした部分があるかもしれない。うーん、人間って複雑で単純だ。



 CDを10,000枚から200枚に減らすことに成功した現在、次なる企みごとに着手する準備を淡々と進めている。むろん、蔵書の処分だ。
 企むことは楽しい。実作業は楽しくない。悩みと怒りと諦めばかりが心を重くする。でも、やらなくてはいけないんだ。メタボな生活から簡素な生活へ。外見は身軽に快適に、内面は汲めども尽きぬ泉に。
 そんな未来の自分を思い描くのは悪いことではない。どう?◆

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