第1630日目 〈マカバイ記一第13章:〈シモン、ヨナタンの後を継ぐ〉、〈シモン、一族の記念碑を建てる〉他with本書についての決意表明〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第13章です。

 マカ一13:1-24〈シモン、ヨナタンの後を継ぐ〉
 トリフォンが本腰を入れてユダヤ滅亡に乗り出したと聞くと、ユダヤ人は皆震え上がり、怖じ気づいた。シモンは民の間に動揺と不安が広がるのを押さえるため、エルサレムへ上って、民を集めてこう言った。曰く、──
 「諸君は、わたしとわたしの兄弟たち、またわたしの父の一族が、律法と聖所のために何をしてきたか承知のことと思う。我々は、幾多の戦いと苦難に遭遇してきた。これらのことでわたしの兄弟はイスラエルのために一人残らず殺され、わたしだけが一人残された。こうなった今、どんな艱難に出会おうともわたしは命を惜しまない。わたしは兄弟たちよりも優れた者ではない。すべての異邦人が敵意をもって我々を壊滅に追い込もうと集まっている。この際わたしは、わが民族、わが聖所、諸君の妻子のために復讐を誓う。」(マカ一13:3-6)
 民の心はシモンの言葉によって喜びに湧き、奮い立った。そうして、ヨナタンの跡を襲ってユダヤの指導者になってほしい、われらはあなたの言葉に従おう、われらはあなたと共に戦い、どんな命令にも従おう、と言った。シモンは諾った。
 斯くしてシモンはユダヤの指導者として立った。かれは全兵士を召集して、対トリフォン戦の準備を進めた。その一方で、エルサレムの城壁の完成を急がせ、周囲の防備を強化していった。
 その頃トリフォンも軍隊を率いてプトレマイオスの町を出、ユダヤ領内へ侵入していた。ヨナタンは未だトリフォンの掌中にある。そのヨナタンに代わって立ったシモンに宛てて、トリフォンはヨナタン釈放の条件を通達してきた。曰く、銀100タラントンを支払えばヨナタンは釈放しよう、その後ユダヤはシリアに逆らわぬ証としてヨナタンの息子2人を引き渡すのだ、と。
 逡巡の末、シモンはトリフォンの通達に従うことにした。あとになって、ヨナタンが殺されてしまったのはシモンが釈放の交換条件に首を縦に振らなかったからだ、と陰口を囁かれるのを恐れ、民の間に憎しみの心が生まれるのを恐れたからであった。勿論、シモンはこのトリフォンの言葉が真実でないことを知っていた。隠された意図があることを知っていた。それでもかれは、ユダヤの人心が揺らぎ、いらぬ内紛の起こることを避けたかったのである。結局、シモンは銀100タラントンを支払い、ヨナタンの息子2人をシリアに引き渡した。
 が、ヨナタンが釈放されることはなく、トリフォンはユダヤ侵攻を進めた。とは言え、行く先々でユダヤの頑強な抵抗に遭い、なかなか思ったような戦果は上げられなかった。
 或るときのこと。トリフォンはアドラの町を目指したが、ユダヤ軍の抵抗に遭って進路を阻まれ、道を迂回せざるを得なくなった。すると今度は大雪に見舞われてそれ以上進むこと能わず、ギレアドに転進した。そうしてゲネサル湖の北にあるバスカマ近郊でヨナタンを殺害して、亡骸をそこに埋めた。トリフォンは自分の国へ帰還した。

 マカ一13:25-30〈シモン、一族の記念碑を建てる〉
 兄弟ヨナタンの死を知ったシモンは、人をやってかれの亡骸を掘り起こさせ、エルサレムへ持ち帰らせた。そうして先祖の町モデインに埋葬した。
 「シモンは、父と兄弟たちの墓の上に記念碑を建てたが、それは裏も表も滑らかに磨かれた石で飾られ、高くそびえたっていた。また父母と四人の兄弟のために、互いに向き合う七つのピラミッドを建立した。更にそのピラミッドと調和した巨大な石柱を周囲に建て、これらの石柱の一本一本に永遠の名を記念して、甲冑を彫り込み、海路を行く者が皆見ることのできるよう、甲冑の傍らに船を刻んだ。彼がモデインに作ったこの墓碑は今日に至るまで残っている。」(マカ一13:27-30)

 マカ一13:31-38〈シモンの第一年〉
 トリフォンは自分が擁立したアンティオコス6世を欺いて殺害し、王となってアジアの王冠を戴き、この地に大きな災いを引き起こした。
 シモンはユダヤ領内の各地に新しく砦を築き、その周囲に城壁を巡らせて見張り塔を造った。一方でデメトリオスに書簡を送り、トリフォンの所業が略奪であることを理由に免税を願い出た。デメトリオス王の返書に曰く、──
 わたしはユダヤとの完全なる友好を確立させる用意があり、免税の手筈を整えるよう既に担当者へ伝えてある。「あなたがたに約束したことは確かに履行されている。」(マカ一13:38)
──と。
 前143年(第170年)、イスラエルは敵の軛から解放された。
 それゆえに民は、自分たちの書く公文書や契約書にこう記すようになる。即ち、<偉大なる大祭司にしてユダヤ人の総司令官、指導者であるシモンの第一年>と。
 シモンとユダヤ軍はエルサレム北西、平野部の町ゲゼルに向けて陣を敷き、ここを攻撃した。ゲゼルの民がシモンに哀願したので、この町に駐屯していたトリフォン側の兵は追い出され、シリアが崇拝する神の偶像を引き倒したりしてそのすべてを取り除き、これを祀っていた家という家は清められた。「こうして汚れたすべてのものを町から取り除き、律法を順守する者たちをそこに住まわせた」(マカ一13:48)のである。
 シモン自身も、この清められた町ゲゼルに家族共々移り住んだ。

 マカ一13:49-53〈要塞の清め〉
 エルサレムに駐屯するシリア軍は周辺地域から孤立した。周囲は既にユダヤが完全掌握して、そこからシリア軍は放逐されていたからである。エルサレムのシリア軍は窮乏してゆき、ついに餓死する者が続出した。そこでかれらはシモンに哀願して、慈悲の右手を差し伸ばしてくれるよう懇願した。
 「第百七十一年の第二の月の二十三日にシモンとその民は、歓喜に満ちてしゅろの枝をかざし、竪琴、シンバル、十二絃を鳴らし、賛美の歌をうたいつつ要塞に入った。イスラエルから大敵が根絶されたからである。 」(マカ一13:51)この日は祝日に定められた。
 シモンは要塞の近くにある神殿の丘の守りをよりいっそう強化させ、仲間と共にエルサレムへ移り住んだ。ゲゼルの町には代わってかれの息子、成人したヨハネが住んだ。

 喜びに湧くユダヤ人たちの姿を想像しましょう。ここに至って遂に、再びエルサレムは完全なるユダヤの都となった。かれらはかつての王都の完全奪還を果たしたのだ。万歳!



 これまでも<呟き>程度にこぼしてきたが、本章の清書をしながら改めてここに、正式に表明する;旧約聖書続編のノートが終わって新約聖書に入るまでの間に、「マカバイ記一」のノートを書き改めて<新稿>として読者諸兄にお披露目することを。誓います。悠久の希望に賭けてこれを誓う。
 時期? うぅん、たぶん来年でしょうね。えへ。◆

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