第1797日目 〈バルク書第3章2/2&第4章1/2:〈知恵の賛美〉with6年目にして初体験──「バルク書」読書の進捗について。〉 [バルク書]

 バルク書第3章2/2と第4章1/2です。

 バル3:9-4:4〈知恵の賛美〉
 イスラエルよ、どうしてお前は敵のなかに散らされているのか。どうしてそこで齢を重ね、死者と汚れを共にし、陰府へ下る者のなかに数えられるのか。
 イスラエルよ、どうしてお前は知恵の泉を捨てたのか。全地にただ一人、お前だけがそれを与えられたというのに。もしお前が神なる主の定めた道を誤ることなく歩んでいたなら、永遠の平和の裡に過ごすことができただろうに。
 イスラエルよ、学べ。悟りと知恵の在処を。そうして、知れ。長寿と命の在処、目の輝きと平和の在処を。
 地に住まう者は何人も知恵の在処を知ることができなかった。誰も、知識の道を知らず、知恵の小道を悟らず、知恵を得ることができなかった。それは箴言を語る人々、悟りを求める人々も例外ではない。
 果たしてこれまでに、天へ昇って知恵を捕らえようとしたり、海の彼方へ行って知恵を見出そうと試みた者がいるか。否。知恵の道を知る者はなかった。知恵の小道について思いを巡らせようとする者もなかった。
 ──すべてを知る方、即ち主のみが知恵を知り、自分の力でそれを悟り、見出したのである。この方が知識を僕ヤコブと愛するイスラエルへ与えた。「その後、知恵は地上に現れ、人々のなかに住んだ。」(バル3:38)
 イスラエルよ、いまお前たちのなかに知恵はない。主の定めた道に背いたからである。ヤコブよ、主なる神に立ち帰ってこれを摑め。その輝きに向かって歩むようにせよ。ヤコブよ、あなたに与えられた栄光を、特権を、諸国民に譲ることなかれ。
 イスラエルよ、われらは幸いである。神の御心にかなうことを知っているのだから。

 「知恵は神の命令の書、永遠に続く律法である。/これを保つ者は皆生き、これを捨てる者は死ぬ。」(バル4:1)

 相変わらず知恵について書かれた箇所をノートするのは難しい。時折雲を摑むような部分に出喰わすと、はて、これは……、と煩悶する。しかし、これまで読んできたなかで知恵について触れられたところと比べると、格段にわかりやすい箇所であるのも事実。論理そのものは至極単純明快であるからだ。
 ──神から授けられた知恵を顧みなかったからイスラエルは裁かれて敵地に散らされた、ヤコブよ立ち帰って再びこれをわが物として取り戻せ、そうすれば再びお前たちは生きることだろう。
 これが、今日語られた知恵の主旨。これ程わかりやすい箇所は顧みてもあまり出会った覚えがないのだが。
 天の上、海の彼方に出掛けて知恵を捕らえたり、見出そうとした者が果たしてあったか、という箇所(バル3:29-30)。これに触れて、わたくしは昔読んだこんな小説を思い出す、──霧に覆われた孤峰の頂へ集うとされる神々の姿を一目見んとて禁忌を犯す男を描くHPLの短編「蕃神」The Other Godsや、或いはダンセイニ卿の霧に閉ざされた神渺な世界を綴った作品の数々を(就中『ペガーナの神々』ハヤカワ文庫FT/『時と神々の物語』河出文庫)。
 これらは最後に読んでだいぶになるのに、いまでもなにかの拍子に内容や雰囲気をちゃんと思い出すことのできる幾つかの小説の一つだ。自讃めくが、偏読、耽読の賜物か、と思うている。



 前代未聞の出来事ではないか。われながら変な気分だ。もっと細切れにした方がいつも通りでいいのかな、と内心、小首を傾げたりする。
 お察しの方もいるやも知れぬが、「バルク書」については1日1章の読書に向かぬ書物である。単に小見出しが複数章に跨がっているだけの話だが、それが全体にわたって行われているとなれば、小見出しに引きずられて読んでゆくのが賢明であり、自然の理であろう。こんなこと、おそらく本書が初めてではないか。しかし、「バルク書」に関しては章単位ではなく、小見出し単位の読書が適している、と判断したらこのような結果になったのだった。ご理解を乞う。
 ゆえに「バルク書」に関しては章の数よりも短い日数で読了することになる。ちなみに、読了予定は明日。これは揺らぎようなき事実だ。原稿も先程書きあげたばかりだから、わが身に何事か起きぬ限りこの約束は果たされるはずである。
 単純に考えて、これで日程は2日短縮された。亜空間ゲートに頼らずとも生まれたこの貯金を最大限に活かして、旧約聖書続編の読了に拍車をかけたい気持ちである。……まぁ、こんな頑張りもゴールがはっきり見えてきたからこそかもしれないけれど。
 あと1ヶ月弱の読書、怠けず着実に進めてゆきましょう。◆

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