第1639日目 〈マカバイ記二第3章:〈シモンの裏切り〉&〈ヘリオドロス、罰せられる〉withTwitterを始めたお陰かな、〉 [マカバイ記・二]

 マカバイ記二第3章(ヘリオドロスの物語)です。

 マカ二3:1-23〈シモンの裏切り〉
 聖なる都エルサレムは完全な平和の裡に治められ、律法もとてもよく守られていた。諸国の王がこの都に奉献し、神殿は満たされていた。
 そんな時代、ユダヤ人でレビ族に属するビルガ族のシモンが大祭司オニヤ3世と言い争った。シモンは神殿総務の長であり、オニアとは都の市場の経営方針を巡って諍いになったのである。彼は自分が不利だと知るや、セレコウス朝シリアの高官で、当時コイレ・シリアとフェニキアの総督を務めていたアポロニウスに援助を求めた。神殿に備蓄されている莫大な金のことを報告、これをシリア王の権限下へ置くことを提案し。
 アポロニウスはシリアの王セレコウス4世に謁見した折、ユダヤ人シモンからもたらされた情報を伝えた。王は宰相ヘリオドロスに事の真偽を確かめさせ、事実であれば、その金を神殿から運び出して王の宝庫を満たすように、と命じてエルサレムへ派遣したのである。
 ヘリオドロスはエルサレムへ入った。そうして大祭司オニアに問い質した。するとオニヤが、あの裏切り者シモンがどんな風に言ったのかは知らないが、と前置きした上で、こう言った、その金は寡婦や孤児のための寄託金であり、他にはトビア家のヒルカノスのものがあるだけだ、と。「人々はこの場所が神聖であり、全世界の崇敬の的であるので、不正など起こりえないと信じている。どうしてその人たちを裏切るような支出ができようか。」(マカ二3:12)
 ……オニアの訴えは聞き入れられなかった。ヘリオドロスは王命を盾にして、神殿に備蓄された金を王の宝庫のために没収する、と主張して譲らなかったのである。
 ──祭司たちは主に嘆願した。大祭司の姿からは苦悶と懊悩の様子がまざまざと伝わってきた。その姿は見る者の心を痛め、聖所の危機を民に訴えかけた。男も女も未婚の娘も行動して、主に哀願した。
 が、ヘリオドロスは決心を実行した。

 マカ二3:24-40〈ヘリオドロス、罰せられる〉
 ヘリオドロスは護衛兵と共に神殿の宝庫へ入った。するとその前に、「霊とすべての権威を支配する者」(マカ二3:24)が顕れて、ヘリオドロスたちを驚かせた。思わず震え上がってしまうような姿の騎士が絢爛たる馬具で飾り立てた馬に乗り、ヘリオドロスへ襲いかかる。騎士とヘリオドロスの間に2人の筋肉隆々たる若者が現れて、ヘリオドロスを左右から激しく鞭打った。かれは倒れて意識を失い、深い闇に抱かれた。
 護衛兵たちはヘリオドロスを長持ちに乗せて、神殿から運び出した。「今し方、多くの随員と護衛兵とを従えて前記の宝庫に侵入した男は、武器に手をかけるいとまもなく、神の力をまざまざと見せつけられるはめになったのである。彼は神の力に圧倒されて声もなく、一切の希望と救いを剥奪されて捨て置かれた。」(マカ二3:27-29)
 「他方、人々は、聖所で不思議な業をなさった主を賛美し続けていた。こうして、つい先程まで恐怖と混乱の支配した神殿が、全能の主の出現のおかげで、歓喜にあふれることになったのである。」(マカ二3:30)
 ──ヘリオドロスは悔い改め、ユダヤの人々と大祭司オニヤに感謝して、帰国した。セレコウス4世に謁見、すべての者たちの前で一切合財を報告したかれは、王に、次にエルサレムへ派遣するとしたらどのような者がよいか、と問われて、こう答えた、──
 「もし王に敵対する者や謀反人がいるようでしたら、その者をお遣わしください。仮に命を落とさないまでも、さんざん鞭打たれて戻ってくることになるでしょう。間違いなくあそこには、神の軍勢が宿っているのです。天にお住まいの方が、かの聖所の守護者、助け手であって、悪事をたくらんでやって来る者を討ち滅ぼしてしまわれます。」(マカ二3:36-39)
 ──以上、ヘリオドロスと宝庫の守護の物語。

 今回災難に遭ったのは、セレコウス朝シリアの高官、コイレ・シリアとフェニキアの総督ヘリオドロスでありました。かれの改心の物語として、簡潔に、しかも豊かに、あたかもブラームスの音楽の如く印象深い掌編であります。エルサレムでの経験を王の御前で声高らかに報告し、かつ最後の台詞など信心の強さを感じさせる者となっておりますね。
 では、コイレ・シリアとはいったいどのあたりの地域をいうのでしょう。コイレ・シリアとは「窪んだシリア」のギリシア語訳、シリア地方の南部一帯を指しておりフェニキア、ユダヤを包含、今日でいうところのシリア、ヨルダン、レバノン、イスラエル、パレスティナをいいます。
 第3章の時代、エルサレムは平和で、篤信の都であった。大祭司オニヤが敬虔な人であり、悪を憎むことについては誰にも優る人物ゆえの現象だったでありましょう。考えてみれば、エルサレムがこのような人物を祭司・大祭司に戴いたのは、このときが初めてだったのではないでしょうか。むろん、その者の名前が聖書に記載されている、という前提での物言いであります。
 ──実は本書「マカバイ記二」からフランシスコ会訳の聖書を参考に用いています。持ち歩いているわけでなく、外で原稿を書く日(=会社に行っている日)は当該章のコピーをB5サイズで取って持ち歩き、自宅に在っては直接その書物を開く。傍注や図版の参照がいまは専らですが、本文についても今後適宜参照してゆくことでしょう。個人的な印象を述べれば、フランシスコ会訳は新共同訳よりも読みやすいですよね。2回目の聖書読書はこちらで行おうかな、と考えているところであります。



 本ブログにて以前、Twitter始めました、ということをお知らせしました。この一週間あまりは毎日午前2時の更新に合わせて、その旨自動投稿するよう設定しています。時々ミスりますが、どうやらこれは、いったん予約投稿した原稿へ修正を加えた際に発生するらしい。
 それはともかく、Twitterを始めたせいなのかはわかりませんが、爾来本ブログへの訪問者数がわずかながらも増えてきています。慶賀というべきかもしれません。地味に存在し、多くに知られず、題材も一般的でない本ブログとしては、とても喜ばしい出来事でありますよ。
 これが高度成長期の到来で、バブル崩壊の日まで訪問者数・アクセス数が増え続けてゆけばいいな。そうしてこの日々のことはやがて泡沫の夢、セピア色がかった思い出となるのですよね。呵々。◆

共通テーマ:日記・雑感