第1749日目 〈シラ書第30章:〈子供の養育〉、〈晴れやかな心〉他with於むかしの職場にいちばん近いスターバックスにて。〉 [シラ書〔集会の書〕]

 シラ書第30章です。

 シラ30:1-13〈子供の養育〉
 わが子を本当に愛し、慈しむ親ならば、厳しい態度で以て子を諫めることができるはずだ。そのようにして育てた子を、親は晩年になって誇ることだろう。子に教育を授けた親は敵に憎まれても、周囲の尊敬を集めることだろう。
 「父親がこの世を去っても、/消えてしまったわけではない。/父親そっくりの子が、後に残っているからだ。/父親は生きている間、わが子を見て喜び、/この世を去るときにも、悲しむことがない。」(シラ30:4-5)
 わが子を甘やかし、躾けることもなく育てた親は、子のわがままに泣き、生傷の手当てに明け暮れる。放任と溺愛は悪い結果を伴って親に跳ね返ってくる。そのようにして子を育てた親の心へ最後に残るのは、後悔である。子を良く育てるならば、ときには体罰も必要だ。
 「お前の子供をしつけ、子供のために苦労せよ。/さもないとその子は非行に走り、お前を困らせる。」(シラ30:13)

 シラ30:14-15〈健康〉
 裕福なのに病気がちより、貧しくとも体の丈夫な方が良い。健康はどんな富にも優る。強くて逞しい精神は莫大な財産に優る。
 健康な肉体に健全な心を宿らせよ。

 シラ30:16-20〈食べ物について〉
 健康な肉体に優る富はない。健全な心の喜びに優る愉悦はない。
 辛い生活を送るぐらいなら死んだ方が良い。長患いするぐらいなら永遠の安息の方がよい。
 そのことを踏まえていうならば、──
 食欲を喪失した者の前にご馳走を並べても、それは墓前に供えられたお供物と同じである。偶像に供え物をするのと変わるところがない。斯様な者の前にご馳走をずらり、と並べても、かれの口は溜め息を洩らすことにしか用いられない。

 シラ30:21-25〈晴れやかな心〉
 あなたよ、「悲しみに負けて気力を失うな。/あれこれ思い悩むことはない。」(シラ30:21)
 朗らかな心はあなたの顔を明るくさせる。含みのない人間関係を築かせる。人生を実り豊かなものにしてくれる。
 快活な心は食欲を旺盛にし、憂うことなく煩うことなく食事を愉しみ、食べ物の味がちゃんと分かるようにしてくれる。
 あなたの心から悲しみを遠ざけよ。多くの人が悲しみによって人生を滅ぼされた。あなたの心から悲しみを追い払うようにせよ。
 妬みや怒りは寿命を縮め、思い煩いは人を老けさせる。

 わたくしに嫡子はない。自分の手で育てるような子供はいない。為、子供の養育や躾というものはどうしても観念的なものとなり、現実的な目線を損なったものとなってしまう。精々が、自分が子供だった頃、親がどのように愛情を注ぎ、叱咤し、守って育ててくれたかを思い出しながら本章を読むぐらいだ。
 こうして顧みて、両親は正しくわたくしを育ててくれたのだな、と実感する。感謝しなくてはならぬ。もっとも、父がここへ引用したように思うてくれていたか、いま母がわたくしという息子をそれなりに誇りとしてくれているか、甚だ疑問ではあるけれど──。すくなくとも、親の心へ最後に残るのが失望や後悔の類とならぬよう、精一杯<いま>を生きてゆくより他ない。Carpe Diem.
 健やかな精神を、(いちおう)健康な肉体へ宿らせ、悲しみを遠くへ追い払った晴れやかな、朗らかな心持て、まだ続く人生を生きよう。このように生を授けてくれた両親への、殆ど唯一の恩返しである。
 親を思い、人生を曲げたりするな。
 誰もが誰かの子供である。



 むかしの職場にいちばん近いスターバックスで本稿を書いている。いまの職場からは2軒目に近いスタバでもある。これまでも本ブログにて何度かエッセイに登場したこのスターバックスで、仕事帰りに立ち寄って原稿を書いていた日々を思い出す。
 21時に終わる会社を退勤して22時30分まで営業するここへ寄り、コーヒーのお代わりをして、店のいちばん奥まった場所に坐って旧約聖書を開き、無印良品のノートを開いて、シャープペンを走らせた。当時は「ヨブ記」や「詩編」、「コヘレトの言葉」のノートを、ここで書いていたんだよね。懐かしいね。まだ数年の隔たりしかないのに、ずいぶんと違う位置に自分が来てしまったな、と思うよ。
 なかなか顧客獲得ができずに上司のお小言を喰らい、それゆえに腐ったり、落ちこんだりしたものだ。あの当時の自分にとって、本ブログはまさしく唯一の逃れ場だった。これがなかったら、行き当たりばったりな人生を歩んでいたはず。そう、いま以上に非道い人生、いま以上に惨めな人生、いま以上にすさんだ人生、いま以上に堕落した人生を経験していたことだろうなぁ……。
 かつて執筆のベースとなったこの店舗で旧約聖書続編のノートを書き、あの頃と変わらぬ時間帯にMBAで原稿を書いている。いろいろなものが変化した。時間は無情に前に進む。そのなかで変化していないものを探すのは難しい。でも、ここに来たら変化していないものが確かに存在する、と気附いた。
 むかしの職場にいちばん近いこのスターバックスは、原点回帰の場所、喪失からの回復を促す場所なのかもしれない。──閉店時間まであと10分を切ったいまこの瞬間、そんな風に思う。◆

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