第1484日目 〈出エジプト記第9章1/2:〈疫病の災い〉&〈はれ物の災い〉withちかごろの事情〉 [出エジプト記]

 出エジプト記第9章1/2です。

 出9:1-7〈疫病の災い〉
 第五の災いは、疫病の災いである。主はモーセに、ファラオに告げよ、といった。イスラエルを去らせぬなら、主の手が極めて恐ろしい疫病をエジプト全土に臨ませる。これにより、エジプト人の家畜は死ぬ。しかし、イスラエルの家畜が疫病に罹って死ぬことはない。わたしは明日、時を定めてこの地でこの災いを実行する。
 モーセとアロンはファラオの前に出てこれを伝えたが、王はこれを無視した。――果たして翌る日の朝、エジプト人の家畜――馬、ろば、らくだ、羊、牛――は死んだ。それでもなお、ファラオは心を頑なにしたままだった。主の予告通りである。

 出9:8-12〈はれ物の災い〉
 第六の災いは、はれ物の災いである。主はモーセに、竈(かまど)の煤(すす)を両手一杯に持ってファラオの前に出、それを宙に向かって放れ、といった。それはエジプト全土を覆う細かい塵となり、エジプト人とかれらの(前の災いを免れた)家畜の皮膚に生じるだろう。
 モーセとアロンはファラオの前に出て、主の命じた通りに実行した。するとそれは確かに塵となってエジプトの国を隈なく覆い、膿が生じるはれ物となってエジプト人と、前の災いを免れた家畜に降り注ぎ、皮膚に膿を生じるはれ物となって襲ったのだった。王の魔術師も秘術を以てこれに対抗するところがやはりはれ物に襲われて、なにも出来ず倒れた。
 それでもファラオは心を頑なにしたままである。まさに主の予告通りであった。

 疫病は主の降す災いのなかでも、比較的われらがこれまで目にしてきたものであります読むたびに思うのは、それが主の計画を阻む――それの前に立ちはだかる存在を排除するために行われる審判の一手段であろうな、ということ。たぶん、本章がイスラエルの敵役が疫病という災いに見舞われる最初でありましたでしょう。
 とはいえ、勿論まだ敵の本丸に降されたわけではない。が、それは或る意味で本丸に降されるよりも手痛いものであった。家畜に災いが見舞うということは、即ち国の経済や労働に直結する痛みであるのですから。
 最近よく読んでいる『聖書大百科[普及版]』に拠りますと、このような神の手による疫病は天からの全面戦争の宣告であり、こうした争いは神盟裁判と見なされる、という(P77)。神盟裁判とは神の証しにより審判が下される裁判のこと。それを踏まえて旧約聖書を読んでゆくと、全編がこの神盟裁判に彩られた書物であることがわかりますね。時としてその矛先は、如何なる形を取るにせよ、敵のみならず自分の嗣業の民へも向けられる。成る程、かの時代に於いて<神の前に万人は平等>とはいいもいったりであります。



 ちかごろ一書を分割して更新することが多いのは、単に分量の問題ゆえだ。おまけにこのところ遅く帰る日が多いため、その方が明日に負担をかけずに済む、という利点もある。ご理解いただければ幸いです。もっとも、以前の状態――歴史書に差し掛かっていた時分?――に戻っただけだ、といえばそれまでですが。ハイ。◆

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