第1763日目 〈シラ書第44章1/2:〈先祖たちへの賛歌〉、〈エノク〉、〈ノア〉他with三上延・倉田英之『読書狂の冒険は終わらない!』を読みました。〉 [シラ書〔集会の書〕]

 シラ書第44章1/2です。

 シラ44:1-15〈先祖たちへの賛歌〉
 われらユダヤ人の先祖を讃えよう。「先祖たちは皆、その時代に誉れを受け、/生涯にわたって、人々の誇りであった。」(シラ44:7)
 ──勿論、始祖の人以来われらへ至るまでは多くの先祖たちがいたのだから、なかには既に忘れられた人々も、その子孫を含めて、いる。「しかし、慈悲深い先祖たちの/正しい行いは忘れ去られることがなかった。」(シラ44:10)
 かれらとかれらの子孫は主との契約を守り、血脈は延々と続き、幾世代にも渡って主の栄光が頭上に輝くこととなった。讃えられるべき父祖の亡骸は、丁重に、やすらかに葬られ、父祖の名は久遠に残る。
 諸国民もわれらの父祖の名を、その知恵と共に語り継ぎ、誉め讃えてゆく。

 シラ44:16〈エノク〉
 イエレドの子、メトシェラの父エノクは365年行き、子が生まれた後の300年を神とと共に歩んだ。
 エノクは主に喜ばれたので、生きたまま天へ移された。かれは後世の人々にとって悔い改めの模範となった人である。

 シラ44:17-18〈ノア〉
 メトシェラの子であるレメクの子ノアは完全なる義の人であった。ノアは「慰め」という意味である(創5:29)。
 ノアの時代、主は全地にはびこる悪を断つため、40日40夜にわたる大洪水を引き起こした。ノアは主により大洪水後の世界を生きることを許されていた。
 主とノアの間には永遠の契約が結ばれていた。すべての命あるものを洪水によって、二度と洪水によって滅ぼしたりはしない、という契約が。

 シラ44:19-23〈アブラハム、イサク、ヤコブ〉
 諸国民の偉大なる父とはアブラハムのことである。その名声には一点の曇りもない。かれは主の律法を守り、主はかれと契約した。アブラハムの信仰は、主により試されたときも揺らぐことがなかった(イサク奉献)。それゆえ、かれの子孫は浜の真砂のように数を増してゆき、「海から海に至り、/川から地の果てに及ぶ地を、/かれらは代々受け継ぐようになる。」(シラ44:21)
 主は、アブラハムの子イサクに対しても、かれの父同様に約束した。
 主は、ヤコブの上に祝福を置いた。ヤコブはイサクの子でエサウの弟、ヨセフの父。かれはベヌエルの地で神と格闘して、以来イスラエルを名乗った。主なる神は幾つもの祝福を以てかれを承認、受け継ぐべき地を示して12の部族それぞれへ分割譲渡するよう指示した。その地の名は、カナンという(創35:12)。

 エノクの事績は創5:21-24に載る。
 ノアの事績は創6:9-9:29に載る。
 アブラハムの事績は創11:31-25:8に載る。
 イサクの事績は創21:3-28:5、35:27-29に載る。
 ヤコブの事績は創25:26-34,27:1(18)-35:29、37:32-35、46:1-30と48:1-13に載る。
 いずれも「創世記」に名が記されて主役級のエピソードを持つ人たちである。エノクの場合は、と問われようが、<生きたまま>神に抜き取られてこの世から消えた人物はエノクただ一人。かれの篤き信心ゆえに斯く為されたのだ、という。エノクの名は、後の世の人々にとって悔い改めと敬虔の模範となったことで、聖書の各書物──新約聖書の「ヘブライ人への手紙」にも──に折節記されるのみでなく、おそらく神なる主への信仰を持つ人であれば胸に刻まれた存在だったのではないか、と考える。そういえば、旧約聖書外典の一つとして、かれの名を冠した「エノク書」というのがあるが、未読であるな。
 祝福は元来長子に授けられるものであった。が、ヤコブはそれに従わなかった。兄エサウに授けられるはずだった祝福を、弟は父イサクから騙し取った。それが妬みややっかみ、或いは私憤から生じたのか、それとも主からの啓示があって行ったのか、「創世記」はなにも伝えない。こうした間隙を想像して一編の物語に仕立てあげる人もありそうだが、どうやら知る限りではまだないようである。



 『ビブリア古書堂の事件手帖』(メディアワークス文庫)の著者三上延と『R.O.D』(スーパーダッシュ文庫)の著者倉田英之が、読書をテーマに対談した新書を読んだ。題を『読書狂の冒険は終わらない!』という。集英社新書。
 読書をテーマにした対談本というと、どうしても渡部昇一と谷沢永一による『読書朋友』と『読書連弾』を想起する者だが、対談本にかぎらず読書をテーマにした著作とは偏にマニアックに傾いて、その筋の読者でないとわずかなりとも楽しむことのできぬ類の内容に仕上がることが多い。
 それらに較べれば、『読書狂の冒険は終わらない!』はずっと軽い、肩肘張らずに楽しめる内容。が、わたくし自身はどうにもこの本を楽しむことができなかった。スティーヴン・キング始めモダンホラーについて巻頭で語られ、赤川次郎についても肯定的意見に満ちた一冊であるのに、どうしてわたくし自身は本書について楽しむことができなかったのか。
 理由は簡単だ。なにも得るところがなかったから──これ以外にない。帯には「稀代の読書狂が繰り出す名作・傑作・奇本・珍本の数々!」とあるが、語られる内容から<稀代の読書狂>の姿が浮かびあがることは終ぞなかった。まぁ、帯のコピーを鵜呑みにしてレジへ運ぶ人も、(それが好きな作家のものでない限り)そうそういないだろうけれど。
 江戸川乱歩・横溝正史・山田風太郎について語った章は門外漢ゆえ発言を差し控えるが、モダンホラーに関してはずいぶんと浅い内容だなぁ、と思わずにはいられなかったし、赤川次郎について語った箇所に関してはやや呆れてしまった。
 話者の一人が未だ赤川作品としては異色の部類に入る『プロメテウスの乙女』(角川文庫)の存在を知らず、心底驚いた様子で「えー!?」とたまげている。『プロメテウスの乙女』といえば或る程度の紙幅を取った赤川次郎作品ガイドの類であれば、たいていの場合紹介されてきた長編小説と思うのだが、これはわたくしの思いこみかもしれぬ。
 想像だが、三上延も倉田英之も1980年代の作品で赤川次郎を読むのをやめてしまい、近年の作品については殆ど読んでいないのではないか。──正直に言わせてもらうが、この程度の対談なら自分にだってできるし、この程度の赤川作品についての語りならわたくしの方がまだマシな内容を提供できる。
 わたくしとしては、三上延に読書ガイドのようなものを書いてほしい。或いは文学や映画について語った本を出してほしい。小山清や坂口安吾、太宰治や夏目漱石らについて存分に語ってほしい。『ビブリア古書堂の事件手帖』で取り挙げられた作品やその周縁部の作家や作品について、思い入れたっぷりの本を書いてほしい。必ずしも『ビブリア古書堂の事件手帖』で触れられた作品や作家の皆が皆、三上延の好みとは限らぬだろうが、取り挙げられる作品や作家の一々に自分と近しい読書履歴と好みを感じるのだ。それゆえの希望。
 『読書狂の冒険は終わらない!』は残念ながら、数回読み返して処分を決めた。申し訳ないが買った本のすべてを蓄積できるだけの部屋でも住居でもないのだ。◆

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