第1768日目 〈シラ書第49章:〈ヨシヤ〉、〈ユダの最後の王たちとエレミヤ〉〉 [シラ書〔集会の書〕]

 シラ書第49章です。

 シラ49:1-3〈ヨシヤ〉
 イスラエル滅びて後は南王国ユダのみがこの地に残った。そのユダを治めた王の1人にヨシヤがいる。かれは完全に正しい道を歩んだ。民の間で流布していた忌むべき行為を一掃し、民を悔い改めさせた。
 「彼は心をまっすぐに主に向け/不法のはびこる時代にひたすら神を敬った。」(シラ49:3)

 シラ49:4-7〈ユダの最後の王たちとエレミヤ〉
 統一王国イスラエル。分裂して後は北王国イスラエルと南王国ユダ。多くの王が国を治めた。が、ダビデとヒゼキヤ、ヨシヤを除いた他の王たちは、ことごとく罪に罪を重ねて生きた。民の間で行われていた忌むべき習慣や道具の全廃が出来なかったからである。斯くして南王国ユダも、北のあとを追うようにして滅びて消えた。
 南王国はその歴史の後半、バビロニア帝国の脅威に曝され、王都エルサレムも幾度となく攻撃を受けた。──それを時の予言者エレミヤは事前に民へ告げていた。が、かれらは預言者の言葉に耳を傾けなかった。エレミヤは、バビロニアの侵攻は神が計画を実現させるための手段と捉え、ゆえに親バビロニアの態度を一貫して持ち続けていたからである。
 「このエレミヤは/抜き取り、苦しめ、滅ぼすために、/しかしまた、建て、植えるためにも、/母の胎にいるときから預言者として/聖別されていた」(シラ49:7)人物だった。

 シラ49:8-9〈エゼキエル〉
 南王国ユダが滅び、国の指導者たちはバビロニアへ連行された。所謂<バビロン捕囚>である。エゼキエルは捕囚時代の帝都バビロンに現れて活動した預言者だった。
 かれはカルデアの地ケバル川の河畔で主の栄光の顕現を見た。また、バビロニア第6年6月5日、主の栄光が神殿を去る様子を見た。それは皆、ケルビムの車輪の上に現れた。
 エゼキエルは、諸国への裁きの言葉を残した。後の時代に再建されるエルサレムの第二神殿についての幻を、詳細に残した(エゼ43:10-11)。
 「エゼキエル書」はかれの事績と預言活動、その言葉を伝える。

 シラ49:10〈十二預言者〉
 北と南、両方の王国にそれぞれ預言者が現れた。かれらは民に悔い改めを説き、主の裁きのあることを語った。
 かれらの骨が再び花咲かせますように。かれらはヤコブの民を治め、希望にあふれた信仰で以て民を救ったのだから。

 シラ49:11-12〈ゼルバベルとイエシュア〉
 バビロニア滅びて後、ペルシアがオリエントの覇者となった。時の王キュロスはかつての捕囚民の解放を宣言した。
 望む者はゼルベバルとイエシュアに引率されて荒れたユダの地へ、廃都エルサレムへ帰還して、神殿再建に着手した。
 ユダヤ人を快く思わぬ者から妨害も受けたけれど、かれらは挫けなかった。

 シラ49:13〈ネヘミヤ〉
 再建途上のエルサレムへ赴任したネヘミヤも、偉大な業績を残した人物である。
 ペルシアの王都スサに在ったかれは、帰還した同胞からもたらされるエルサレムの惨状を聞き、主に祈り、時の王アルタクセルクセス王の命によって、ユダヤ/エルサレムへ赴任した。さっそく都の周囲を検分して城壁や門の修復に取り掛かり、これを完成させた。

 シラ49:14-〈エノク〉
 地上に現れた人のなかでエノクに並ぶ者はいない。かれは生きたまま、地から天に移されたのだから。

 シラ49:15〈ヨセフ〉
 アブラハム、イサク、ヤコブ(イスラエル)の血を受け継ぐヨセフも大した人物であった。かれは兄弟を導き、民の拠り所となった。
 ヨセフの遺骨は出エジプト時に持ち出され、カナンの地に丁重に埋葬された。

 シラ49:16〈アダムとその子孫〉
 アダムの子セムとノアの子セトは人々の間で崇められた。セトはアブラハムの先祖である。
 「だがアダムこそ、/造られたすべての生ける者の上に立つ者。」(シラ49:16)

 ヨシヤの事績は王下22:1-23:30に載る。
 エレミヤの事績は「エレミヤ書」に載る。
 エゼキエルの事績は「エゼキエル書」に載る。
 ゼルバベルの事績は代上3:17-19、エズ2:2、同3:2及び8、同4:1-5、同5:1-2に載る。
 イエシュアの事績はエズ3:2及び8-9、ネヘ8:7-9に載る。
 ネヘミヤの事績は「ネヘミヤ記」に載る。
 エノクの事績は創5:21-24に載る。
 ヨセフの事績は創35:24、同37:2-36、同39:1-50:26に載る。
 アダムの事績は創2:7-8、同2:15-3:24に載る。
 12小預言者の名は旧約聖書へ収まる順に、ホセア、ヨエル、アモス、オバデヤ、ヨナ、ミカ、ナホム、ハバクク、ゼファニヤ、ハガイ、ゼカリヤ、マラキである。
 ユダの最後の王たちとはヒゼキヤ以後のユダ王をいう(ヨシヤを除く)。かれらは主の目に正しいと映ることはせず、罪を犯して祝福されなかった。アサ、ヨシャファト、ヨアシュ、アマツヤ、アザルヤ(ウジヤ)、ヨタムは主の目に正しいと映ることを行い、また主の道を正しく歩んだ王たちですが、なにかしら瑕疵のある人生を過ごした。
 たとえばまだ北王国健在だった頃に南王国を治めたアサ王、──
 「アサは、父祖ダビデと同じように主の目にかなう正しいことを行い、神殿男娼をその地から追放し、先祖たちの造った偶像をすべて取り除いた。また彼は、母マアカがアシェラの憎むべき像を造ったので、彼女を太后の位から退けた。アサはその憎むべき像を切り倒し、キドロンの谷で焼き捨てた。聖なる高台は取り除かれなかったが、アサの心はその生涯を通じて主と一つであった。」(王上15:11-14)
 一方でこのようにも伝えられている、──
 「アサは、その神、主の目にかなう正しく善いことを行った。彼は異国の祭壇と聖なる高台を取り除き、石柱を壊し、アシェラ像を砕き、ユダの人々に先祖の神、主を求め、律法と戒めを実行するように命じた。アサはまたユダのすべての町から聖なる高台と香炉台を取り除いた。こうして彼の統治の下で国は平穏であった。主が安らぎを与えられたので、その時代この地は平穏で戦争がなかった。そこで彼は、ユダに砦の町を次々と築いた。」(代下14:1-5)
 「そのとき、先見者ハナニがユダの王アサのもとに来て言った。『あなたはアラム王を頼みとし、あなたの神、主を頼みとしなかった。それゆえ、アラムの王の軍隊はあなたの支配を離れる。クシュ人とリビア人は非常に多くの戦車と騎兵を有する大きな軍隊であったが、あなたが主を頼みとしたので、主は彼らをあなたの手に渡されたではないか。主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。この事について、あなたは愚かだった。今後、あなたには戦争が続く。』アサは先見者のこの言葉を聞いて怒り、彼を獄に投じた。この事で彼に対して激しく怒ったからである。またアサはそのとき、民の中のある者たちを虐待した。アサの事績は、初期のことも後期のことも、『ユダとイスラエルの列王の書』に記されている。
 アサはその治世第三十九年に足の病にかかり、その病は極めて重かった。その病の中にあっても、彼は主を求めず、医者に頼った。アサはその治世第四十一年に先祖と共に眠りにつき、死んだ。」(代下16:7-13)
 王上では聖なる高台を取り除かなかったこと、代下では戦争に於いて主を頼みとせず他国の王に頼ったことが、アサがダビデやヒゼキヤ、ヨシヤと並んで名が載らなかった理由である。ユダの最後の王たちについても然りだ。
 ゼルバベルとイエシュア。かれらはペルシア王キュロスによる捕囚解放を承けて、希望するユダヤ人を連れてエルサレムへ帰還した。ゼルバベルは代下36:6でバビロニアへ連行されたヨヤキム王の子孫で、行政面での指導者である。イエシュアはレビ人で、祭司として帰還民の宗教面での指導者となった。かれらは共に神殿再建に励み、帰還したユダヤ人が再び父祖の地に根付く礎を造った。なお、イエシュアは第二神殿の完成と城壁の修復が完了したあと、第7の月の1日に律法を朗読、その意味を民に説明した。◆

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