第1640日目2/2 〈マカバイ記二第4章1/2:〈オニアとシモンの争い〉、〈大祭司ヤソン、ギリシア文化を導入する〉&〈アンティオコス・エピファネス、エルサレムで歓迎される〉withパッケージソフト? ダウンロード?〉 [マカバイ記・二]

 マカバイ記二第4章1/2(アンティオコス・エピファネスのもとでの迫害)です。 

 マカ二4:1-6〈オニアとシモンの争い〉
 例のシモン、今度は兄オニアを誹謗中傷した。エルサレムの住民の間にはオニアへの憎しみが蔓延した。シモンの取り巻きの一人に至ってはオニア暗殺を試みた程である。
 オニアはシモンの讒言の背景に、コイレ・シリアとフェニキアの総督アポロニウスの存在があるのを知った。事態打開のためにかれはアンティオキアへ赴いた。セレコウス4世に直訴するより他にない、と考えたのである。

 マカ二4:7-20〈大祭司ヤソン、ギリシア文化を導入する〉
 が、オニアの目的は果たされなかった。時は前175年。セレコウス4世は崩御し、その弟アンティオコス4世エピファネスが即位した。
 そうしてオニアの弟ヤソンが卑劣な手段を用いて、大祭司職を手に入れた。銀440タラントン、別に銀150タラントン。それが、ヤソンが王に贈った賄賂の額である150タラントンはエルサレムに錬成場(青年団)を設立し、エルサレム住民をアンティオキア市民に登録する権限を得るためのものだ。
 シリア王の後ろ盾を得たヤソンは、ただちにユダヤのヘレニズム化を強行した。「ヤソンは、王がエウポレモスの父ヨハネを通してユダヤ人に与えていた数々の恩典を取り消し、律法に沿った生活様式を破壊し、律法に背く風習を新たに取り入れた。(中略)こうしてギリシア化と異国の風習の蔓延は、不敬虔で、大祭司の資格のないヤソンの、常軌を逸した悪行によって、その極みに達した。」(マカ二4:11,13)
 その結果、祭司たちは自分の仕事に心砕くことはなくなり、ギリシアの競技が開催されると聞けば我先に参加する始末だった。父祖伝来の風習と名誉をないがしろにし、ギリシア人の栄光に最上の評価を与えるようになったユダヤ人。
 「こうしたことが原因となって、ひどい苦難が彼らを見舞うことになったのである。彼らがその生活様式にあこがれを抱き、万事において仲間に入りたいと願っていた人々がまさに、彼らの敵、彼らに対する迫害者となったのである。神が定めた律法を冒涜して、ただで済むわけがない。それは間もなく明らかになるであろう。」(マカ二4:16-17)

 マカ二4:21-22〈アンティオコス・エピファネス、エルサレムで歓迎される〉
 プトレマイオス朝エジプトの王に新しく、プトレマイオス6世フィロメトルが即位した。その式に、アンティオコス4世はアポロニウスを列席させる。が、そこでシリア王はエジプトの新王が自分の政策を良くは思っていないことを知った。
 そこでアンティオコスは用心してアンティオキアからヤッファを経由、エルサレムへ入った。ヘレニズム化が推し進められるこの都で、シリア王は熱烈な歓迎を受けた。その後、王はフェニキアに陣を敷いた。

 申し訳ありませんが、マカ二4:18-20,ティルス行きの件は省きました。それこそ物語の主筋から外れ、ゆえに記せば散漫になる、と判断したためである。ご了承ください。要約者たちの言葉が脳裏を過ぎることでありますよ。
 マカ一では概略を留める程度であったアンティオコス4世のユダヤ迫害が、マカ二では本章から延々第10章まで語られてゆく。その発端にレビ族に属する家のユダヤ人が大きく関与しているなんて、マカ一を読んでいたときは気が付きませんでしたね。驚きと憤りを感じます。「マカバイ記二」の2/3を、この迫害の記事が占めるということは、それだけ当時のユダヤ人にとってこの事件が語り継ぐに足る一大事であったということでもあります。それは民族の記憶、というてもよいかもしれません。
 「要するに律法を忘れ、掟をすべて変えてしまおうということであった。そして王のこの命令に従わない者は死刑に処されることになった。」(マカ一1:49-50)
 そうして、マカバイ家を中心とする<マカバイ戦争>が始まる、──。



 もはや音楽のパッケージソフトはダウンロードという形なきものに取って代わられて滅びてゆくのだろうか? ソフトを所有する楽しみばかりでなく、探す楽しみ、発見する楽しみ、実店舗にあふれかえる情報とざわめき、カバージャケットを眺める楽しみ、ライナーノーツを読む楽しみ、歌詞カードを何遍も読み返す楽しみ。ワーグナーのオペラやシューベルトの歌曲をダウンロードで購入しても歌詞対訳って付いてきますか? 録音が複数ある声楽作品であれば、対訳を読み比べる楽しみもそこには存在する。──そうした諸々の楽しみがダウンロードにあるか。
 iPhoneなりiPodに入れてしまえば良いのであって、パッケージソフトなんて邪魔になるだけだ。そんな意見にも一部の真理はある。でもなんだか淋しいね、斯様な意見の存在すること自体が。
淋しいものです。こうした意見の人には、幾許かの哀れみさえ覚えますね。わたくしはやっぱり音楽はパッケージでエンドユーザーの手元に届けられて然るべきだと思うている。某大型CDショップで働いていたことがあるからかもしれないけれど。
 それに、ダウンロードした音楽がもう不要となればすぐに削除できるけれど、削除した分に対する対価は発生しない。発生するはすがない。ダウンロード万歳、ダウンロード偏重の方々はご存じだろうか、パッケージソフトはいらなくなったら売ってお金に換えられることを? 後日そのソフトをもう一度欲しいと思い、中古レコード店に行けば定価よりも安く買えることがあることを? もっとも、廃盤になっていたり、一度しか流通しなかったら、定価より高くなっているケースもざらにありますけれどね。
 わたくしは音楽のダウンロード販売には、あまり良い気分を抱くことができません。◆

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