第1770日目 〈シラ書第51章:〈シラの子イエススの祈り〉&〈知恵を追い求めて〉with「シラ書」読了の挨拶。〉 [シラ書〔集会の書〕]

 シラ書第51章です。

 シラ51:1-12〈シラの子イエススの祈り〉
 シラの子イエススが主よ、あなたを讃える。王である主よ、あなたはわたしの守り手。いと高き方よ、あなたはわたしの助け手。
 主よ、あなたはわたしを救い出してくれました。誹謗中傷の罠から、偽善者の唇から。命を狙う者の手から。耐えていた苦しみから。息もできないような炎から。自分が熾したわけでもない火から。主よ、あなたはわたしを救い出してくれました。
 「わたしの魂は死に近づき、/わたしの命は陰府の近くまで下りました。/わたしは四方から取り囲まれたが、/助けてくれる人はいませんでした。/人々の助けを求めたが、得られなかったのです。/主よ、わたしはあなたの慈しみと、/昔からのよき御業を思い出しました。/あなたは、あなたを待ち望む者を助け上げ、/悪人どもの手から救い出してくださいます。/わたしは地上から嘆願の声をあげ、/死からの救いを祈り求めました。/わたしは、わが主の父である/主を呼び求めました。/苦しみの日々に、高慢な者どもが力を振るうとき、/孤立無援なわたしを見捨てないでください。」(シラ51:6-10)
 主よ、わたしはあなたを絶ゆることなく讃美します。
 主よ、わたしはあなたへ永久の感謝をささげます。
 あなたはわたしを滅びから救いあげ、苦難のとき助け出してくれたからです。

 シラ51:13-30〈知恵を追い求めて〉
 「わたしは知恵の道を実践しようと心に決め、/善を求めた。それは裏切られることはない。」(シラ51:18)
 知恵を求める人々よ、わたしの許へ来い。どうしてためらうのか。「なぜ、いつまでもそのままの状態でいるのか。/お前たちの魂は激しく渇いているのに。」(シラ51:24)
 知るがよい。知恵は諸君の身近にあることを。
 主の慈しみを喜ぶ心を持て。主を讃美することを恥じるな。為すべきことを早めに為せ。──定められた時、主は報いてくれる。

 「シラ書」を読んできて初めて、「これは是非暗記したいな」と思わせられる箇所に、今日出会った。長い引用になったが、シラ51:6-10がそれである。この祈りの言葉を暗誦し、ひたぶるに<それ>を想うことができたらば、どれだけ佳いことであろうか。
 これは、<死>を目の当たりにした者の魂の奥底から絞り出された、まことの言葉である。ここにはわずかな瑕疵もなければ、一点の曇りも影も落ちていない。最後の最後でこのような言葉に会っただけでも、これまで「シラ書」を読んできた甲斐がある、というものだ。
 本章は全体の結びとなるだけに、これまで語られてきた<主に祈りをささげること>、<知恵の尊さ、偉大さ>、<知恵を求める姿勢>、<知恵ある者の人生の豊かさ>を総括した章となっている。確かに「シラ書」は全体の構成に然程こだわっていないように捉えられるところが多いが、巻尾に「まとめ」というてよい本章を置いたことで、辛うじて結構の整った書物となっているように思える。



 本日を以て「シラ書」を読了した。読者諸兄よ、見捨てないでくれてありがとう。
 途中、私情により更新できなかった時期もあるが、なんとか最後の章まで辿り着くことができた。このように今回予定を大幅に過ぎてしまったことで、もしかすると、今年中の旧約聖書続編の読了は果たせないかもしれない。
 しかしいまは、スケジュールを組み直して、分量の大幅減や質を明らかに落とすなどしてまで年内読了をむりやり達成するのではなく、敢えてこれまでのペースを維持して読み進め、着実に残りを消化してゆくのが大事だろう。もっとも、書物巻をつなぐエッセイについては減らす必要が出て来るだろうけれど。
 近頃は再来年のイースターの季節までに「ヨハネの黙示録」を読了できればいいかな、と考え直す日々が続いている。
 次の「バラク書」は11月中旬から始めましょう。◆

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