第1674日目 〈知恵の書第3章&第4章1/2:〈神に従う人の受ける報い〉、〈神を信じない者の受ける罰〉&〈義と不義の報い〉with連休中になにするの?〉 [知恵の書]

 知恵の書第3章と第4章1/2です。

 知3:1-9〈神に従う人の受ける報い〉
 清い生活がもたらす報いとはなにか? 汚れぬ魂が受ける誉れとはなにか?
 ──神に従って生きる人の魂を神の手が守る。久遠に責め苦を受けることはない。神を信じぬ愚か者には、死は終焉としか映らず、この世との別れは災いとしか思えない。
 が、実はそうではない。神に従う人々には不滅への大いなる希望がある。かれらには、わずかな試練の後、豊かな恵みが与えられる──神がかれらを試し、自分の民に相応しいことを判断したからだ。神なる主の訪れのとき、かれらは炎のように輝く。

 知3:10-12〈神を信じない者の受ける罰〉
 その一方で、神を信じぬ者は言行に応じた罰を受ける。神を信じて従う人を心に留めることも、主へ近附くべく心を尽くすこともないからだ。かれらのなすことは、すべて無意味。妻は愚かで子供は馬鹿、子孫は呪われる。

 知3:13-4:6〈義と不義の報い〉
 「子を産めない体でも身を慎み、/不義の関係を持たない女は幸いである。/神の訪れのとき、彼女は豊かな実りを受ける。/子種のない男でも、悪に手を染めず、/主に対して恨みを抱かぬ者は幸いである。/その信仰のゆえに特別な恵みを受け、/主の神殿で栄誉ある役職に就く。」(知3:12-14)
 「善を目指す労苦は見事な実を結び、/思慮深さは丈夫な根を下ろす。」(知3:15)
 が、たとい子供が生まれたとしても、それが姦淫によって生まれた子は生を全うすること能わず、不義から生じた種は絶たれる。長寿に恵まれても敬われず、役立たずの中傷を受けるばかり。況んや若死にをや。
 妻は愚かで子供は無能、神を信じぬ者は罰せられる。そんなかれらは惨めな最期を遂げる。

 もし子を授からずとも、徳があるならそれで良い。徳のある人は忘れられない。徳のある人は模範にされる。その人亡きあとも、世人はかれ/彼女の徳を慕う。そうして神は、その徳の持ち主を認める。
 が、神を信じぬ者にとってそんなのは無意味だ。不義の木は植えても根附かず、ちょっとした風で倒れてしまう。実は熟すことなく、食べられない。「不義の床から生まれた子供は、/裁きの時、親たちの悪事の証人となる。」(知4:6)

 神を敬う人は、子のあるなしにかかわらず、報われる。恵みを授けられる。徳あれば尚のこと。しかし、神を信じず不義の人生を歩み、時に姦淫すら行うような人は、死んだらそれまで。まさにゲーム・オーヴァーである。おまけに家族も同様、一蓮托生とくれば、もはや何をか況んや、である。開いた口がふさがらない。
 でも、よくよく考え、三読、四読してゆけば、なるほど、と合点させられるのだ。われらの周囲を見渡してみても──神でこそないが──信じるもの、守るべきものがある人の生は健やかで、たくましい。それのなき人、怠惰な人、他人の中傷を呟いてネットに吐き散らすことでどうにか犯罪から身を遠ざけられている人の、生、性根は腐っている。哀れと思えど救済の手を伸ばす気にはなれません(博愛主義者にはなれないよ)。自らの行いゆえに自滅してしまえばよい。
 閑話休題。
 引用もしました知3:12-14、ここにいったいなんの注釈や解釈が必要でしょう。ひたすら共感し、わが身に引き添えて考えること多いのです。まぁ、時期的に都議会のヤジ議員の報道が脳裏に浮かぶことは否定できませんけれど。
 ──それにしても、その人の前には不滅への大いなる希望がある(知3:4)、なんて、なんだかヒルティを思わせる文言ですね。ヒルティの言葉については本ブログにて、思い出したようなタイミングで紹介してきました。わたくしにヒルティを連想させた言葉は、第0536日目(『眠られぬ夜のために』第1部・9月1日)にあります。併せて読んでいただければ幸いであります。



 最大級と謳われた台風8号は鹿児島と紀伊半島にそれぞれ上陸して、各地に被害の爪痕を残していった。関東では午前5時前、千葉県に上陸。そのまま北上を続けている。警報地域は刻一刻と北へ移り、南は順次解除されてゆく。
 解除された地域を見舞うは台風一過の晴天の空。暑いなぁ、とぼやき、駅までの道を向かうが早くもへたばりそうになり、近所のドトールコーヒーに避難しました。そこで汗が引くのを待ち、体力回復を確認した後(呵々)、勇躍目的地への進撃を開始した。
 シフトを適度に散らした結果、早くも夏休みモードになりつつあるのですが、事実、今月は3連休、4連休が立て続けに生じている。家で怠惰な時間を過ごしてブログが書けません、なんて事態に陥らぬよう己を律してゆかねばならぬな、といまから自分に言い聞かせています。この連休中は家から出ることなど殆どあるまい──あくまで予測でしかないけれど。
 じゃあ、家にいてなにするの? 録画して溜まっている映画を観よう。梅雨の間に伸びてくれた雑草を刈りまくろう。
 ……ん、それ以外? かねてよりの懸案であった(ずっと頭の片隅に引っ掛かっていたこと、ともいう)ブログ原稿の改訂を行いたい。誤謬を正し、表現を改めることが目的。明らかな間違いがそのまま残っているケースもあるので、まずはそれの撲滅から手を着けよう。
 それは新しい原稿との同時進行で行われる。旧稿改訂が新稿執筆を侵犯しないよう、自律と自制を能くし、脳ミソと思考を分岐させて、両雄鼎立を目指さねばなるまいな、なんて思うたりしている。日々のエッセイ(っぽいもの)も、アウトラインだけでも毎日残してゆかなくてはならないなぁ……。
 ──あ、休み明けに提出する書類書かなくっちゃ。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。