第1800日目 〈エレミヤの手紙withジョージ・メレディス『シャグパットの毛剃』(皆川正禧・訳)を読みました。〉 [エレミヤの手紙]

 エレミヤの手紙です。

 エレ・手0(1)-71
 いままさにバビロニアへ連れて行かれようとしている同胞へ預言者エレミヤが送った手紙、その写し。それに曰く、──
 あなたたちは神なる主に対して犯した罪ゆえにバビロニアへ捕囚として行きます。そこには7世代にわたって留まることになるでしょう。
 かの地の人々が<神>とあがめる像を、あなたたちもあがめたりしないように。それは偶像です。バビロニア人たちが金や銀で装飾を施した物を敬い、あがめる光景を、あなたたちは目撃することでしょう。が、それに倣ってはなりません。「自分たちが信じ、敬い、畏れるのは先祖の神、イスラエルの神なる主だけです」と心のなかでいいなさい。なんとなれば、その方こそがあなたたちを見守る方だからです。
 バビロニア人の神は所詮人の手によって造られた物です。どれだけ飾り立てられていても、あらゆる難事から身を守ることはできません。なにかの拍子に倒れたとしても、それは人間の手で抱え起こされるのを待つ他ないのです。献げ物は祭司のみならず、時には神殿娼婦たちの分け前となります。人々は汚れた手で<神>と称される像に触ります。が、その者たちに神の怒りが降ることがありません。
 「これらのことから、それらの像が神ではないことは分かるはずですから、それらを恐れてはなりません。」(エレ・手14他)
 その異国人たちが<神>と崇める物は、良いことであれ悪いことであれ、人間に報いることができません。カルデア人自身、<神>に対して不敬なことを行っているのです。が、かれらはそれが無力であることを知っていながら捨てられずにいるのです。どうして人の手で造られた物がまこと、神となり得るでしょう。「戦争や災難から自分を救えない像など神ではないと、どうして悟らないのでしょう。」(エレ・手49)
 カルデア人の神は偶像です。干天の慈雨を民へ与えることも、民を救うことも、国の王を立てることもできません。坐す神殿が焼け落ちれば、一緒に燃えてなくなってしまいます。それは王にも敵にも太刀打ちできないのです。
 「それなのに、いったいどうして、それらの像を神であると考えたり、宣言したりすることができるのでしょう。」(エレ・手39他)
 偶像とは人の手で造られた模倣品のことです。王を始めとする民を祝福することも呪うこともできません。諸国民に天の徴を見せることも、太陽の如く輝くことも、月のように照らすこともできません。結局、偶像は模倣品であり、神ではないのです。そうである、という証拠は、どこにもありません。
 神々の像は畑の案山子も同じです。自分を守ることも救うこともできません。ならば、果たしてどうやってそれを「神」と呼ぶことができましょう。ここから導き出せる結論は一つだけ。つまり、「偶像を持たない人々の方がまさっています。辱めを受けることがないからです。」(エレ・手72)
──と。

 ユダからの捕囚民は7世代にわたってカルデア人の地へ留まるでしょう、と手紙ではいうております。この点について、エレ27:7は「諸国民はすべて彼(ネブカドネツァル)とその子と、その孫に仕える」、即ち3世代にわたって捕囚となる、といい、代下36:21やエレ25:11,ダニ9:2などは捕囚期間を「七〇年」という。エレ・手2でいう「七代」とは約280年とされる。
 これは果たして、イスラエルの犯した罪の度合いによって捕囚期間は長くなったり短くなったりする、ということか。或いは、個々の書物が拠った底本、異本、写本にそれぞれ記されていた年数や代をそのまま採用した結果なのか。定かなことはわからぬ。
 なお、ノートには反映させなかったが、エレ・手40の「ベル神」とは、バビロニアの最高神で「マルドゥク」とも呼び称される。
 最後に、預言者エレミヤの言葉を引いて、「エレミヤの手紙」を終わる。曰く、──
 「人間が神を造れようか。/そのようなものが神であろうか。」(エレ16:20)



 外へ出掛ける意欲もなく、ひたすら気が滅入る一日。本稿をの執筆以外特にすることもないので、ジョージ・メレディス『シャグパットの毛剃』を読む(皆川正禧・訳)。『伝奇ノ匣8 ゴシック名訳集成 暴夜(アラビア)幻想譚』所収の一編、昭和2(1927)年刊の再掲。
 <狐>の書評で一節が引かれて以来、愛好家以外にも知られるようになった感のある本集成、就中本作だが、これほど迫力に満ち、生彩に飛んだ幻想譚は近代以後書かれたことはなかったように思われる。なによりも、夏目漱石と小泉八雲の薫陶を受けた訳者の、卓越した日本語の迫力に圧倒される。
 わたくしが特に本作で好む一節は、「そして打揮る槍に鯨波(とき)を合せ、一整に馬の太腹を蹴込んで、颯(さつ)とばかりに駆けだした。見よ、彼等の蓬々(ぼうぼう)たる鬚髯(ひげ)は揺れ立つ馬の鬣(たてがみ)と交り乱れ、後方に舞上る土煙は朝日を受けて紅に輝る。駆け行く所、原野の草は馬蹄の下に芳しく薫つた。針槐(はりゑんじゅ)の地に布く影が樹の丈よりも短くなつた頃である、銀水を吐くとある泉の辺に着いたのは。ルアークは先づ馬から飛び下りた。バナヴァーもこれに続いた。一同泉に浄水して、昼食を認め、馬に水を飼つた」という件である(P276)。
 とても躍動感のある場面だ。馬が列をなして暁の砂漠を疾駆してゆく様が見えるようではないか。馬の駆けるに従い舞いあがる土埃や風のさざめきが肌で感じられるようではないか。こんなに肉体的感覚的な日本語が果たして今日の作家に物せるものか。
 描写の妙と鍛え抜かれた日本語の絶後の婚姻、その精華をわれらはここに読む。
 ──アラビアン・ナイトに憧れる人、その世界をこよなく愛する人にのみならず、すべての小説好きに読むことを強要したくなる程の奇想に満ちた作品である。◆

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