第1551日目 〈ユディト記第1章:〈ネブカドネツァルとアルファクサドの戦い〉他with今日からMacで原稿を書きます。〉 [ユディト記]

 ユディト記第1章です。

 ユディ1:1-6〈ネブカドネツァルとアルファクサドの戦い〉
 アッシリアの王ネブカドネツァルの治世第12年のことである。メディアの王アルファクサドがこれを警戒し、首都エクバタナを要塞化した。そうして両者はそれぞれ自軍を持って衝突した。於ラガウ領内平野。
 このとき、メディアの側についたのは丘陵地帯のすべての民、ユーフラテス川・ティグリス川・ヒダスペス川の流域の人々、エラム人の王アリオクの平野の住民すべて。その他多勢。かれらはケレウド人の戦列に加わった。

 ユディ1:7-12〈ネブカドネツァルの怒り〉
 アルファクサドの行動を承けてネブカドネツァルはペルシア並びに西方諸国へ使節を遣わして、共闘してメディア軍に当たるよう号令を掛けた。
 が、西方諸国の民は皆ネブカドネツァルを嘲り、誰一人として従おうとしなかった。ゆえにネブカドネツァルは怒り、必ずやキリキア、ダマスコ、シリア全域に対して制裁を加え、モアブの住民、アンモン人、ユダヤの住民、2つの海の境界に至るエジプトに住まう民をすべて滅ぼす、と、その王座その王国に賭けて誓ったのである。

 ユディ1:13-〈ネブカドネツァル、アルファクサドを討つ〉
 ネブカドネツァル王の治世第17年のこと。かれはメディア軍を散らし、都エクバタナを陥落させ、「誉れに満ちたこの町を汚辱にまみれさせた。」(ユディ1:14)
 そうしてネブカドネァルはラガウの山中でアルファクサドを投げ槍で刺し殺したのだった。ネブカドネァルはこの戦いに参加したすべての同盟軍の者らと共に首都ニネベに凱旋して、120日間に渡って行われることになる祝宴を催した。

 多くの書物が「ユディト記」の歴史記述に疑問を呈します。本章に即していえば、ネブカドネァルがアッシリアの王位に就いている点がいちばん大きいか。実際にかれがアッシリアを攻撃して首都ニネベを陥落させたことはなく、前612年にバビロニア帝国がアッシリアをその版図に加えたのはネブカドネァルの父王ナポポラサルの御代であった。また、ネブカドネァルがメディア王アルファクサドと戦ってこれを破った事実も伝えられていないことなども、ここで申しあげておいてよいでしょう。
 為、人々は「ユディト記」を指して、史実を背景とした書物ではない、といいます。史実に即していない、という点については本ブログも異議を挟むものではありません。が、同時にそれゆえに本書の価値が一段も二段も落ちるものであるとも考えておりません。
 われらが知る<経験された歴史>から乖離した、<想像された歴史>を背景としてはいますが、「ユディト記」の物語は神を信じぬ列強国に対してユダヤが如何にして抗って、信仰と希望と愛を貫いたかを教えるものであります。それに添うよう自在に歴史をパッチワークしていることが、果たしてどれだけ咎められる事柄なのでありましょうか。そんなこと、全然問題ではない、とさんさんかは考えます。
 大切なのは、外圧に屈することなく、強い力に怯むことなく、信念を貫いた人物(ユディト)の気高さであります。そうしてそれを信じて支えた共同体の意思であります。そのあたりを見誤ってはならない、と思います。
 なお、本書に現れる歴史解釈についてはジークフリート・ヘルマンがどういうておるかは、既に昨日〈「ユディト記」前夜〉にて触れた通りであります。



 まだ馴れない、というか、本日の原稿がiMacで書く初めてのものであります。以前仕事で足掛け6年程Macを使ったことがあるとはいえ、それはG4とかG5の頃である。私的にはPCの使い始めからWindowsを使ってきた身としては、Mac使用は今回が殆ど初めてに等しいのである。
 なぜMacだったのか、については憧れと偶然の采配による、としかお答えしようがないけれど、なにはともあれ、もうわたくしはiMacを購入してしまった。そうしていまこうして初めてMacでそれなりの長さの原稿を、Pagesを使って書いている。モレスキンに書いた下書き(とはいえ第一稿というてもよいのだが)があるお陰でそれ程大変な思いをしていないのが幸いだけれど。
 いまはまだ勝手の違いに戸惑って右往左往しているが、じきにPagesにも馴染めると思います。いや、馴染まなくっちゃ。◆

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