第1490日目 〈出エジプト記第13章:〈初子の奉献〉、〈除酵祭〉&〈火の柱、雲の柱〉with手持ち無沙汰なスタバでの時間〉 [出エジプト記]

 出エジプト記第13章です。

 出13:1-2〈初子の奉献〉
 主の言葉;人であれ家畜であれ、イスラエルのすべての初子をわたしに献げよ。それはわたしのものである。

 出13:3-10〈除酵祭〉
 この過越を記念しなさい。あなたたちはアビブ(ニサン)の月のこの日、エジプトを出発した。その主の言葉をモーセが民へ伝えた。続けて、――
 “乳と蜜の流れる地”カナンへ導かれて入ったら、アビブの月に過越の儀式を行うように。即ち、酵母の入っていないパンを7日間食べ、7日目に主のための祭りをする。イスラエルの家と領土のどこにも酵母があってはならない。
 あなたたちは子孫に語り継ぎ、訊かれたら教えなさい。わたしがエジプトを出るとき主の行ったことがこれである。「あなたは、この言葉を自分の腕と額に付けて記憶のしるしとし、主の教えを口ずさまねばならない。主が力強い御手をもって、あなたをエジプトから導き出されたからである。あなたはこの掟を毎年定められたときに守らねばならない。」(出13:8-10)

 出13:11-16〈初子について〉
 イスラエルの人々で初めに胎を開く者はすべて、初子を主にささげなくてはならない。家畜についても然り。その場合、雄の初子はすべて主のもの、ろばの場合は小羊を以て代替として贖う。首は折れ。
 あなたの初子として生まれた男児は皆主のもの。将来子供たちに、なぜか、と問われたら、エジプトを見舞った最後の災い、即ち〈主の過越〉について語って教えよ。それゆえ、自分の息子の初子は全員主に犠牲としてささげ、必ず贖うのである。
 あなたはこの言葉を刻みなさい。

 出13:17-22〈火の柱、雲の柱〉
 さて。神なる主は出エジプトを果たした民をカナンへ導くにあたって、遠路を選び、歩ませた。というのも、大海を西に望むペリシテの街道にはエジプト軍が駐留していたからである。ゆえに主は民を迂回させ、葦の海に通じる荒れ野への道を歩かせた。
 モーセは宰相ヨセフの遺言を守り、かれの遺骨を携えていた(ex;創50:25)。
 ストコを発った一行は荒れ野の端のエタムに宿営。「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」(出13:21-22)

 整理すれば、除酵祭は過越祭のあと7日間続けられる祝いの祭り。この期間は酵母なしのパンを食べて出エジプトに際して主の行った御業の数々を忘れるな、エジプトでの奴隷生活を忘れるな、というのが趣旨です。
 ちなみにユダヤ教の三大祭りとは、過越祭と仮庵際、刈り入れの祭りを指す。除酵祭は入っていないようなので、くれぐれも混同されませぬように(自分への言い聞かせです)。



 変な気分であります。旧約聖書のノートは終わり、続編についてはまだしばらく時間がある(=休みたい、の同義)。間もなく閉店を迎える伊勢佐木モールのスターバックスにいても、本を読む以外することがなく正直手持ち無沙汰。
 これまで何年も当たり前のように行ってきた、聖書を読む何遍も読む、調べる、文章を書いて一編のブログ原稿に仕立てる、という作業がなくなってしまったことに違和感がある。奇妙な思いがする。突然仕事を奪われて閑職に回されるのはこんな気分なのだろうか、と、ありがたくもないシミュレーションを試みて暗澹とする。
 閉店時間が早くなって夜も7時を過ぎると、店内は閑散としてくる。空席も目立ち始め、夕方からいた客は消えてしまっている。マグカップに入っていたコーヒーは残りわずか。――ここで過ごす時間ももうすぐ永遠に終わる。しかし、生きる時間はまだまだ続く。◆

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