第1810日目 〈エズラ記(ギリシア語)第5章:〈帰還部隊の編成〉、〈キュロス王の時代に帰還した者の名〉他with研究施設よりもApple Storeが先なのでは?〉 [エズラ記(ギリシア語)]

 エズラ記(ギリシア語)第5章です。

 エズ・ギ5:1-6〈帰還部隊の編成〉
 7日にわたった祝いが済んで、いよいよエルサレム/ユダへ帰還する準備が本格化した。
 まず部族ごとに家長が選び出され、妻や子供、奴隷、家畜を連れてエルサレムへ上ることになった。この帰還団はダレイオス王が貸与した1,000人の騎兵に守られ、ペルシアの人々に祝福されて、一路エルサレムへと出発した。
 このとき、先導部隊としてエルサレムへ向かった家長は、イエシュア、ペレツの一族、ダビデの血を引くゼルバベルの子ヨアキム。そうしてアロンの子ピネハスの一族である祭司たちだった。

 エズ・ギ5:7-45〈キュロス王の時代に帰還した者の名〉
 以下はキュロス2世の時代にエルサレム/ユダへ帰還した元捕囚の者らである。かれらを率いた氏族の長の名を、ゼルバベル、イエシュア、ネヘムヤ、ザラヤ、レサヤ、エネニ、モルドカイ、ベエルサル、アスファラス、ボロリア、ロイム、バアナという。
 かれらに率いられて、むかしカナンと呼ばれていまはユダと呼ばれる地へ、そうしてかつての王都エルサレムへ帰った民の総数は27,947人となる。
 他に、神殿に携わる者として、祭司4,288人、レビ人74人、詠唱者148人、門衛139人、神殿の使用人とソロモンの使用人の一族が総計372人いた。
 また、バビロン以外の捕囚地からエルサレムへ来たけれども、自分たちの家族や血筋がイスラエルに属するか確かめられなかったり、祭司職を要求しても系図に自分たちの家族や血筋を見出せなかったため祭司の務めを果たすことを拒まれた一族もあった。
 12才以上の者で、男女の使用人を除くイスラエル人は、総計42,360人いた。ちなみに男女の使用人は7,337人、竪琴弾きと歌い手は合わせて245人である。家畜は、らくだ435頭、馬7,036頭、らば245頭、ろば5,525等だった。
 エルサレムへ到着すると、それぞれの住まう所が定められた。祭司とレビ人、民のなかから選ばれた人たちはエルサレムとその郊外に住んだ。詠唱者や門衛、イスラエルのすべての民は自分たちの村に住んだ。

 エズ・ギ5:46-52〈祭壇の建設と献げ物〉
 斯様にして故郷へ腰を落ち着けたイスラエルの子らは、第7の月になると、エルサレムの東にある第一の門の前の広場へ全員集まった。というのも、ヨツァダクの子イエシュアとダビデ王の血に連なるシェアルティエルの子ゼルバベルが、主にいけにえをささげるための祭壇をそこに用意したからだ。これは、モーセの律法の書に従って焼き尽くす献げ物をささげるためである。
 と、そこへその地に住む異邦の民もやって来て祭壇を築いた。ユダヤ人への敵意ゆえの行動だった。
 ユダヤ人は規定に従って朝に夕に焼き尽くす献げ物をささげ、仮庵祭を執り行い、そのために必要ないけにえを毎日ささげた。また、日ごとの焼き尽くす献げ物、安息日、新月、聖なる祝祭日のいけにえを、そこでささげた。
 第7の月の新月の日からかれらはきちんと献げ物をささげ始めたのである。が、神の聖所はまだ建っていない。

 エズ・ギ5:53-62〈神殿建築の準備と聖所の土台〉
 ──やがて神殿の建築工事が始まった。レバノンからは建材であるレバノン杉が運びこまれた。
 かれらがこの地への帰還を果たした2年目の第2の月の新月の日に神の聖所の土台が据えられた。建築職人は主の聖所の建設に専念した。レビ人は楽を奏し、賛美歌をうたった。──主の慈しみと栄光は全イスラエルに永遠に留まる。──
 神殿の棟上げの日が来た。バビロニアによって蹂躙、破壊される前の神殿をその目で見たことのある長老たちは、主の御名を唱え、涙を流し、喜びの叫び声をあげた。──民の泣き声は上棟を祝うラッパの音をかき消す程大きかったが、それでもそのラッパの音は遠くの方まで響いたのである。

 エズ・ギ5:63-68〈近隣の民の申し入れ〉
 大勢の者が吹き鳴らすラッパの音は、ユダとベニヤミンの敵の注意を引くにじゅうぶんだった。あれはなにか? 捕囚から帰ってきたユダヤ人どもが自分たちの神のための神殿を建てているのだ。
 連衆はエルサレムへ行き、ゼルバベルたちに協力を申し出た。われらもあなたたちの神にいけにえをささげているのだ、手伝わぬは道理に背く行いであろう。
 勿論、この申し出をゼルバベルやイエシュア、家長たちは拒んで退けた。なんとなれば、われらはキュロス2世の命令により、自分たちだけでわれらの神のための神殿を建てるのだから、と。

 エズ・ギ5:69-70〈工事の妨害と嫌がらせ〉
 これを聞いた、この地に住む異邦の民はむかっ腹を立てた。そうして様々な手段を用いてユダヤ人の士気を低下させ、工事の進展を妨げた。
 結局、第二神殿の建築はキュロス2世の存命中からダレイオス2世の治世までの2年間、中断されたのだった。

 昨日の<捕囚解放前夜>を承けていよいよ帰還団の出発である。煩雑さを避けて、一族ごとの人数や自分たちがイスラエルの家に連なることを証明できない者たちの名など、諸々省いたことはかつてヘブライ語の「エズラ記」に於いて採用した方法と同じだ。
 本章を読んでいて特に引っ掛かるところがあるとすれば、エズ・ギ5:70「二年間」という箇所である。ない知恵を絞って考えてみたけれど、どうにも説明が付かない。説明が付かない、というか、合理的解釈ができない。
 わが国の古典文学では時折見掛けることだけれど、筆写を重ねてゆくにつれて文章に異同が生じたり、錯簡が発生したり、文章が脱落したり、もっと小さな所で一語の筆写ミスなど、種々のヒューマン・エラーは或る古典が読み継がれてゆく経緯とけっして無縁のものではない。
 聖書に於いてもそれは然りで、となればこのエズ・ギ5:70「二年間」も「二」の前後に特定の数字があってそれが早い段階で脱落してそのまま今日に伝わったであろうか、との推測もできる。
 真実はまったく異なるのかもしれないけれど、いまわたくしが、なぜだろう、と考えて唯一納得できる解釈は、上記のようなものなのだ。──もっともこんな解釈、日本の古典文学の研究にどっぷり浸かっていた時代の産物、思考の賜物というべきなのかもしれないけれど。
 ──今日は久しぶりに長いノートになった。これの原稿を書いているときは、ずいぶんと悩ましい気持ちを玩んだものだ。が、いまとなっては「ああでもない、こうでもない」ともがいたことも良き思い出。過ごした時間はとても充実していた。



 2015(平成27)年早々に、横浜のみなとみらい地区にAppleの研究施設ができるそうです。今夕最大規模のニュースとして(一部Appleユーザーにとって)駆け巡った感のある報道ですが、横浜生まれの横浜育ち、Appleユーザーの1人、MM地区にある職場に通う者としては、なんとも微妙な湯加減のニュースが安倍首相や菅官房長官(MM地区って選挙区だよね?)から発表されたものだなぁ、と思うている。
 加えて、その報道に浮かれている<横浜大好き人たち>の根拠不明な歓迎ムードが、今一つよく理解できない。そこに連なるAppleユーザーたちまでが脳天気に喜んで、嬉々としたコメントをSNSやブログで公開している。
 SamsunやLenovoの施設も存在する横浜に、今度はApple。「……で?」という反応が、それを知ったときの正直なところである。すくなくとも、両手を挙げて「ようこそ!」と口にする気にはなれない。
 研究施設が日本にできることは喜ばしいことだろうし、誘致した側も誘致された側もメリットはあるのだろう。が、個人的には「研究施設よりもApple Storeの建設の方が先だろ!」と叫びたいわけでありますよ。Apple Storeのない地方都市に研究施設が来られてもねぇ。片手落ちの感は否めません。
 もっとも、この研究施設の一部が一般に開放されて、そこにApple Storeが併設される、というなら話は別ですけれど。◆

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