第1692日目 〈知恵の書第19章:〈神に逆らう者たちの滅びと民の救い〉&〈結び〉with“読まざる者、書くべからず。”、「知恵の書」読了のあいさつ〉 [知恵の書]

 知恵の書第19章です。

 知19:1-21〈神に逆らう者たちの滅びと民の救い〉
 あなたは、あなたを信じぬ者があなたの怒りの御業の数々を被ったあとで起こす行動を、あらかじめ把握していた。
 エジプト人はあなたの聖なる民を出国させたあと、途端に考えを変えて軍隊を召集、追跡部隊を編成して、ファラオ自らがこれを率いた。まだ初子の死の嘆きが国中を覆っていたというのに! 連衆は悔いたのだ、貴重な労働力であったイスラエルを、自ら頼んだとはいえ出て行かせてしまったことを。
 「彼らがこの極端な行為に走り、過去を忘れたのは、/当然の成り行きだった。/彼らの罰の欠けている分を、/これらの苦しみで補わせるためであり、/また、民が予期せぬ旅を経験している間、/敵どもは異常な死に出会うためであった。」(知19:4-5)
 被造物という被造物はすべて、それぞれの本性を露わにして、創造主たるあなたの聖なる民の安全を守った。雲は宿営を覆い、海は割れて乾いた道を民の前に現した。驚くべき奇跡を目の当たりにしつつ、民はそこを通って向かいの岸に渡っていった。
 かれらは寄留地エジプトにて主が示した御業の数々を思うた。かれらは空腹でいまにも倒れそうだったとき、飛んできたうずらによりもたらされた珍味なる食物を思うた。

 エジプト人はカナンからやってきたイスラエル人を歓待して迎え入れ、自分たちと同等の権利を与えた。が、エジプト人はイスラエルに、自分たちよりさらに過酷な労役を課して虐待した。
 「罰が罪人たちの上に下った。/激しい雷による警告の後のことである。/彼らはその罪のゆえに当然の苦しみを受けた。/他国人を敵意をもってひどく扱ったからである。」(知19:13)

 知19:22〈結び〉
 主なる神よ、あなたはすべてに於いて自分の民へ栄光を与えた。そうしてかれらを大いなる存在とした。あなたはかれらをゆめ見捨てず、いつでもどこでもかれらのそばにいる。

 一つ怪訝に思うのは、「ソロモン王の知恵の書」てふ異名を持つ本書が、どうしてだか第10章乃至は第15章あたりで趣を異にした点であります。
 それまでは<知恵>というものが神への信仰や人生に於いどのような役割を果たし、作用するか、というところに重点が置かれていました。しかし、第10章にてエジプトの存在が浮上したあたりから雲行きが若干変わり、第15章以後は殆ど「出エジプト記」の注釈書のようであります。少なくともそこで、本書前半にあったような知恵についての諸々が表立って触れられることはない。
 もしかすると、神への揺るぎなき信仰を持つイスラエルと、そうでない民即ちエジプトがどのようにして神の恵みを受け、また神に罰せられたかを述べる上で、<知恵>なるものが両者にどう作用したかを言外に説いているのかもしれません。
 が、かりにそうであったとしても、前半と後半とで趣が異なることに幾許かの戸惑いを感じてしまうのは事実なのであります。もう少し勉強してから本書を再読したら、また違った感想を持つかもしれませんね。



 実質的な読書量と時間の低下は、聖書当該章の内容をまとめる能力と原稿そのもののクオリティの低下を招いたように思います。これを洒落に、猛暑が思考と体力を損なって、という。呵々。
 読書を怠る文章書きは駄目になる。書くなら読め。読まざる者、書くべからず。読んで読んで読みまくれ。書いて書いて書きまくれ。──これはプロであれアマチュアであれ、文章を書くならばまず体に覚えこませねばならない鉄則であります。
 数日前の話の続きのようだが、無理矢理にでも読書する時間を作り、往年の如く<読書の黄金郷>とでも称する精神的愉悦に一刻を、毎日の生活のなかに生み出さねばならないなぁ。超並列読書なんてド阿呆の極みとしかわたくしには思えぬが、通勤電車内での読書と帰宅してからの読書、寝しなの読書など、1日に3冊ぐらいは並行して読むことを続けなければ、読書量については勿論ですが以前のようなレヴェルでの原稿を書くことは出来そうもない。でもそのためにはいろいろ検討し、改めねばならぬ課題が幾つもある。ふぅむ、目的地は遠く、そこへの道は長い……でもない?
 もしこの出来事に教訓めいたものがあるとすれば、自分の愉しみのためにも、物書きとしてのレヴェルを上げるためにも、やっぱり日々の読書を欠かしてはなりませんね、ということになりましょう。

 本日を以て「知恵の書」の読書を終わります。前夜から始まって今日までの3週間、途方もなく長く感じたことであります。自分のなかで若干と雖も迷走したことが、本書の読書ノートに影響を及ぼしたところもないとは言い切れません。
 が、ここまでこれたことは義務である以上に読者諸兄の支えがあったればこそ。ちかごろは1週間に1日の割合で1,000PVを超える日があり、戸惑いと喜びを覚えることもある。これこそが目に見えぬ読者諸兄の支持と応援というべきものでありましょう。どうして今年になってこれだけの閲覧数を稼げるようになったのかわからないけれど、これを一過性の現象ではなく恒常的に続くよう努めてゆきたい、と思うております。
 どうもありがとうございました。どうしてこれからも皆様が本ブログの良き読者であってくださいますように。
 次の書物、「シラ書」は来月半ばあたりから読み始める予定であります。どうぞよろしくお願いします。◆

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