第1801日目 〈「ダニエル書・補遺」前夜〉 [ダニエル書・補遺]

 カトリック教会に於いて第二正典として認められるものの最後が「ダニエル書・補遺」であります。ヘブライ語になくギリシア語で書かれたゆえのプロテスタントでの外典、カトリックでの第二正典ということであります。
 3つの挿話から成る本書ですが、カトリックで専ら使われるフランシスコ会訳では正典である「ダニエル書」のなかに完全に組みこまれている。「アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌」はダニ3:23と24の間に挿入され、「スザンナ」と「ベルと竜」はそれぞれ第13章,第14章として「ダニエル書」の大尾を飾ります。
 もはやそれらがいつ書かれたのか、定かでないにしても、シリア・パレスティナ地方にヘレニズムの勢いが及んでいた時期、即ち旧約聖書続編を構成する他の書物と同じく前一世紀頃であろう、とする意見が大勢を占めるようであります。
 が、テキストの成立時期や場所、著者が正典の一、「ダニエル書」と同じであろうがなかろうが、「補遺」に収められる挿話、ことに「スザンナ」と「ベルと竜神」は読んでいて面白く感じられる物語です。
 簡単に各挿話の内容をお話ししておきます。
 「アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌」は、ダニ3にてバビロニア王ネブカドネツァルの怒りを買っていつもより激しく燃える炉のなかに生きたまま投げこまれた3人のユダヤ人、即ちアベド・ネゴことアザルヤとシャドラクことハナンヤ、メシャクことミカエルが炉のなかを自由に歩き回って自分たちの主なる神への讃歌をうたっている、というもの。この3人の若者はダニエルと一緒に捕囚として連れてこられ、特に目をかけられ王宮での活動を許されたのであります。これを読む前にはダニ3へ目を通しておくと良いかもしれません。
 「スザンナ」は、主に敬虔な人妻スザンナが好色な長老2人の関係によって死刑に処されることが決まるが、刑場へ引かれてゆく際に行き合ったダニエルの正しい裁きによって無実を証明され、かの長老たちが代わって裁かれて処刑された、というもの。地位と名誉ある人が保身のために偽証して、罪なき人を陥れることは既に実社会に於いてもお馴染みですが、現実は「スザンナ」と異なってなかなか勧善懲悪が現実となることはありませんね。腹立たしく思います。
 「ベルと竜」は、バビロニアとメディア滅びてペルシア帝国キュロス王(2世)の御代、バビロニア人のあがめるベル神を敬わず呵々したダニエルを陥れようとする祭司たちの陰謀とそれの暴かれる様を描く「ベル神の物語」と、バビロニア人が自分たちのあがめる竜神を殺したダニエルを捕らえて獅子の洞窟へ投げこむも豈図らんやかれは生還し、却って投獄者が獅子の空腹を満たすため投げこまれて喰われる「竜神の物語」の2部に分かれます。後者には12小預言者の一人、ハバククが登場してダニエルを救います。
 ──斯様に本書は読んで面白く、知って奥行きある3つの小さな物語で構成されるのでした。この面白さはたしかに「ダニエル書」本編に組みこまれてしまうと看過してしまうかも。わたくしとしては理由や事情はどうあれ、これら3編を「補遺」として独立させたマルティン・ルターの勇断に拍手を送り、感謝したく思う者であります。
 改まって顧みるまでもなく、旧約聖書続編で物語と呼ぶことのできる物語を読むのは、ずいぶんと久しぶりなことであります。「ユディト記」や「エステル記(ギリシア語)」以来となりましょう。歴史書というが相応しい「マカバイ記」を<物語>と呼ぶのはいささか抵抗があるけれどいずれにせよ半年以上が経ちます。
 正直なところを申せば、知恵や預言を直接的に扱った書物から離れられること、たとえ費やす日数はすくなくとも物語書に触れられることに、安堵を覚えているところであります。
 なお、小さな点ですが1つだけ申しあげておきます。新共同訳聖書では本書を「ダニエル書補遺」と表記します。が、本ブログでは「ダニエル書・補遺」と表記しております。特に深い根拠はありません。以前から中黒を入れた表記で自分が書いておりましたので、今回も同様に記す、というのであります。是非とも読者諸兄にはご理解いただき、受け入れていただければ幸いです。
 それでは明日から「ダニエル書・補遺」を1日1編ずつ読んでゆきましょう。◆

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