第1515日目 〈トビト記第2章:〈妻子との再会〉、〈死者の埋葬〉他with少し息抜きをしてもいい?〉 [トビト記]

 トビト記第2章です。

 トビ2:1-2〈妻子との再会〉
 恩赦によりニネベに帰ると五旬祭が巡ってきた。トビトのためにご馳走が用意された。かれはそれを前に息子トビアを呼んで、こういった。
 さあ、町へ出て、同族を探し、そのなかでも特に神を心に留めている者を選び、ここへ連れてきなさい。共に食事をしよう。わたしはそれまで食事を摂らずに待っている。

 トビ2:3-8〈死者の埋葬〉
 出掛けたトビアが一人で戻ってきたので、父は理由を訊ねた。するとトビアが、道端に倒れているナフタリの者がいます、といった。たったいま広場で首を絞められて殺されたのです。
 トビトは食事をすることもなく家を飛び出し、絞殺された同族の死体を運んで小屋に置いた。衆目に曝されるのを厭うたのである。かれは日没を待って死体を埋葬した。その様子を見てニネベの人々は囃し立て、嘲笑った。
 ――帰宅してもトビトの心は悲しみに打ち沈んだままだった。かれの心に預言者アモスの言葉が思い出され、泣き悲しんだ。

 トビ2:9-10〈トビトの失明〉
 その夜は暑かった。トビトは外で寝ようと思い、中庭の塀の傍らで眠った。……雀が何羽かその塀の上にいた。生暖かい糞がトビトの両眼に落ちる。それが原因でかれの両眼には白い膜が出来てしまった。
 何人かの医者が診て目薬を塗ったが、症状は悪くなるばかり。そうしてトビトは失明した。失明は4年に及んだ。親族はかれのことを嘆き悲しみ、甥アヒカルもエラムへ転属するまでの2年間、なにくれとなく世話をした。

 トビ2:11-14〈妻ハンナとの口論〉
 当時、トビトの妻ハンナは機織りの内職をしていた。デュストゥロスの月の7日、織った反物を雇い主の許へ届けると、賃金全額の支払いは勿論、子山羊1匹を贈り物として貰った。
 ――帰宅したハンナが山羊を連れているのを知ってトビトは訝しみ、妻を詰った。あの山羊の鳴き声はなにか、どこかから盗んできたのか、と。ハンナがどれだけ事実を申し立ててもトビトは信じようとしない。
 とうとうハンナは嘆息混じりに夫を責めた。あなたの憐れみはどこへ行ったのか、あなたの正義はどこにあるのか、所詮あなたはそういう人なのだ。

 五旬祭とは七週際、即ち刈り入れ祭のこと。これは(「出エジプト記」他でも述べてきたように)過越祭から7週目、つまり50日目に小麦の刈り入れを祝う祭りであります。
刈り入れ祭はやがて本来の意味に加えて、モーセが律法を授けられたことも祝うようになった。「ペンテコステ」はギリシア語で「50」を意味します。
 トビ2:6預言者アモスがベテルの人々に語った言葉、「お前たちの祭りは悲しみに/お前たちの歌はことごとく嘆きの歌に変わる」の出典は、「アモス書」第8章第10節(第1332日目)にあります。アモスは南王国ユダに生まれ、北王国イスラエルのベテルにて預言者活動を行った人です。
 デュストゥロスの月は太陽暦では2-3月に当たります。ちなみにこれはマケドニア歴で5月を指す由。



 別にかったるくなってきたわけではないのだけれど、ちかごろこのオマケのようにあるエッセイ(らしきもの)ね、なくてもいいのではないかな、と思うたりします。
 この部分目当てに読者であり続けてくださる方もあるようなので、いきなり不要のものと切り捨てるつもりはありません。同時に、わたくしの息抜きになっているのも事実ですからね。このエッセイを以て辛うじてバランスを取ってもいるわけですよ。
 でも、本当にこのエッセイらしきもの、必要? これまで殆ど毎日、1500日以上脳ミソを酷使して無い知恵を絞り出してでも書き続けてきたいま、そんな疑問を抱く。新聞の編集手帳のようなコラムみたく立派なものは生産できない。質についてはずっと劣る。そんなものでも毎日書くとなると、ややきつく感じるときもあるのだ、正直な話。
 ――これからは少し息抜きをしてもいいかな? 本ブログが聖書の読書ノートになっている間は、このオマケのようなエッセイを休んでいる日があるかもしれない。そういう日に、読者諸兄よ、遭遇したら、ああさんさんかはちょっと休みが欲しくなったんだな、と軽く流してもらえたら、とても嬉しい。
 まあ、プロポのようなものや断章みたいなものでも、或いは、これまで同様独り言めいたもの、チョイ愚痴めいたものであったとしても、ほんの一行程度のもの(これまでもままあったけれどね)でも毎日ゆきたいとは思うが、この先、どうしても書けない日だってあるだろう。そんな日の到来に備えて斯様な予防線を張っておく次第である。
 どうぞ宜しくご理解ください。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。