第1550日目 〈「ユディト記」前夜〉 [ユディト記]

 旧約聖書続編では第2の書物にあたるのが「ユディト記」であります。ユディトはユダヤの町ベトリヤに住んでいた、信仰心の厚い女性でした。本書はそのユディトが如何に才智を効かせて強大な敵を退けるに至ったか、と語るものです。
 これを読んでいると、のっけから「?」が脳裏に浮かぶことでしょう。われらはネブカドネツァルという人物が新バビロニア帝国の王であったことを知っています。が、本書に登場するネブカドネツァルは同一人物でありながら、アッシリア人の王としてわれらの前に現れます。いや、それだけではない。歴史的事実と食い違う描写のされる箇所は、他に幾つもある。読書を始めて最初に出喰わすそれが、ネブカドネツァルの件である、ということであります。
 斯様に矛盾するのはどうしてか、なぜそれが一点に留まらず頻出するのか、という点については成立の過程を実際に目撃しないことにはわからぬことですが、わたくしはこれを一種の<仮託の物語>である、と思うております。仮託とは、即ち表立って物言うことができぬ類の告発や非難、或いは表立って意思表示するのが躊躇われる類の讃美であります。読み進めるとそんな風な思いに囚われるのであります。
仮託というのが仮に一蹴に付されたとしても、少なくとも本書の背景を成す時代が歴史のパッチワークであるとはいえそうであります。第4章にて「ユディト記」がペルシア時代を舞台としていることが語られるからであります。既にペルシア時代には滅亡しているアッシリアはまだ健在で、しかもバビロニア王ネブカドネツァルの支配下にある。わたくしは「ユディト記」がアッシリアの王としてかれを紹介するのは、ネブカドネツァルがアッシリアの覇権をも握ったがゆえである、と単純に思うて特になんの疑問も持たぬでありますが、如何なものでしょうか。
 しかし、われらは史書の誤りを見附けて、それについて検証するのではない。パッチワークされた歴史を背景としているとはいえ、われらが読むのは1人の敬虔なユダヤ人女性ユディトの物語である。彼女は1つの巨大な力に屈しかけた同胞を救うべく、神への信頼のみを基にして機知を巡らせて遂にこれを退ける。それゆえに彼女はユダヤ人社会にて讃えられ、感謝され、語り継がれる存在となった。むろん、それは日々蓄積されてゆく歴史のなかでは小さな出来事でしかない。しかし、ユダヤ人の共同体に於いてはエポック・メイキングな出来事であった——大袈裟というなら他にどのような言があるのか——。それゆえに、彼女の名を冠した書物が書かれるに至ったのであろう。
 これまで読んできたなかでいちばん性格の似たものを探すなら、おそらくそれは「エステル記」ということになるでしょう。エステルもユダヤ人を守るために機知を働かせて行動し、兄たちの強力を仰いで同胞の全滅を回避させた。ユディトは精神的な意味でエステルの系譜を継ぐ女性といえましょう。新共同訳では本書のあとにギリシア語訳の「エステル記」が続くのですが、これもなかなか奇遇な配列でありますね。
 「ユディト記」は少なくともヘレニズム時代にはおおよそが成立していた、と考えられます。それを示す事柄のうち、読者がすぐに遭遇するのは第3章に登場する町、スキトポリスでしょう。スキトポリスという町は、われらのよく知る名前でいえば、ベト・シェアンであります。ペリシテ人がサウル王の遺骸を城壁に曝したのがベト・シェアンでありました(サム上31:10)。ヘレニズムとはアレクサンダー大王の時代から前30年のプトレマイオス朝エジプトが滅びるまでの約300年を指す。
 ジークフリート・ヘルマンは本書の成立について、——
 「ユディト物語の歴史的背景は前4世紀のもので、その物語は前300年頃に生じ、伝えられ行ったと見ることができる。もちろん、拡張されたユディト記の成立は前2世紀であったと思われる。それはマカベア時代で、アンティオコス4世の時にヘレニズム化した人々とユダヤ人が戦ったのである。」(『聖書ガイドブック』P179 教文館)
——これに付け加えるべき言葉はなさそうであります。ただ、「ダニエル書」が終盤に於いてやはりヘレニズム化した社会との衝突を告げていることだけ、触れておきます。
 それでは明日から、(予定より数日遅れで)「ユディト記」を読んでゆきましょう。◆

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