第1644日目 〈マカバイ記二第7章:〈七人兄弟の殉教〉withMacBookAirが来てから約2週間が経ちました。〉 [マカバイ記・二]

 マカバイ記二第7章(アンティオコス・エピファネスのもとでの迫害)です。

 マカ二7:1-42〈七人兄弟の殉教〉
 殉教者といえば、このような挿話もある。
 7人兄弟が母親と共に捕らえられ、拷問にかけられた。律法が禁じている豚肉を食べさせられそうになったので、かれらは頑なに拒んだ。アンティオコス4世は激しく怒った。
 兄弟のうち1人が皆に代わって言った。王よ、あなたはわれらからなにを得ようというのか。われらは、先祖伝来の律法に背くぐらいなら潔く死ぬ覚悟ができているのだ。
 これを聞いて、王は大釜や大鍋を用意させ、火にかけさせた。のみばかりか、皆に代わって言った者の舌を切り、頭皮を剥ぎ、体のあちらこちらを削ぎ落としたのである。無残な姿になり果てたかれは、王の指示によって、まだ息のある間にかまどのところへ連れて行かれ、焼き殺された。
 その様子を、他の6人兄弟と母親は毅然とした態度で見、主の憐れみを信じて励まし合った。
 同じようにして兄弟は次々と嬲られ、拷問にかけられ、体を損壊され、命を落としていった。皆が皆、アンティオコス4世を蔑み、ユダヤ人の神を信じる言葉を残して、逝った。
 <それにしても賞讃されるべきは>とわたしたち要約者は言おう。賞讃されるべきはその母親である。記憶されるべき模範といえよう。彼女は次々に息子たちが惨殺されてゆく光景を目の当たりにしながら、主に対して希望を抱き続けて崇高な思いに満たされながら、まだ生きている息子たちへ斯く語りかけていたのであった。曰く、──
 「わたしは、お前たちがどのようにしてわたしの胎に宿ったのか知らない。お前たちに霊と命を恵んだのでもなく、わたしがお前たち一人一人の肢体を組み合わせたのでもない。人の出生をつかさどり、あらゆるものに生命を与える世界の造り主は、憐れみをもって、霊と命を再びお前たちに与えてくださる。それは今ここで、お前たちが主の律法のためには、命をも惜しまないからだ。」(マカ二7:22-23)
 ──そうして末の息子の番になった。王は母親に、かれを説得するよう依頼した。先祖の習慣を捨てるなら生かして、最高の幸福と富を保証し、仕事も与えよう、と言って。母親はその役を引き受けた。彼女は息子の傍らへ行くと、陰で王を非難し、先祖たちの言葉(アラム語)で言った。曰く、「この死刑執行者を恐れてはなりません。兄たちに倣って、喜んで死を受け入れなさい。そうすれば憐れみによってわたしは、お前を兄たちと共に、神様から戻していただけるでしょう。」(マカ二7:29)
 この母の言葉を承けて、末子は王に向かってこう言い放った。曰く、──
 「何を待っているのだ。わたしは王の命令などに耳は貸さない。わたしが従うのは、モーセを通して我々の先祖に与えられた律法の命令である。しかし、ヘブライ人に対して悪辣非道を重ねてきたあなたは、神の御手を逃れることはできないのだ。
 我々が今苦しんでいるのは、我々自身の罪のせいだ。我々の生ける主は、戒めと教育のため、しばしの間怒られても、御自分の僕たちと必ず和解してくださるのだ。
 不信心で、人類のうち最も汚れた者よ、あなたは天の子らの上に手を振り上げ、むなしい望みを掲げてしたいほうだいのことをしているが、思い上がりも程々にしたらどうか。あなたはまだ、全能にしてすべてを見通される神の裁きから逃れおおせたわけではない。わたしたち兄弟は、永遠の命のために、つかの間の苦痛を忍び、神の契約の下に倒れたのだ。だがあなたは、神に裁かれ、その高慢さに似合った罰を受けるがいい。
 わたしも、兄たちに倣って、この肉体と命を、父祖伝来の律法のために献げる。神が一刻も早く、わが民族に憐れみを回復し、また、あなたには苦しみと鞭を与えて、この方こそ神であるとあなたが認めるよう、わたしは願っている。
 わたしたち一族の者全員に、正しくも下された全能の神の怒りが、どうかわたしとわたしの兄弟たちをもって終わるように。」(マカ二7:30-38)
 アンティオコスはこれまでにない怒りを覚え、他の兄弟以上に残酷に扱い、死に至らしめた。罪なき末子は主に完全なる信頼を抱いて、逝った。かれらの母親は最期に殺された。
 わたしたち要約者は、エレアザル、7人の兄弟とその母親の殉教について語ってきた。わたしたちはこれらの最後に、このような文章を添えて話を終わらせ、本道へ戻ろう。即ち、「汚れた肉を食することを強要された話とそれに伴う激しい拷問についての話は、これくらいにしておこう。」(マカ二7:42)

 昨日のエレアザルの挿話よりもこちらの方が印象深く、悲しみと憤りと痛みを感じるのは描写の簡潔にして豊かなるゆえか。或いは、短なエピソードが畳みかけるように語られるためか。敬虔で、静かな劇性に満ちた一章でありました。
 それにしても、皮剝の拷問と聞くと、なんだか『ねじまき鳥クロニクル』を思い出しますよ。それ以前だったら、さしずめブラム・ストーカーの小説ですかね。
 それにしても、本章締め括りの一言はやけに淡泊であります。それがゆえに却ってその裏に込められた、しかしばっさりと切り捨てられた要約者の感情の渦巻く様が想像できるというものであります。単純な一言がいちばん雄弁であることもあるのですからね。



 MacBookAirの購入から約3週間、到着からはまだ2週間と少ししか経っていません。が、もうわたくしの生活には不可欠のパートナーとなっています。
 その日に書いたブログ原稿を、その日のうちにMBAで清書し、その日のうちに予約投稿までできてしまう。これを大抵は一軒のカフェで行うのだから、「1,2杯のコーヒーで何時間も居坐るなよ」というところでしょうが、そんな白い眼を投げられたとしても、この作業の一本化と時間短縮の醍醐味には代えられない。
 機を得て購入──止むに止まれぬ事情あって購入したものだから、普通以上の意味合いで最上最適のパートナーとなっている。これなくしてもうわたくしの、外での執筆作業はあり得ない。もはや想像することすら無理です。使うことがなくても、外出時は持ち歩いている。むろん、本も手帳も一緒に。それが自然な光景となっている。わずか数週間でここまで信頼できるパートナーを得られるとは! ……ちょっと大袈裟かな。えへ。
 ちなみにこれの購入先はAppleOnlineStore。Mid2013の整備済み品なれどカスタマイズされており、しかもフルスペックであった。これを見付けて、矢も楯もたまらず電話しましたよ。ずっと外で作業するために、MacBookAir(13インチ)かMacBookPro(15インチ)のどちらかを購入検討していましたからね。
 朝方たまたま見たホームページにこれが掲載されているのを見たときはびっくりしましたね。整備済み品ということで若干の不安もあったので、Appleに電話して払拭されてようやく購入に踏み切った次第であります。
 ──そうして今日に至る。もはやこのMBAなくしてわたくしの執筆活動はあり得ない。ブログや小説の原稿は、やはりモレスキンや無印良品のノートに書いてからパソコンで清書、という点では変わらないけれど、ね。
 さて。ではこのMacBookAirにはなんていう名前を(密かに)付けようかな?◆

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