第1684日目 〈知恵の書第11章2/2&第12章:〈神の愛は忍耐によって示される〉、〈神の忍耐は寛容を教える〉他withきのうに寄す〉 [知恵の書]

 知恵の書第11章2/2と第12章です。

 知11:23-12:8〈神の愛は忍耐によって示される〉
 「全能のゆえに、あなたはすべての人を憐れみ、/回心させようとして、人々の罪を見過ごされる。/あなたは存在するものすべてを愛し、/お造りになったものを何一つ嫌われない。/憎んでおられるのなら、造られなかったはずだ。/あなたがお望みにならないのに存続し、/あなたが呼び出されないのに存在するものが/果たしてあるだろうか。/命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、/あなたはすべてをいとおしまれる。」(知11:23-26)
 生きとし生けるものすべてのなかに、あなたの不滅の霊が宿っている。主よ、あなたは、罪に陥った者たちを少しずつ懲らしめる。あなたはかれらに、自分の犯した罪のきっかけを思い出させて、諭す。
 あなたが、自分の聖なる民のために用意した土地には、さまざまな忌まわしい行いに身をやつす者たちが既に暮らしていた。あなたは、自分の聖なる民がその土地で安んじて生活できるよう、われらの先祖の手で滅ぼそうとした。が、それは根絶やしではない。かの忌むべき先住民も、あなたが造ったのだ。ゆえにあなたは、自分の聖なる民がかれらを撃つ前に、まず熊蜂の群れを送りこんだ。それは一斉の殺戮ではなく、滅びへの段階的な攻撃である。

 知12:9-18〈神の忍耐は回心を促す〉
 あなたは、あなたへの信仰なき者たちを、人の手、獣の爪によって滅ぼすことも不可能ではなかった。しかしあなたは一斉の殺戮ではなく、滅びに向けた段階的な攻撃という手段を用いた。斯様に罰を加えてゆきながら、あなたはかれらに、悔い改めの機会を与えていたのである。かれらが生まれつき呪われた血統であり、とうてい悔い改めなど期待できないにもかかわらず。
 罪に罪を重ねるかれらをあなたが恐れることはなく、また、かれらにあなたがどんな裁きを下そうと否を唱える者はない。ましてや、あなたに抗ってかれらの側に立って弁護する者など。
 わたしはいう、「あなたは正しい方、すべてを正しく治められる。/罰に値しない者を罪に定めることは、/御自分の権能にふさわしくないと考えておられる。/あなたの力は正義の源、/あなたは万物を支配することによって、/すべてをいとおしむ方となられる。/あなたの全き権能を信じない者に/あなたは御力を示され、/知りつつ挑む者の高慢をとがめられる」(知12:15-17)と。

 知12:19-22〈神の忍耐は寛容を教える〉
 神に従う人はなによりも人間への愛を持て。──あなたは罪ある者らに行った数々の業を通して、自分の聖なる民へそれを教えた。かれらにとってそのことは希望となり、罪からの回心を決めるきっかけとなった。
 自分の聖なる民の敵に対して、万死に値する罰を科せられるべき者らに対して、あなたはあれ程の配慮と寛容を示した。そうして回心への促し──悪から離れる頃合いと方法を授けた。とあれば、あなたが自分の聖なる民を裁くにあたっては、どれだけ慎重になったことだろう。
 「わたしたちが裁くとき、あなたの慈しみを思い、/裁かれるとき、憐れみに依り頼むためである。」(知12:22)

 知12:23-27〈神の罰は信仰に導く〉
 あなたは、自分の聖なる民の敵をかれらの偶像で以て懲らしめた。あなたは、忌むべき偶像をあがめて道を踏み外し、道理をわきまえぬ幼な子のようなかれらを、軽くあしらう程度の罰を下すだけだった。
 が、それに懲りず、わが身を省みて悔い改めることもせず、回心しようともしない者らがいた。あなたはそんなかれらに対して、次は容赦なき厳しい罰を下した。かれらは、自分たちの偶像ゆえに自分たちが苦しめられ、悩ませられていることを知り、斯くも厳しく激しい罰が己の身に降りかかっていることを知ったのである。
 「それらを通して罰を受けたのを見たので、/それまで知ろうとしなかった方を/彼らは真の神として認めるようになった。/こうして、最大の罰が彼らに下った。」(知12:27)

 初っ端に恥ずかしいことを告白すれば、わたくしは今日この章を読んでいて、なぜだか涙が止まりませんでした。ありきたりな言葉ですが、とても感動したのです。聖書を読んでいてこれ程に心を打たれたのは久しぶりでした。んんん、ひょっとして「エレミヤ書」以来? それって何年前のこと?
 どうしてそこまで感動したのか。分析するつもりなんてないけれど、読んでいるとき、心に思うところあり、それが琴線を震わせて気持ちがあふれてきてしまったのでしょうね。詳らかに語ることは野暮なので、やめておきますが……。嗚咽を抑えるのに少々意思を振るわせる必要があったことだけ、申しあげておきましょう。
 ──本日読んだ章は、間違いなく「知恵の書」最大の山場であり、肝となる箇所である。他のようなノートではなく、ほぼ全節を語り直す結果となったのはわたくしの力不足もあるが、第11章後半と第12章の持つ<語りの力>、<信仰の力>を損なうことなく移し替えたい、という希望が先走った結果である。ご理解の程を。まぁ悪意ある者には手抜きと誹られるのだろうが、幸いなことにわたくしはその者を相手に本ブログを執筆しているのではない。ゆえに、誹られてもまったく構わぬ。常に<真実は一つ>なのであります。
 それにしても、真実は常に一つ、とは、どこかで聞いた覚えのある台詞でありますな。呵々。



 昨日はとても愉しく、しあわせな時間を過ごすことができた。あなた方のお陰である。
 サンキー・サイ。
 願わくば、斯様な時間をこれからも持つことができますように。◆

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