第1802日目 〈ダニエル書補遺:〈アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌〉withみくらさんさんか、同僚と上司に感謝する。〉 [ダニエル書・補遺]

 ダニエル書補遺〈アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌〉です。

 アザ1-67〈アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌〉
 こしゃくな、この連中を炉の中へ放りこめっ! バビロニア王ネブカドネツァルがそう叫んだかどうかはさておき、若きユダヤ人男子3人、即ちアザルヤとハナンヤ、ミシャエルはバビロニアの神と王の造った金の偶像をあがめなかった廉で不興を被り、生きたまま、いつもより7倍も熱く燃える炉のなかへ投げこまれた。
 そこをかれらは、自分たちの神なる主を讃えながら歩いている。やがて、そのうちの1人アザルヤは足を停めて火のなかで口を開き、祈った。曰く、──
 われらの神なる主よ、われらと、われらと先祖の町エルサレムへの裁きは正しいものでした。われらの罪ゆえの裁きだったからです。幾度となくあなたはわれらを戒め、立ち帰るよう告げてくれたのに、誰一人それに従う者はありませんでした。
 「敵意に満ちて反抗する無法な敵の手に、/地上で最も邪悪な、不義の王に、/あなたは我らを渡されました。/今や、我らは口を開くことも許されず、恥と恥辱があなたの僕らと/あなたを礼拝する物にふりかかりました。」(アザ9-10)
 嗚呼、主よ。どうかアブラハムとイサクとヤコブ(イスラエル)に免じて、われらの上からあなたの憐れみを取り去ったりしないでください。
 いまやわれらには指導者も高官も預言者もなく、焼き尽くす献げ物もいけにえも、供え物も香もありません。これらを御前にささげる場所すらないのです。
 砕かれた魂とへりくだる心を持つわれらを、主よ、受け入れてください。われらは心よりあなたにへりくだり、従い、畏れ、御顔を求める者です。
 「あなたに従う我らの歩みを全うさせてください。あなたに信頼する者は辱められないからです。」(アザ17)
──と。
 王の侍従たちは更に激しく炉の火を燃やす。そのとき、主の使いがアザルヤたちの前に現れた。それでなにをしたかというと、炉から炎を吹き払ったのである。すると、炉のなかには露を含んだ涼風が吹いた。アザルヤたち3人はもはや火に苦しめられることも悩まされることもなかった。かれらはそのことに感謝し、炉のなかで神に栄光を帰す讃歌をうたった。その最後の件りに曰く、──
 「正しい人々の霊と魂よ、主を賛美し、/代々にたたえ、あがめよ。/清く心の謙虚な人々よ、主を賛美し、/代々にたたえ、あがめよ。/(中略)/主は、陰府より我らを救い出し、/死の力より救い、/燃える炎の炉の中から、/火の真っただ中から我らを解放された。/主に感謝せよ、主は良き方、/その慈しみは代々に変わることはない。/神々の神である主を礼拝するすべての人よ、/主を賛美し、感謝せよ。/その慈しみは代々に変わることはない。」(アザ63-67)
──と。
 燃え盛る炎のなかを歩くかれらにネブカドネツァル王はびっくりして、3人のユダヤ人の若者を炉から出した。王の重臣たちが3人の体や衣服を検分したが、どこにも異常なところは見当たらなかった。
 このことを承けてネブカドネツァル王は3人のユダヤ人の神を讃え、かれらをバビロン州で高い位に就けたのである。

 特に申し添えることがあるとすれば、流れを俯瞰できるようにダニ3からの描写を補った、という程度か。
 3人の若者について話す。
 アザルヤとハナンヤ、ミシャエルはダニエルと同じときにエルサレムからの捕囚としてバビロニアへ連行されてきた。ネブカドネツァル王は連れてきたユダヤ人の王族と貴族から容姿端麗、才色兼備、宮廷に仕える能力を持つ男子を選ぶよう侍従長に指示した。そうして選ばれ、王の御前に召されたのが、ダニエルとアザルヤ、ハナンヤとミシャエルの4人であった。侍従長はその折、かれらの名前をユダヤのものからカルデア人風に改めた。ダニエルをベルテシャル、ハナンヤをシャドラク、ミシャエルをメシャク、アザルヤをアベド・ネゴと別に呼ぶのはそんな理由からだ。
 かれらは知識と才能を神から恵まれており、文書や知恵についても特に優れたものを持っていた。王の話し相手としても申し分なかった。ゆえにネブカドネツァル王は知恵と理解力を必要とする事柄についてはこの3人のユダヤ人の若者を重用したのである。なお、ダニエルはバビロン州の長官に任命されたが、その際、王に願ってアザルヤたちを同州の行政官に任命してもらった。
 斯様に王の信篤い者たちであったからこそ、金の偶像とベル神をあがめないことにネブカドネツァルは立腹し、かれらを炉のなかへ投げこむ、という挙に出たのだ。なんというか、ちょっとした裏切られた感が王の胸に湧いたのであろう。また、それがため、王はかれらの神を自身も讃えることができた。
 ここから読み取れるのは、新バビロニア帝国の捕囚民に対する措置の寛大さであろう。祖国から敵地へ連行されたことでユダヤ人のなかに芽生えた先祖の神への信仰を、バビロニアは敢えて摘もうとしなかった。かれらのメンタリティを尊重することで、ユダヤ人の間に反バビロニアの気風が起こるのを鎮めたのか。敗戦国の文化は駆逐して滅ぼすよりも、それを認めて寛大に処遇することが最善の策なのであろう。



 爆発的に忙しい日を過ごすと雖も良き同僚と良き上司に恵まれたことをわたくしは感謝する。◆

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