第1742日目 〈シラ書第23章2/2:〈みだらな男〉&〈みだらな女〉withスターバックス・カードにまつわるみみっちい疑問がある。〉 [シラ書〔集会の書〕]

 シラ書第23章2/2です。

 シラ23:16-21〈みだらな男〉
 内に宿された情欲の炎はけっして消えない、燃え尽きるその瞬間まで。みだらな人間は肉欲に身をゆだね、心を律することを忘れる。放蕩は果てることを知らぬ。
 夜。女好きの男が寝床を抜け出し、人目を避けて相手の女の許へ行く。かれは口のなかでこう呟く、神なる主は俺の犯す罪などすこしも気に留めたりしない、と。俺は他人の目、他人の口だけ注意してればいいのだ、とも。
 ──否! 主はすべてを見ている。主の目は太陽の輝きに優り、人間のすべての歩みを見極め、壁や屋根、岩などで隠されたところまで見通している。創造前と完成後さえ主の目には映っているのだ。
 斯様に、主を畏れず省みず、立ち帰ることも悔い改めることもない男は、「町の大通りで処罰され、/彼が思いもかけなかった所で、捕らえられる。」(シラ23:21)

 シラ23:22-28〈みだらな女〉
 夫を捨てて、他の男の下へ走り、子供を設けた女も、町の大通りで処罰されることになる。というのも、──
 「第一に、こういう女はいと高き方の律法に背き、/第二に、夫を裏切り、/第三に、みだらにも姦淫を行い、/よその男によって子をもうけたからである。」(シラ23:23)
 彼女は公衆の面前に引きずり出され、そのみだらな行いについて沙汰される。咎は一人彼女に留まらず、子供にも及ぶ。彼女を母とする子どもたちは社会てふ大地に根附くことがない。況んや枝を張り実を付けるなど。
 ──彼女は呪われた女として人々の記憶に残り、汚名が消えることはない。斯くして罪に陥らなかった人々は悟る、「主を畏れることは、すべてにまさり、/主の戒めに従うことは何よりも麗しい」(シラ23:27)と。

 情欲に、肉欲に抗うことのできる者が果たしているのだろうか。わたくしにはそんなことのできる人の存在することがふしぎと思う。或る程度までの肉欲なくして歴史が作られるわけがない。そも人間の営みなどあるはずもない。徹底した快楽偏重ということでない限り、わたくしは情欲も肉欲も否定する気はないし、相手次第でそれに抗うつもりもない。聖人君子を気取る考えがないからだ。
 今日読んだところで情欲や肉欲が否定されるのは、かれ/彼女が神なる主を侮り、軽んずる行為に及んだがゆえだ。また、律法で定められた事柄に抵触する不貞、不義を働いたがためである。裏返せば、きちんと生活し、夫なる者、妻なる者とのみ性行し、愛しあって家庭を営む範囲では肉欲も情欲も罪ではない、ということ。──神殿娼婦や淫売婦、男娼が忌み嫌われ、咎の対象となるのもこのあたりが要因の一つといえるかもしれない。
 シラ23:24「その子どもたちにも罰が及ぶ」という文言について、一言。例によってフランシスコ会訳なのだが、その註釈によれば、「罰が及ぶ」は「取り調べられる」とも訳される。そうしてこの「取り調べる」とは、子供が不貞の女の嫡子か庶子かを調べることなのだ、という。嫡子ならそれ以上の沙汰はなし、庶子なら今後その子は律法の定めるところに従って会衆に加わる資格がない、となる。
 ……ただ、参照としてあげられる申命記第23章第2節を読んでも、庶子は云々、という文言は見当たらないのだ。会衆に加わる資格のない者として当該章では、睾丸の潰れた者、陰茎を切断されている者、混血の人、アンモン人とモアブ人、以上となる。これらを基にして庶子も会衆に加わることはできない、というか。ふむぅ、……。



 みみっちいことを申しあげる。スターバックス数店舗を流浪する身だ。財布のなかにはスターバックス・カードを忍ばせてある。手持ちの現金を減らすことなく会計することができる。
 ドリップコーヒー1杯がちかごろは精々で、お代わりを頼むことは滅多にない。たまにチョコドーナッツやサンドウィッチを一緒に買って、もそもそと無心に食すことはあるけれどね。その会計もすべてこのカードだ。給料が出て、支払うべきものをすべて支払ってしまったら、Suica同様スターバックス・カードにもチャージする。そうね、毎月1万円程は。
 さて、そのチャージが今日の話題である。疑問かな。まぁ、いいや、それは。
 最初にこのカードを、いまはなき伊勢佐木モール店で購入した際の説明によれば、チャージ額5,000円ごとにフリードリンク・チケットが1枚サービスになります、と。但し有効期限あり。だがそれは、全店舗で行われているシステムなのか甚だ疑問だ。一部店舗を除く、ということで、特定店舗にてチャージすること数回で毎回チケットなし、となれば、ああここは除かれる一部店舗になるのだな、と納得もできる。
 しかし、或る店舗でチャージしたときはなにもなかったけれど、2度目に同じ店でチャージしたときはチケットを渡される。そのときレジにいた人は別の人である。こんな状況に遭遇するたび、いったいこの基準はどこにあるのだろうか、と小首を傾げてしまう。悩ましい問題なのだ。
 果たして、5,000円のチャージごとにフリードリンク・チケット1枚サービス、というのは、スターバックスという企業が各店舗に定める業務の一環、つまり義務なのか。或いは、そのときレジに立つ人の気紛れ、客への好み、思いつきで為されるサービスなのか。既に経験しているから、特定店舗に限ってのサービスではあるまい。もっとも、この数週間で廃止されたサービスであるなら話は別だけれど。
 いずれにせよ、このあたり、きちんとしてもらいたいな。本当にみみっちいことで恐縮なのだが、一度気になるとチャージのたびにスリリングな思いを味わわされ、若干の失望諸々を抱くことにもなるのだ。毎月このカードに1万円強のチャージをしている以上、しっかりと確認したいことなのである。
 で、いったいどうなの?◆

 それにしても、みなとみらい店のスタバのスタッフって、どうして客の開いているパソコンの画面を覗きこみたがるのでしょうか。あわよくば、パスワードとか記憶してハッキングでもしようとしているのかしら? 実にサイコーなスタッフの揃う店舗ですね、とってもステキです。□

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