第1806日目 〈エズラ記(ギリシア語)第1章:〈ヨシヤと過越祭〉、〈ヨシヤの死〉&〈ユダヤの最後の王たち〉withみくらさんさんか、あちら側に恋い焦がれる。〉 [エズラ記(ギリシア語)]

 エズラ記(ギリシア語)第1章です。

 エズ・ギ1:1-22〈ヨシヤと過越祭〉
 ヨシヤ王はその御代第18年、エルサレムにて主のための過越祭を行った。神殿に奉仕するレビ人を前にして、王はいった。先祖の役割分担に従って持ち場に付き、過越の子羊を規定に従って屠り、兄弟のためにいけにえを用意し、主がモーセに与えた指示通り主のための過越祭の準備をせよ。
 式服をまとった祭司たち、それに他のレビ人が神殿各所で各々の仕事をした。こうして過越祭の準備がされ、イスラエルの子らによってこの過越祭とそれに続く除酵祭が祝われた。サムエルの時代以来このような過越祭は祝われなかったし、イスラエル歴代の王のなかでこれ程の過越祭を祝った者もいなかった。
 「敬神の念のあついヨシヤは、主の前に正しく行動した。」(エズ・ギ1:30)

 エズ・ギ1:23-31〈ヨシヤの死〉
 このことがあったあと、エジプトのファラオ・ネコがユーフラテス河畔カルケミシュでの合戦に赴くため、ユダ王国の領土を通過した。ヨシヤはこれを見逃せずファラオの前を塞いだ。
 両者──エジプトとユダの、本来なら無用な武力衝突は避けられず、双方は激突した。その結果、メギト平野での戦いでヨシヤ王は深傷を負って戦列から離れたが、そのまま逝ってしまった。於エルサレム。
 「ユダヤの各地で、人々はヨシヤの死を悼み、預言者エレミヤはヨシヤのために悲しみの歌を作り、民の指導者たちもその妻たちも共に彼の死を悼む歌をうたった。この哀悼は、現在に至るまで続き、その慣習はイスラエルの部族全体にも及んでいる。」(エズ・ギ1:30)

 エズ・ギ1:32-55〈ユダヤの最後の王たち〉
 ヨシヤ崩御のあと、4人の王が立った。ヨアハズ、ヨヤキム、ヨアキム、ゼデキヤである。いずれも主の目に悪と映ることばかり行い、主に立ち帰ることはなかった。
 殊、ゼデキヤ王はユダ王国最後の君主である。バビロニア王ネブカドネツァルは、再度エルサレムを攻撃し、これを陥落させた。或る者は殺され、或る者は捕囚となった。神殿諸共都は破壊され、荒廃した。
 ──その後、大地は70年の間安息を楽しんだ。そうしてかれらの帰りを待った。

 並行箇所を記しますが、併せてお読みになると、「エズラ記(ギリシア語)」のこの章がそれのほぼ引き写しである、という印象を持たれることと思います。わたくしもそうでした。
 これは、「歴代誌」と同じテキストがたまたま「エズラ記(ギリシア語)」の執筆に採用されたことを示唆するのか。──否、そんな可能性はわずかにもない。とすれば、「エズラ記(ギリシア語)」第1章の執筆には「歴代誌」が脇にあってそれに若干の手を加えたのかしれない、という推測の方がずっと信憑性が高いように思うのであります。
 まぁ、そうなると、ではどうしてヨアハズをエコンヤと記したのか、その理由が不明となりますが……。
 では、各小見出しの並行箇所を記します。
 〈ヨシヤと過越祭〉は王下23:21-23と代下35:1-19。
 〈ヨシヤの死〉は王下23:29-30と代下35:20-27。
 〈ユダヤ最後の王〉は、ヨアハズ(エズ・ギではエコンヤ)は王下23:31-35と代下36:1-4。ヨヤキムは王下23:36-24:7/25:27-30と代下36:5-8。ヨアキムは王下24:8-17と代下36:9-10。ゼデキヤは王下24:18-25:7と代下36:11-23。
 たしか「歴代誌」の当該箇所のノートでも同じだった、と記憶しますが、ヨシヤ王の号令下レビ人たちがが過越祭の準備を進めてゆく場面については、どうしてもきちんとしたノートが書けなくて、困る。同じ場面が「エズラ記(ギリシア語)」にあると知ったあの頃は、そのときになればもう少しまともなものが書けているだろう、と踏んでいた(期待していた)のですが豈図らんや、なかなか現実は難しかった。
 おまけにとてつもなく疲れて……なんだか今日は世界のすべてが自分に牙を剥いたような1日でしたよ。スタバで原稿を書くも集中できず何度も何度も文章を捨て、ようやく約2時間半後に上記のような原稿を書きあげたとはいえ、われながらずいぶんと瑕疵の目立つ文章だな、と、ほとほと呆れ返る。かというて、では後日に改訂の筆を揮うかといえば、もはやその気概もない。嗚呼!



 逢いたい人には決して逢えない。会いたくない人にはしばしば出喰わす。
 これって現実に限らず、この世界とあの世界に於いても真実なんだ。◆

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