第1563日目 〈ユディト記第13章:〈ユディト、ホロフェルネスの首を取る〉&〈ユディト、ベトリアに帰る〉with『シャイニング』前日譚製作って本当?〉 [ユディト記]

 ユディト記第13章です。

 ユディ13:1−10 1/2〈ユディト、ホロフェルネスの首を取る〉
 夕刻になって宴はお開きとなり、ホロフェルネスは天幕で酔い潰れていた。ユディトは婢女と宦官バゴアスへ、これからお祈りに行ってくる、と伝えて、天幕へ忍びこんだ。
 時は満ちた。ユディトは寝台の枕辺にあったホロフェルネスの短剣を手にして振りかざし、アッシリア軍総司令官の首を切り落とした。ユディトは体から切り落とされた首を天蓋の垂れ絹に包み、外で待機している侍女へ手渡した。侍女はベトリアを出発する際、食糧を入れてきた袋にそれを放りこんだ。
 そうして2人は、来たときとは違う道を通って、一路ベトリアへ帰っていった。

 ユディ13:10 2/2−20〈ユディト、ベトリアに帰る〉
 ユディトと侍女は山間の道を進み、町の門まで辿り着き、番兵たちへ開門を求めた。門は彼女たちのために開け放たれた。
 ⎯⎯ユディト還る。それは誰の耳にも信じられぬ一報であった。町の人々はこぞって門の内側へ押し寄せた。生きて還ってきたユディトを一目見たいという一心からであった。そのなかには指導者オジアたちもいた。
 ユディトは町の民の前で神を讃美したあと、袋から敵将の首を取り出した。「主は女の腕をもって彼を討たれたのです。わたしの歩む道を守ってくださった生ける主に誓って申します。わたしの容色は彼を魅了し、滅ぼしましたが、この身が汚され、辱められるようなことは決してありませんでした。」(ユディ13:15ー16)
 彼女の行動に感嘆したベトリアの人々は神に礼拝して、ユディトの勇気ある行動によって町が守られたことについて感謝をささげた。オジアがいった、「神がこれをあなたの永遠の誉れとし、/数々の恵みをもって顧みてくださるように。」(ユディ13:20)

 ユディトは計画を立て、これを実行・成就させた。そうして侍女共々故郷の町へ凱旋した。
 しかし、物語はまだ少し続く。ユダヤ人は司令官を失って混乱しているアッシリア軍に戦いを挑む。否、戦いを挑むといえば聞こえはいいが、実際のところは次章の小見出しにもなっているように<掃討>というのが正しいところであり、一歩間違えば溺れているものに石を投げるにも等しい行為でもあります。が、存亡を賭けた<戦争>であれば、正論などいってられない。生き残るために目の前の敵を討つ。人道的にはともかく、戦争に於いてはそれ以上の正論はないのかもしれません。⎯⎯以上、第14章の予告でした。



 スティーヴン・キングの第3長編『シャイニング』はスタンリー・キューブリックによって映画化され、後年これの出来を快く思わなかった原作者の脚本・総指揮でテレビ・ドラマ化された。現在、その前日譚の企画が進行中と仄聞したのはいつ、どこでだったろう。小耳に挟んだ噂によると、この企画に原作者はまったく関与できないそうだ。
 この話が事実であるならば、一度ヒットしたSF/ホラー映画の前日譚を製作、映像化する今世紀の風潮は、ついにキング作品にまで及んだらしい。
 が、『シャイニング』についてはそれらとは別次元の問題として処理したい。元々キングは『シャイニング』をシェイクスピアに倣って5幕より成る悲劇として構想していた、という。そのためか、本編開幕以前のホテルの歴史をスケッチ風に描いた、「BEFORE PLAY」なる前日譚が存在する、と、1980年代後半に出版された日本初のキング研究書『COMPLETE STEPHEN KING』にある。図書館の蔵書を検索してお探しになってみてほしい。
 斯様に最良の参考文献があるにも拘らず、どうして前日譚の制作スタッフはそれを活かそうとしないのだろう。少なくともキング本人に、いまでもその原稿があるか否かだけでも確かめる価値はあったのではないだろうか。あるならそれを基に正統的な前日譚を制作すればいい。この程度でも<関与>といわないならば、の話になってしまうが……。
 そうしてもし既に失われた原稿であるならば、少なくともキング・サイドがそうコメントしたのであれば、意を新たに傑作を損なうことのない良質な前日譚を作ろう、と意気込めばよいだけのことだ。
 むろん、そこまで製作陣が手間隙を掛けていれば、という前提に基づいての話ですが、ね。
 企画倒れになってほしいような、われらの手許に届けてほしいような、キング・ファンとしてはちょっと複雑な心境であります。◆

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