第1486日目 〈出エジプト記第10章:〈いなごの災い〉&〈暗闇の災い〉with映画『クロユリ団地』を観ました。〉 [出エジプト記]

 出エジプト記第10章です。

 出10:1-20〈いなごの災い〉
 第八の災いは、いなごの災いである。それに先立ち、主がモーセにいった。わたしが王の心を頑なにするのは、かれが頑迷になったがゆえにエジプトが如何なる災いに襲われ、エジプト人が如何に苦しんだか、あなたによって後の世代へ伝えさせるためである。さあ、行ってファラオに告げよ。いつまでわたしの前に身を低くするのを拒むのか、わが民イスラエルを去らせぬならばわたしは明日お前の領土の全域へいなごの群れを送りこむ、と。かつて雹によって荒れ果てたものの未だ健やかであるエジプトは、いなごの群れに覆い尽くされて滅びよう。
 モーセとアロンはファラオの前に行き、主の言葉を伝えて飄然と去った。誰もあとを追わなかった。が、一人ファラオの家臣が主君に進言した。曰く、「即刻あの者たちを去らせ、彼らの神、主に仕えさせてはいかがでしょう。エジプトが滅びかかっているのが、まだお分かりになりませんか。」(出10:7)
 これを承けてファラオはモーセとアロンを呼び、去って荒れ野でヘブライ人の神に仕えるがいい、といった。お前たちの前途には災いがあることを覚悟せよ。そうして行くのは男たちだけだ。それがお前たちの望んだことだ。――そういって王は、兄弟を追いだした。
 斯様なことがあったあと、主がモーセにいった。手をエジプトの大地へかざし、いなごを呼び寄せよ。モーセはそうした。すると東風が一昼夜にわたって吹きつけ、翌る日、風に乗っていなごが大量に飛来した。それはかつて経験したことのない程の数でエジプトを覆い、全域に留まり、地のあらゆる草、雹害を免れたすべてのものを喰い尽くした。いなごによってエジプトの大地は黒くなった。
 この事象を前にファラオはモーセとアロンを呼んで、いった。曰く、――
 「あなたたちの神、主に対し、またあなたたちに対しても、わたしは過ちを犯した。どうか、もう一度だけ過ちを赦して、あなたたちの神、主に祈願してもらいたい。こんな死に方だけはしないで済むように。」(出10:16-17)
 モーセはファラオの許を退出すると、主に、このいなごの災いを退けてやってほしい、と祈った。主はこれを聞いて風を西から吹かせ、いなごの群れを葦の海に追い払った。斯くして国土は荒れ果てたけれど、それでも国は残った。災いが去ったせいで王は再び心を頑なにし、モーセたちとの約束を破った。

 出10:21-29〈暗闇の災い〉
 第九の災いは、暗闇の災いである。主がモーセに命じて、エジプト全土へ3日間にわたる暗闇を臨ませた。目の前の人も、眼前にかざした自分の手も見えず、居場所を立って離れることもできないぐらいの深い暗闇。が、イスラエルの人々がいるところには、どこにでも光があった。
 ファラオがモーセとアロンを呼びつけ、去れ、妻子も連れてゆけ、といった。但し家畜、羊と牛は置いてゆけ。モーセはこれに「否」をいい、こう答えた。いいえ、エジプト王よ、あなたからもいけにえと焼き尽くす献げ物を頂戴します。つまり、あなたの羊と牛、あなたの家畜です。荒れ野にはわれらの家畜もあなたの家畜も連れてゆきます。というのも、どれを献げ物とすればよいか、そのときになってみないとわからないからです。
 心を頑なにしたファラオが兄弟を立ち去らせようとした際の台詞;二度とわたしの前に姿を現すな。次に会ったら生かしてはおかぬぞ。
 「モーセは答えた。『よくぞ仰せになりました。二度とお会いしようとは思いません。』」(出10:29)

 主はモーセを媒介にして、巧みにファラオを操り、自分があらかじめ定めた未来へと導く。次が最後(の災い)になる、とモーセも察していたのだろう。或いは記されていないだけで、既に教えられていたのかもしれません。ファラオも本心か、操られてか、斯く口走った。ゆえにモーセも強硬な態度を取ることができたのだろう。モーセが放った一言は短くも強烈である。



 『クロユリ団地』を観ました。2013年最凶ホラーと散々公開時のCMで煽られていましたが、実際のところ、これ程肩の力を抜いてのんびり観られるホラーはまさしく<珍>。出演者の演技について語るべき言葉は持たないけれど、物語の進む先が予測でき、その期待を裏切らぬ様は珍重すべき滑稽ぶり。
 クリスマスやお正月にみんなでコタツに入り、ミカンとお茶で楽しく団欒しながら鑑賞するには最適の一本といえます。レンタルするなら在庫切れにならぬうちに、お早めに確保いただきたい。でも、序章って必要あるの?◆

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