第1518日目 〈トビト記第5章:〈トビアの返事〉、〈天使ラファエルとの出会い〉&〈旅の準備と母の悲しみ〉with2014年、初マックしてきました。〉 [トビト記]

 トビト記第5章です。

 トビ5:1-3〈トビアの返事〉
 トビアは父に答えて、いった。しかしその財布を受け取るにしても、どうしたらガバエル氏はわたしを信じてくれるでしょう。われらは互いに面識があるわけではないのです。
 父がいった。わたしたちはそのとき、一枚の証文を作成して半分に裂き、それぞれで持つことにした。それを持ってゆきなさい。あれから20年にもなるが、そうすればガバエルも信じることだろう。
 さあ、息子よ。誰かメディアまでの道を知り、同行してくれる信頼できる者を見附け、出発しなさい。

 トビ5:4-17 1/2〈天使ラファエルとの出会い〉
 トビアは外に出て往来を眺め渡した。メディアまでの道程に詳しい人がいないか探すためである。と、目の前に一人の男子が立っていた。トビアは声を掛けたが、その者が神により遣わされた天使ラファエルとは流石に知る由もなかった。
 その者は、メディアには何度も行ったことがあり、ニネベとエクバタナ、ラゲスへの街道に精通している、という。トビアは同行者をその者に決めた。そうしてトビトの前に報告するため、その者をそこへ待たせた。相手は首肯した。但し、あまり長くなったりしないように。
 息子の報告を聞いたトビトが、その者に会いたい、といったので、トビアはそうした。客人の祝福にトビアは嘆息した。ラファエルが掛けた祝福の言葉に応えて、「トビトは言った。『わたしに何の喜びがありましょうか。わたしは目が見えず、天の光を見ることができないのです。もう二度と光を見ることのできない死人のように、暗闇の世界にいるのです。生きていても、死人たちの世界にいるようなものです。人の声は聞こえますが、姿は見えないのです。』ラファエルは言った。『元気を出しなさい。間もなく神があなたをいやしてくださいます。元気を出すのです。』」(トビ5:10)
 メディアへ共に行ってくれるその者の名を、トビトは知りたがった。重ねての請いにその者は答えて曰く、自分はハナニアの子アザリアといい同じナフタリ族の者です、と。トビトは、嗚呼自分は偉大なセメリアの2人の子ハナニアとナタンを知っています、よく一緒にエルサレムへ行き礼拝をしたものでした、かれらは道を踏み外したことのない善き人たちでした、と思い出していった。
 ――トビトは息子とアザリアを、アザリアは1日1ドラクメの報酬を約束して、メディアへの旅に送り出したのである。

 トビ5:17 2/2-22〈旅の準備と母の悲しみ〉
 斯くして2人は出発した。
 しかしトビトの妻、トビアの母、即ちハンナはそれを泣き悲しんだ。あの子はわたしたちのそばにいて杖となってくれる子でしたのに、どうしてメディアになぞ行かせたのですか、20年も前に預けたお金があの子の命よりも大事だとでも仰るのですか。
 「わたしたちは主によって生かされているのですから、今のままでじゅうぶんです。」(トビ5:20)
 トビトは妻を諫めた。心配しなくてよい、わたしたちの息子は元気で戻ってくる。だいじょうぶ、神の使いがかれに同伴してくれる。

 5:17にて「神の使いが道々お前たちと共に進み、無事に旅をさせてくれるように」といい、5:22にて「神の使いが息子のよい同伴者になってくれる」と、トビトはいった。信心に根っこがある言葉なのは勿論ですが、実際ラファエルを前にしてこれをいうトビトを想像すると、なんだか一種のコメディの一場面に読めてきて仕方ない。不謹慎かもしれぬ。が、こんな読み方もありであろう、ということでお目こぼしいただきたい。
 しかし、まさか目の前にいる男子が本当に神の使い天使ラファエルだなんて、トビトもトビアも思わなかったでしょうね。ぷぷぷ。
 トビトがその者に報酬として提示し支払いを約束した1ドラクメ。これはローマ銀貨であり、新約聖書に出て来る1デナリオン(特にマタ20:1-16の〈「ぶどう園の労働者」のたとえ〉が有名かも)と同価であるとのこと。一日の労働の賃金である、ということだが、さしずめいまの平均的な代価に置き換えると、時給1,000円×8時間労働で日給8,000円というところかでしょう。
 第2章での子山羊のときの一件といい今回といい、ハンナはなんだかボヤキ担当みたくなっておりますな――。



 2013年の初マックから2週間足らずの今日、2014年初マックをしてきました(えっ!? とかいうな)。メニューはともかく食後の現在やや胃もたれ中。そろそろ油たっぷり、チーズたっぷりのメニューは敬遠した方がいいかな。たぶんこれで今年はもうマックに行くことはないと思う。
 スタバなどと違ってとにかく周囲は喧しい。旧スタバ伊勢佐木モール店の3倍ぐらいは騒々しいよ。斎藤孝がマックは仕事する場というより世相ウォッチングに留めておくのが無難か、という旨、著書のなかでいうておった気がするけれど、まこと是也、と心中首肯した。
 でも、この環境もたまには悪くない。落ち着かぬがゆえに集中し、一気呵成に乱れもブレもなく原稿を書ける。本日の原稿も某駅ビルのマックにて40分程度で書きあげたものだ。これはわたくしにとっては快い緊張感のある時間であった。見かけはあくまで平静、でも内部は燃え盛っている。或る意味で理想的な時間を結果的に産み出すことが出来たことを喜ぼう。
 むろん、滅多にないことだから斯様な芸当が披露できるのであることは、いわれずとも承知している。◆

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