第1650日目 〈マカバイ記二第12章:〈ヤッファとヤムニアでの事件〉、〈アラビア人との戦いとカスピン襲撃〉with悪魔にこんなこと言われたよ?〉 [マカバイ記・二]

 マカバイ記二第12章(アンティオコス・エウパトルの治世下の事件)です。

 マカ二12:1-9〈ヤッファとヤムニアでの事件〉
 これらの協定が結ばれたあと、リシアスは王の許に帰り、ユダヤ人は畑仕事に戻った。が、各地の総督の一部はユダヤ人が平穏な生活を営むことを許さなかった。ティモテオス、アポロニオス、キプロスの長官ニカノルなどである。
 その頃、地中海沿岸の町ヤッファの住民がユダヤ人に対して、神を畏れぬ暴挙に出た。ヤッファに住まうユダヤ人とその家族に友好的な態度で接して舟遊びに誘い、かれらの舟が沖合に出たところでこれを沈めてしまったのである。多くの死者が出た。
 この報せを受けたユダ・マカバイはヤッファの町を攻めた。が、町の城門が固く閉ざされていたため、住民の絶滅は次の機会まで待つことにした。
 またヤムニアの町でも同様なユダヤ人への陰謀があると知ると、ただちにそこを襲って町に火を放った。その炎は夜になると、約45キロ離れたエルサレムからも望むことができたと云々。

 マカ二12:10-16〈アラビア人との戦いとカスピン襲撃〉
 ヤッファ、ヤムニアを攻めた後、ユダヤ軍はそのままティモテオス追撃に移った。その途次、アラビア人の集団に襲われて激しい戦いになったが、神の助けによってこの遊牧民との戦いに勝った。かれらとは和解して、それぞれの天幕へ帰っていった。
 また、カスピンでもユダヤ軍は激しい敵の攻撃に遭ったが、神の先導によって町を占領し、言語を絶するような殺戮を行ったのである。

 マカ二12:17-26〈ユダ、ティモテオスを追撃し、カルナイムへ至る〉
 ユダヤ軍はティモテオス追撃を続けて、カラクスの砦に至った。が、ティモテオスは既にそこにはおらず、代わりに強力な守備隊を残していた。ユダヤ軍はこれを討ち、更に進撃を続けた。
 ユダ・マカバイが率いる軍勢が迫ったことを知ったティモテオスは、女子供と身の回りの品々をカルナイムの町へ送った。そうして戦いが始まったが、途中、<すべてを見通す方>の出現があったりして敗北した。
 捕虜となりかけたティモテオスだったが、かれは、自分を殺せば人質の命は保証しない、などと言葉巧みにユダヤ側と交渉して、結果、自分を釈放させることに成功した。

 マカ二12:27-31〈ユダ、エフロンを襲撃し、スキトポリスに向かう〉
 ユダヤ軍は進路を南西に向け、カルナイムからエフロンに向かった。ここを陥落させたユダ・マカバイはヨルダン川を渡って西岸に戻り、スキトポリスへ進んだ。
 スキトポリスにもユダヤ人が住んでいた。かれらはユダ・マカバイに、ここスキトポリスの人たちが自分たちに寄せる好意と親切を語った。ユダ・マカバイはスキトポリスの住民に今後も変わらずユダヤ人へ好意と親切を寄せてくれるよう頼んで、エルサレムへの帰路を辿った。間もなく七週祭の時になろうとしていた。

 マカ二12:32-45〈ゴルギアス追撃と死者のための贖罪〉
 七週祭が終わると、ユダヤ軍はイドマヤ地方へ南下した。イドマヤの総督ゴルギアスを討つためである。
 交戦の始め、少人数のユダヤ人が敵の剣に倒れた。ゴルギアスは危ういところで捕虜になりかけたが、辛うじてこれを逃れてマリサの町へと脱出した。ユダ・マカバイは主に祈り、神自らが軍隊の指揮を執ってくれるよう頼んだ。そうしてゴルギアスの軍勢を敗走させた。
 ユダは戦場に倒れた同胞の亡骸をエルサレムに持ち帰り、かれらを埋葬して先祖の列に加えさせようとした。「ところが、それぞれ死者の下着の下に、律法によってユダヤ人が触れてはならないとされているヤムニアの偶像の守り札が見つかり、この人々の戦死の理由はこのためであるということがだれの目にも明らかになった。一同は、隠れたことを明らかにされる正しい裁き主の御業をたたえながら、この罪が跡形もなくぬぐい去られることを、ひたすら祈願した。高潔なユダは、これらの戦死者たちの罪の結果を目撃したのであるから、この上はだれも罪を犯してはならないと一同を鼓舞した。」(マカ二12:40-42)
 「次いで、各人から金を集め、その額、銀二千ドラクメを贖罪の献げ物のためにエルサレムへ送った。それは死者の復活に思いを巡らす彼の、実に立派で高尚な行いであった。もし彼が、戦死者の復活することを期待していなかったなら、死者のために祈るということは、余計なことであり、愚かしい行為であったろう。
 だが彼は、敬虔な心を抱いて眠りについた人々のために備えられているすばらしい恵みに目を留めていた。その思いはまことに宗教的、かつ敬虔なものであった。そういうわけで、彼は死者が罪から解かれるよう彼らのために贖いのいけにえを献げたのである。」(マカ二12:43-45)

 簡単に地理といいますか、ユダヤ軍の進路を説明すると、こうなります。──ユダヤ軍はエルサレムを発った後、ヨルダン川を東に渡りそのまま北上、専らティモテオス追撃に目的を絞ってギレアド地方の南部にある町々を攻略、今度はヨルダン川を西岸に渡り、スキトポリスを経由してエルサレムへ帰還した、というのが本章に於けるユダヤ軍の進撃路(マカ二12:1-31)。
 七週祭(マカ二12:31)と五旬祭(マカ二12:32)は同一の祭りであります。これはユダヤ教の三大祭りとされ、主の過越祭から7週目、ちょうど50日目に当たる日に小麦の刈り入れを行うのであります。既にこの祭りは旧約聖書の出エジプト記第34章第22節やレビ記第23章第15節、申命記第16章第9節他に出ておりました。興味のある方には当該箇所ばかりでなく、この機会に今一度モーセ五書の再読をお奨めします。



 たまにはエッセイを休んでみるのもイインジャネ? そんな悪魔(ん?)の囁きに耳を貸してみたいと思います。ちゃお!◆

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