第1572日目 〈エステル記(ギリシア語)第B章&第3章2/2:〈勅書〉with湘南新宿ラインの車両の窓って、……〉 [エステル記(ギリシア語)]

 エステル記(ギリシア語)第B章と第3章2/2です。

 エス・ギB:1-3:15〈勅書〉
 アルタクセルクセス王の承認を得たハマンは、すべての州のどの地方でも公示するよう厳命した勅書を作成した。帝都スサでもユダヤ人撲滅は勅命として交付されていた。それには王の指輪が印章として押してあったので、ハマンの策略に気附いた者はモルデカイ一人を除いて誰もいなかったのである。人々とは<その日>の訪れに備えた。その頃王とハマンは上機嫌で酒を酌み交わし、互いに酔うていた、という。
 件の勅書の内容は以下の通りである。即ち、⎯⎯
 予は他民族より成るペルシアの恒久的平和を願い、これを維持し、より良き社会とするにはどうしたらよいか、と国の第2の父ハマンに尋ねた。かれが答えていうには、国内には他の民族に敵意を抱く一つの民族がある、この民族は自分たちの法律を尊び、国家の秩序を乱している、と。
 「予は、唯一この民族が常に万民に逆らい、その法律に従って奇異な生活を送り、我々の生活になじまず、最大の悪事を働き、そのため国家が安定していないことを認めざるを得ない。」(エス・ギB:5)
 ゆえに予はハマンを通してこの民族を剣にかけ、容赦なく滅ぼすことを全州の民へ命ずる。<その日>は本年アダルの月の14日である。この民族に敵する者は何人もこれに備えていよ。
⎯⎯と。
 これが、ハマンが王の名の下に帝国全土へ交付した勅書の内容である。

 こちら「ギリシア語によるエステル記」では<或る一つの民族>とぼかした物言いがされていますが、旧約聖書で読んだ「ヘブライ語によるエステル記」でははっきりと、それはユダヤ人である、と明記されています。なぜぼかした物言いが勅書に於いてされているのか、わかりませんが、「エステル記」がギリシア語に翻訳・その過程での増補の際、アルタクセルクセス王の勅書の写しが見附かったなど資料の発見があったのかもしれませんが、真相は相も変わらず藪の中であります……。
 アルタクセルクセス王がユダヤ人に対して斯様な感情を持ってのか否か、定かではない。とはいえ、ここで紹介される勅書はむしろ、ハマンが私怨を晴らすため王の名と指輪の効力を借りて起草した弾劾文である、と考えるのがやはり妥当でありましょう。「虎の威を借る狐」とはまさしくハマンのことであります。ユダヤ人を憎むハマンが王の信任を良いことに自身の私怨を晴らす正当な理由をでっち上げるため、斯様な勅書を作成して帝国領内へ公布したのであります。きっとこれを読んだユダヤ人は周囲の目が豹変したことに慄然たる思いをし、かれらを取り巻く他民族の人々はユダヤ人への態度を改めたことでありましょう。誤った情報に基づく隣人迫害は<その日>が来るまで隠然と存在し、続けられるのです。これは<村八分>や<人種差別>という言葉では括れることではありません。なんというても本書の場合、やがて<ジェノサイド>が確実に訪れるはずなのですから。
 ところで第B章って第3章をぶった切って、なかば無理矢理挿入された参考資料だったんですね。或る意味、こちらの方に唖然とさせられます。



 湘南新宿ラインに乗って田舎へお墓参りに行く途中です。実は本稿、大崎を出た直後の車両のなかで、なんとiPhone/evernoteで書いております。
 というのも、エッセイのネタが目の前に転がっているのを発見、様子見も兼ねてevernoteで下書きをしてみたかったからであります。
 本題ですが、どうして湘南新宿ラインの車両の窓ってこんなに土埃で汚れているんですかね? 見渡したところ、自分の立っているそばのドアの窓だけじゃなくて、車両のすべての窓が同じように、等しく土埃まみれになっているんですよ。まあ、若干の濃淡はあるとは雖も、ね。
 確か三浦しをんが横浜線の車両の窓について同じことを書いていたように覚えているけれど、湘南新宿ラインも負けず劣らず、窓、汚れていますよ。なんというか、平原に突如現れた砂嵐へ真っ向から突入して、嬲られながらも辛うじてくぐり抜けてきた、っていう感じ。そう思うと、なんだかトランペット隊を整列させて凱旋のファンファーレでも手向けたくなってきます。
 関係ないけど、6月に神社検定というのがあるのですね。渋谷駅に電車が入る直前に、受験者募集の標識を見た。どんな内容なんだろ。◆