第1632日目 〈マカバイ記一第15章:〈アンティオコスの呼びかけ〉、〈アンティオコス、トリフォンを攻める〉他with東京嫌い、横浜好きのささやかな疑問。〉 [マカバイ記・一]

 マカバイ記一第15章です。

 マカ一15:1-10〈アンティオコスの呼びかけ〉
 デメトリオス2世(ペルシア・メディア地方にて虜囚中)の弟アンティオコスは、地中海諸島の一つからユダヤの統治者シモンに宛てて書簡を送った。曰く、──
 わたしアンティコオス・シデテスはユダヤに対して、税と貢を免除し、独自の貨幣の鋳造と流通することを許可し、軍備とすべての砦の所有を認め、エルサレムと聖所の完全なる自由を承認する。 
 わたしアンティコオス・シデテスは、シデの地から海路を使って混乱と害悪が跋扈する先祖の国へ上陸し、国を荒廃させ、王国内の諸都市を破壊した蛮人どもを駆逐・追放するつもりでいることを、ここにお伝えしておく。
──と。
 このアンティオコス・シデテスこそアンティオコス7世である。

 マカ一15:11-14〈アンティオコス、トリフォンを攻める〉
 前139年(第174年)、アンティオコス・シデテスはシリアへ上陸してトリフォンを追撃した。トリフォンを守る兵はわずかの数でしかない。殆どがアンティオコスに従いたからである。
 アンティオコスは海に面した町ドルへ、トリフォンを追い込んだ。町は海路も陸路も封鎖され、孤立した。

 マカ一15:15-24〈ローマ、ユダヤを支持する〉
 その頃ユダヤには、ローマへ同盟更新に赴いていた使節ヌメニオスの一行が帰還している。ヌメニオスはローマの執政官ルキウス・リキニウス・クラッススから諸国の王に宛てた書簡を携えていた。それに曰く、──
 「我々は、諸国民とその王たちに、進んで書状を送ることにした。それは、彼らがユダヤ人たちに危害を加えぬよう、ユダヤ人とその町や国土を戦争に巻き込まぬよう、またユダヤ人の敵対者と同盟を結ぶことのないようにするためである。 我々は、彼らから盾を受領することにした。従って、彼らの国からあなたがたのもとに、害悪を及ぼす者が逃げ込んで来たならば、その者たちを大祭司シモンに引き渡し、彼がユダヤ人の律法に従って罰することができるようにしていただきたい。 」(マカ一15:19-21)
 執政官ルキウスは同じ内容の書簡を、プトレマイオス王、デメトリオス王、アタロス、アリアテラス、アルケサスの諸王に宛てたのみならず、ローマ領内全域の役人たち、そうしてユダヤの統治者にして大祭司であるシモンに書き送った。

 マカ一15:25-41〈アンティオコス、シモンを裏切る〉
 シリア軍によるドルの町包囲は続いていた。ユダヤのシモンはアンティオコス7世に援軍を差し向けたが、王はこれを拒んだ。それのみならず、先の書簡で約束した協定のすべてを破棄して、ユダヤに対する態度をすっかり変えたのである。
 王は高官アテノビオスをエルサレムのシモンに派遣して、斯く通告させた。ユダヤが不当に占拠しているヤッファ、ゲゼル、エルサレムはシリアの所有する町である。ユダヤはこれらの地に大きな損害を出し、荒廃させた。速やかに銀500タラントンを破壊と租税の賠償として支払え。拒否すれば、われらは軍事行動に移る。
 シモンはアテノビオスの台詞を聞くと、こう答えて曰く、──
 「我々は他国の土地を奪ったことも、他人の土地を支配したこともない。これは、我々の先祖の遺産であるのに、不当にもある期間敵によって占領されていた土地である。我々は、時を得て、先祖の遺産を取り戻したまでだ。
 しかし、あなたが要求しているヤッファとゲゼルについて言えば、これらの町々は、我々の民と領土に対して、大きな損害をもたらしたのである。だが、これらの町のために百タラントンを支払おう。」(マカ一15:33-35)
 アテノビオスは憤慨して帰国した。アンティオコス7世は激怒した。王は高官ケンテバイオスを海岸地方の総司令官に任命すると、オルトシアへ脱出したトリフォン追撃と、こまっしゃくれた態度を取るユダヤ攻撃を命令した。

 文中にも記したとおり、アンティオコス・シデテスは歴史書等ではアンティオコス7世として知られる人物であります。かれはデメトリオス1世(デメトリオス・ソーテール)の子で、デメトリオス2世(デメトリオス・ニカノル)の弟。育った町とされるシデは、小アジア沿岸の町であった。かれは兄嫁クレオパトラ・テアを娶り、トリフォンを討ってセレコウス朝シリアの新たな王位に就いたのでありました。
 聖書には「ルキウス」(マカ一15:16)としか記されぬ人物は誰か? 古代ローマに於いてルキウスの名を持つ人物は何人もいるけれど、ここに名を留めるのは、共和政ローマ最高の弁論家であり、政治家であったルキウス・リキニウス・クラッスス(前140-91年)であった。同盟市戦争の原因となった法案を採択したことで知られる。
 このルキウスが採択した法案とは、<ローマ市民権なき者ローマに住むこと能わず>というものだった。そうして実際、ローマ市内から市民権なき者たちが追放された。これに反発したローマ連合に参画する諸都市の民が、一斉に蜂起して勃発したのが同盟市戦争である。
 ヤッファ、ゲゼル、エルサレムとその周辺地域の一括返還を、アンティオコス7世は求めたのだろう。が、シモンにそんな気はまったくなかった。
 ──ユダヤが不当な占拠をしている、と非難されて然るべきは精々がヤッファとゲゼルで、少なくともエルサレムはかつて一度もあなた方の町であったことはない。古い世からここはわれらユダヤの都であった。われらは先祖の遺産であったエルサレムとその周辺地域を取り戻しただけである。──シモンの主張は正しいし、後世の読者たるわれらもそれに異を唱える理由などまったくないのであるが、アンティオコス7世を激怒させるにはじゅうぶんな返答であったろう。
 一括返還を求めたのに、「それはそれ、これはこれ」と問題を切り分けて、エルサレムについては譲らず、ヤッファとゲゼルはわれらを脅かした町だから攻めて占領したのだから、銀100タラントンを支払うに吝かではない、と言われてしまっては、王も激怒して当然かもしれません。アテノビオスが報告したその他諸々のこと;シモンの生活ぶりなどについては、おそらく王にとってはそこまで重要事ではなかったことでありましょう。
 なお、トリフォンが海の警備の隙を突いて脱出、向かった先であるオルトシアの位置などは未詳であります。
 ……それにしても、「マカバイ記一」も終盤になって、ようやくノートがまとまりを見せ始め、本来あるべき姿になってきたようであります。まあ、なにもできぬまま終わるよりは良いかもしれませんが。



 三鷹とか吉祥寺のいったいどこが良いのか、さっぱり理由がわかりません。
 かくも鬱然として、かくもサラダボウル的な町のいったいどこが良いのか?
 憧れと現実の折り合いをつけられるのかしら、ここを求めて彷徨ってきた人たちは?
 やっぱり横浜最強。ここ以上に暮らしやすい町が東京都にあるのかな。◆

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