第1628日目 〈マカバイ記一第11章2/2:〈ヨナタン、デメトリオスを援助する〉&〈アンティオコスとヨナタンの同盟〉withみなとみらいで雀がさえずる。〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第11章2/2です。

 マカ一11:38-53〈ヨナタン、デメトリオスを援助する〉
 戦いが終わって地に平和が戻り、抵抗勢力もなくなったのを見るとデメトリオス2世は、先祖代々セレコウス朝に仕えてきた兵たちを解雇して、傭兵だけを残した。兵たちは皆、王を憎んだ。
 そのなかにトリフォンという者がいた。かれはアラビア人イマルクエを訪ねてシリアを離れた。というのも、このアラビア人はアレクサンドロス・バラスの遺児アンティオコスを養育していたからである。トリフォンはこの遺児を擁立してデメトリオスへ対抗しようというのだった。そうしてかのアラビア人の許より<錦の御旗>たるアンティオコスを連れてシリアへ戻ったのである。
 その頃ヨナタンはデメトリオス王に使者を送り、エルサレム要塞と各地の砦の町に駐屯中のシリア軍を撤収させるよう要求した。これを好機と見たデメトリオス2世は快諾し、即座に交換条件をかれに提示した。即ち、自分への抗議活動と抵抗運動を鎮圧させるため、ユダヤは軍を動員して王を援助せよ、と云々。ユダヤはこれを承けてデメトリオス王に加勢、抵抗する者たちを駆逐してかれらの土地を制圧。生き残った者たちはユダヤ軍の勢いに消沈し、王に和平を懇願した。双方は意義なく講和を結んだ。
 「こうしてユダヤ人たちは王と全国民の前で面目を施し、王国内に名を高め、多くの戦利品を持ってエルサレムに帰還した。しかし、デメトリオス王は、国の玉座に戻り、彼の前にその地が平穏に戻ると、前言を翻し、ヨナタンに対して態度を変え、ヨナタンから受けた恩恵に報いようとせず、彼をひどく悩ませるようになった。」(マカ一11:51-53)

 マカ一11:54-74〈アンティオコスとヨナタンの同盟〉
 ますます驕るデメトリオス2世の前に、アレキサンドロス・バラスの遺児アンティオコスを擁立するディオドトス・トリフォンが立ち塞がった。デメトリオスに裏切られた兵のすべてがトリフォンの下に参集し、かつての主君の退位と追放を求めて戦った。デメトリオスは敗走し、トリフォン率いる象部隊によって首都アンティオキアは制圧された。
 そうして各地でトリフォン=アンティオコス軍とデメトリオス側の残党が小競り合いを繰り返す。そのなかにはヨナタン率いるユダヤ軍もいて、今度はトリフォン側について戦っていた。トリフォン=アンティオコス軍は勝利した。ヨナタンは幼きアンティオコスより大祭司の職能と、ユダヤ、アファイレマ、リダ、ラマタイム各地方の統治を認められ、かつここにトリフォン=アンティオコス勢と同盟を結んだのである。またこの折、兄弟シモンはティルスからエジプト国境に至る地中海沿岸地帯の総司令官に任ぜられた。
 いまやシリア全軍がユダヤ軍と手を組み、親デメトリオスの残党に戦いを挑んだ。アシュケロンで、ガザで、ダマスコで、ガリラヤのケデシュで、ベトツルで。進撃は続いた。
 が、ハツォル平原にて異国人の部隊と戦ったとき、敵の策略にはまってヨナタンの軍は敗走した。軍の総司令官アブサロムの子マタティアとカルフィの子ユダ以外戦場に残った者はいなかった。──ヨナタンは敗走した。が、敗北ではない。かれは衣を裂き、頭から塵をかぶり、祈った。そうして再び戦場へ戻って戦い、親デメトリオスの異国人の軍隊を撃破して、これを退けた。
 ヨナタンはエルサレムへ帰還した。

 翻心と前言撤回は権力者、権力に群がる者の常なれど、代々仕えて戦ってくれた兵士の一斉解雇とそれに伴う反乱、友邦の援助という経験をしてなお、<裏切り行為>を続けるデメトリオス2世は、国民から総スカンを食らい、友邦から背を向けられても仕方ない、と思う。自業自得? そんな生易しい言葉では済まされないでしょうね。
 新キャラとしてアンティオコスの名を持つ者が登場しますが、これはアンティオコス6世(アンティオコス・ディオニュソス)といい、アレクサンドロス・バラスとクレオパトラ・テアの子であります。ふと、バラスの運命の物悲しさを思わされる箇所でありました。



 みなとみらいのヴェローチェで中年雀がさえずる。曰く、──
 MBP/MBAでドヤ顔、iPadでドヤ顔、iPhoneでドヤ顔。書き物していてドヤ顔、読書していてドヤ顔、独り音楽を聴きながらドヤ顔。いったいどこに差があるのだろう? 結局、見る側の偏見、断定、思い込み、もしくは羨望でないか。◆

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