第1564日目 〈ユディト記第14章&第15章1/2:〈掃討作戦〉、〈アンモン人アキオルの改宗〉&〈震撼するアッシリア軍〉with旧約聖書続編の読書ノートについて、かつて真剣にみくらさんさんかが悩んでいたこと。〉 [ユディト記]

 ユディト記第14章と第15章1/2です。

 ユディ14:1−5〈掃討作戦〉
 ユディトは、この首を城壁の上の胸壁から吊るしてください、といった。そうして町の男子に、夜が明けて太陽が昇ったら武器を手にして町の外に出て、指揮官を置いていまにもアッシリア軍に攻めこむ素振りを相手に見せてください、といった。しかし本当に山を下りたりしないように。敵がそう思いこめばいいのです。
 ユディトは続けて曰く、⎯⎯
 わたしたちの様子はアッシリアの陣営の兵士から将軍に伝わり、ホロフェルネスに報告されることとなります。が、もはやそこに生きたかれの姿はありません。かれの屍が転がるばかりです。アッシリア軍はたちまち恐怖に駆られ、てんでばらばらに逃げ出すことでしょう。その時こそ皆さんの出番です。手にした武器を掲げて山を下り、かれらを追撃してこれを討つのです。
⎯⎯と。
 そのあと、ユディトは町の民に提案した。アンモン人アキオルに首実検させよう、と。

 ユディ14:6−10〈アンモン人アキオルの改宗〉
 ユディトは持ち帰ったホロフェルネスの首が、確かにかれのものであるかどうか、アキオルに確かめさせよう、と町の民に提案した。民に異存はなかった。
 指導者オジアの家に寄留していたアキオルが呼ばれた。かれはユディトの手にホロフェルネスの首があるのを見て驚愕し、その場で気を失って倒れてしまった。しばらくして意識を取り戻したアキオルは、事の次第をユディト本人の口から聞かされて感嘆した。
 斯様な出来事のあとでアキオルはイスラエル/ユダヤの神を固く信じるようになったのである。また割礼を受けて、まことユダヤ人社会の一員となった。

 ユディ14:11−15:3〈震撼するアッシリア軍〉
 ベトリアの住民が戦闘の準備をしている様子を見たアッシリア軍の兵は上官にそれを伝達し、指揮官たちはホロフェルネスに報告するため天幕へ来た。が、そこに報告して指示を仰ぐべき相手はおらず、代わりに首のないホフロフェルネスの死体が転がっているだけだった。また、かれと最後まで一緒にいたヘブライ娘ユディトの姿も、どこにもなかった。
 ⎯⎯この期に及んでようやく宦官バゴアスたちはユディトの計画を知るに至ったのである。「ネブカドネツァルの王家はたった一人のヘブライ女に恥辱を受けたのだ」(ユディ14:18)と、バゴアスは叫んだ。
 この事件に動揺したアッシリア軍は、てんでばらばらになって逃げ出した。平野に駐屯していた兵たちも、山地に陣を張って進軍に備えていた兵たちも、ベトリアの町から近い場所に陣を構えていた兵たちも、皆。
 そうして、斯様に総崩れとなったアッシリア軍に、全イスラエルの兵士たちが一斉に攻撃を仕掛けたのであった。

 どれだけ強力を誇る軍であっても、最高司令官を失えば張り子の虎に過ぎぬ⎯⎯普遍の事実ではないでしょうが、書物など読んでおりますと、昔になればなるほどその傾向は顕著であり、また専制国家の持つ軍についても同じ傾向があるように感じます。
 引用もしたバゴアスの台詞は悲痛です。



 早々に「ユディト記」読書を終わらせて気持ちが緩んでいたようであります。うっかり昨日の原稿を更新しておくのを忘れていました。何の気なしにiPhoneでブログのチェックをしなかったら、丸1日放置してしまうところでした。
 書き溜める予定のエッセイも概ね案だけでそこから先へは進んでおらず、会社帰りにスタバその他によっても生産的なことは殆どしていない。ぼんやり窓の外を見たり本を読んだり、偶にノートを開いて心に思い浮かぶ由なきことを書き留めるが精々で。
 そろそろ「ギリシア語によるエステル記」に取り掛からなくてはなぁ、と心のなかでぼやいたりしても、どうにもこの重くて固い腰はあがらない。困ったものよ、と呟いてみても目の前の状況が劇的に変化することはなく、ならば明日は仕事帰りに資料漁りに図書館に立ち寄るか、場合によってはそのまま空席を見つけて「前夜」の第一稿に手を付けようか、と考えてみたりする。⎯⎯と書いた時点で、行動はほぼ決定している、ということでもあるわけですが。
 が、或る意味で厄介なこの「ギリシア語によるエステル記」を終わらせれば、次は「マカバイ記」である。いままで読んできた「トビト記」や「ユディト記」と異なり、<歴史書>に属する「マカバイ記」である。聖書に於いて<歴史書>を読むのは、実に「歴代誌」以来のこと。「歴代誌」を読んだのは、なんと約4年も前のことだ。途中耳のことやらなにやらで悩み、その結果1年ぐらいブログを放置しちゃったこともあるけれどね。
 実は<12小預言書>を読んでいる頃から、旧約聖書続編の読書ノートについて頭を悩ませていました。これまで通りすべての書物、すべての章のノートを読むか。或いは「マカバイ記」と「知恵の書」、「シラ書」だけで終わらせるか。悩んでいるさなかにも続編開幕の時は迫り、結論を出せぬままその日は来て、〈旧約聖書続編前夜〉と〈「トビト記」前夜〉の原稿をお披露目することとなった。そうしていつもの流れに身を委ねたまま、今日を迎えている。
 もう一つ正直にいえば、旧約聖書のときと違って続編に取り掛かっている現在は、読書していてもノートしていてもそれをPCで入力していても、頗る充実感がないのだ。読書するにもノートするにも以前と変わらぬ態度で臨み、文章についてもそれは同じなのですが……。急な方向転換や突飛なことはせず、これまでのスタイルを守って地道に、堅実に運営し、確実に記事を増やしてゆく以外方法はないのかもしれません。
 旧約聖書続編に関していえば、結局はこれまで通りに全書物の全章を、1日1章の原則で読み進め、読書ノートを作ってゆくことになるでしょう。たぶん「マカバイ記」と「知恵の書」、「シラ書」の3書だけで続編読書を終わらせたら、心のどこかに後悔の念が巣喰うだろう。そうして新約聖書が終わったあとで再び旧約聖書続編に戻って残りの書物を消化する、なんてまったく頓珍漢なことを始めるに違いありません。「ヨハネの黙示録」のあとに読むべき書物があるはずありません。ならば、当初の予定に従って進めてゆくのがいちばん良い方法でありましょう。
 なんだか書いていたら悩みは解決してしまいました。ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。これからもどうぞ宜しく……。◆

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