第1808日目 〈エズラ記(ギリシア語)第3章&第4章1/2:〈ダレイオスの宴と3人の護衛のかけ〉、〈第三の若者の説明〉他withギター編曲のチャイコフスキーを聴きました。〉 [エズラ記(ギリシア語)]

 エズラ記(ギリシア語)第3章と第4章1/2です。

 エズ・ギ3:1-16 1/2〈ダレイオスの宴と3人の護衛のかけ〉
 或る年の或る日、ダレイオス2世は王族全員と臣下すべて、メディアとペルシアの全高官、ペルシア帝国全127州の太守や指揮官、地方総督全員を招いて、盛大な宴を催した。皆心ゆくまで飲み食いし、楽しんで、散会した。王も寝室へ退き、就寝した。
 その晩、王の身辺警護の任務に就いていた3人の若者が、互いにこんなことを話していた。世の中で最も強いものがなにか、銘々で考えてみよう。それを書き付けて、王様とペルシアの3人の高官たちに判定をゆだねてみようじゃないか。いちばん聡明な答えを出した者に王様は最上の褒美をくださることだろう。王の隣に坐ることも許され、その親族と呼ばれるようにもなるだろう。そうしてかれらは自分の答えを書き付けて、それを王の枕の下に忍ばせたのだった。
 翌る朝、3人の若者が枕の下に入れていった書き付けを、王は発見した。それを読んだ王はメディアとペルシアの高官、太守、指揮官、地方総督、執政官を召集、一同の前でそれを読みあげた。この世で最も強いものについて、1人は酒、1人は王、1人は女、と書いていた。最後の答えを書いた者はそれに続けて、「真理はすべてに優る」と書き添えている。
 ダレイオス王は、昨夜自分の身辺警護にあたっていたこの3人の若者を、この場へ連れてくるよう側の者に命じた。

 エズ・ギ3:16 2/2-23〈第一の若者の説明〉
 1人目の若者がこういった。
 この世でいちばん強いのは酒である、と書いたのは自分です。そうではないでしょうか。
 酒を飲めば気分が良くなり、身分に関係なく対等に話すことができます。その一方で友人や兄弟への気持ちも忘れて突然剣を抜くこともある。しかもその間の記憶は、ない。
 どうでしょうか、これ程のことを人にやってのけさせる酒こそ、この世で最も強いものではないでしょうか。

 エズ・ギ4:1-12〈第二の若者の説明〉
 2人目の若者がこういった。
 この世でいちばん強いのは王である、と書いたのは自分です。そうではないでしょうか。
 人間は自然を支配しています。が、そんな人間の最上位にあるのは王であります。王はすべての主人であり、君臨者です。皆が王の言葉に従います。王が死ね、といえば、その者は死にますし、王が助けてやれ、といえば、その者は助かるのです。
 また王が休んでいる間も臣下は起きていて王を守り、民は作物を収穫すればその一部を王に献上します。
 どうでしょうか、これ程のことを人にやってのけさせる王こそ、この世で最も強いものではないでしょうか。

 エズ・ギ4:13-41〈第三の若者の説明〉
 名をゼルバベルという3人目の若者がこういった。
 この世でいちばん強いのは女である、と書いたのは自分です。そうではないでしょうか。
 たしかに酒も王も強いでしょう。しかし、この世でいちばん強いのは女である、と思います。いったいこの世のどこに女の手を煩わせることなく育った者がいるというのでしょう。女は、ぶどう畑や畑を開墾し耕作する者を養い育てました。男の衣装を調えて、かれに栄光を添えました。忘れてはなりません、たとえ王であろうと誰であろうと、女の胎から生まれて乳と手と情で育てられたことを。
 男なんて単純です。地位や名誉、金銀財宝があっても、容姿端麗かつ才色兼備な女に会えば心奪われ、彼女をわが物にせんと励み、すべてを抛ってその女の足許へひれ伏し、骨抜きにされるのです。もしその女が「昼は淑女で夜は娼婦」の如きであったら、尚更でありましょう。
 加えていえば、「多くの男が、女のために理性を失い、また女のゆえに奴隷となります。多くの男は女が原因で、身を滅ぼし、つまずき、罪を犯しました。」(エズ・ギ4:26-27)
 ここまで極端でないにしても、どれだけ心を尽くして育てても自分の女ができれば、男は父や母を顧みることがなくなります。生んでくれた恩、育ててくれた恩も忘れてしまう。それが自然の理。
 わたしは以前、王と、重臣の娘で王の側室である女性が戯れている場面を目撃しました。その姫は王の頭から冠を外して自分の頭に載せ、王の頬をひっぱたきました。それでも王は惚けた表情で姫を見ていました。姫が笑えば王も笑い、姫が腹を立てれば王は機嫌取りに終始する。
 如何ですか。これ程のことを男にさせる女こそ、酒よりも王よりも強い存在ではないでしょうか。
──と。
 かれの台詞に、王と高官たちは互いに顔を見合わせた。
 次いでゼルバベルは真理について述べた。曰く、──
 たしかに酒も王も女も強い。しかしこの世で絶対的な強さを示すもの、それは真理であります。天地の創造者こそ最も偉大、即ちそれは「真理」に他なりません。真理こそが偉大で、すべてに優って力あるものです。酒も偽り、王も偽り、女も偽り、人間はすべて偽り。が、真理を偽りである、ということはできません。
 「真理は不滅であり、永久に力強く、永遠に生き続けて支配いたします。真理は偏見を持たず、差別もせず、偽りや悪を行う者たちとは違って、正義を行います。そして人は皆、真理の業を喜びます。真理の裁きには、偽りはまったくありません。力と支配、権威と偉大さは永遠に真理のものなのです。」(エズ・ギ4:38-40)
──と。
 これを聞いた王と高官たちは胸を震わせ、口を揃えて、「真理こそ偉大、すべてに優って力あるもの」といった。

 昨日の本ブログにて、ペルシア全127州については明日、即ち今日といいました。それを書きます。
 エズ・ギ3:2に出る「ペルシア127州」は、「エステル記」9:30にも「クセルクセスの王国百二十七州」と書かれています。
 キュロス2世から続くアケメネス朝ペルシアは、すくなくともクセルクセス王(1世? エステル記)やダレイオス2世の時代、その版図を127の州に分割して統治していた、といいます。しかし、実際に127州あったのか、となると、正確なところは不明である、といわざるを得ないようです。20程度の属州を領内に持っていた、とも、36の行政区を持っていた、ともされる。おそらく時代によって数え方や区分の定義が異なるため、そうした混乱が生じているのありましょうか。
 この地域の歴史について知るところは世界史の授業で習ったぐらいが精々で、あとは数冊の本を読んで身に付けた知識があるに過ぎない。体系だったものではないので、一知半解の誹りも免れないだろう。という次第で、今度の休みにでも図書館へ行って、古代のペルシアの歴史やアケメネス朝ペルシアの行政機構など、ちょっとまとめて勉強してみようと思うている。雨が降らなければね。



 例によってスターバックスでこの原稿を書いているのだが、天井のスピーカーからチャイコフスキーのバレエ音楽《くるみ割り人形》から〈花のワルツ〉が流れている。
 オーケストラによる演奏ではなく、ギターに編曲されたヴァージョン。これがうっとりする程典雅で、哀愁漂い、かつ心に染みてくるのだ。
 演奏者が誰なのか不明だが、この演奏、もう一度聴きたいなぁ……。CDあるのかしらん。◆

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