第1812日目 〈エズラ記(ギリシア語)第7章:〈神殿工事の完成〉&〈神殿の奉献〉withみくらさんさんか、トンカツ屋に思いを馳せる。〉 [エズラ記(ギリシア語)]
エズラ記(ギリシア語)第7章です。
エズ・ギ7:1-5〈神殿工事の完成〉
王の勅令に従ってシシネとシェタル・ボゼナイはユダヤ人を助け、工事の監督にあたった。
工事は、2人の預言者の励ましもあって順調に進んだ。そうしてこの第二神殿はダレイオス王第6年、アダルの月の23日に完成したのである。
エズ・ギ7:6-15〈神殿の奉献〉
イスラエルの子ら、即ち祭司もレビ人も帰還民の全員が、モーセの律法の書に従って神殿奉献の手続きを進めた。このための献げ物として、雄牛100頭と雄羊200匹、小羊400匹が用意され、また、全イスラエルの罪の贖いのために12部族の長の数と同じ12匹の雄の子山羊が供えられた。祭服を着た祭司たち、レビ人たちが、モーセの律法の書に従って各部族毎に主のための祭儀を行った。門衛たちもその任に従い、それぞれの門を守った。
第1の月の14日、イスラエルは過越祭を祝った。
「捕囚からの帰還者全員が清めを行ったわけではなかった。しかし、レビ人たちは全員が清めを行い、兄弟の祭司たちや自分たちをはじめ、捕囚から帰った者たち全員のために過越のいけにえを屠った。イスラエルの子らの帰還者たちは、だれ一人この地の異民族の偶像に近づくことなく、全員が主を求めて、過越の食事をとった。彼らはまた、主の前で喜びつつ、除酵祭を七日間祝った。」(エズ・ギ7:11-14)
これらのことができたのも、イスラエルの神がアッシリア王の気持ちを改めさせ、主の家の工事を支援したからである。
エズ・ギ7:15「アッシリア王」とはなにか。むろん、北王国イスラエルを滅亡させたあのアッシリアではない。ここでいうアッシリアとはメソポタミア地方全域を指す語であり、即ち歴代ペルシア王、本書に於いては就中ダレイオス王をいう。旧約聖書に収められるヘブライ語の「エズラ記」第6章第22節に於いても、「アッシリアの王」てふ表現は出る。
様々な妨害はあったと雖もエルサレムの第二神殿はここに落成した。かつてソロモン王の時代に築かれてバビロニア軍による王都陥落の時まで、その姿を誇った第一神殿を記憶に焼き付けていた生き残りが完成した第二神殿に接したとき、かれらのうちに湧き起こった喜びは如何ばかりのものであったろう。
おお、諸君、知れ。これが信仰の復活した瞬間だ。魂の底から途轍もない勢い(パワー)で外へ向かい、と同時に深閑として透き通るような敬虔が感じられる。この様子を一言で言い表すなら、まこと単純ながら<歓喜>としか思い当たらぬ。
職場近くの和幸でW和幸御飯を食べたらお腹いっぱい、動くのが面倒臭くなり会社に戻るのがかったるくなった経験を持つみくらさんさんかです──眠気が吹き飛ぶぐらいに忙しい日の昼食である──。いや、久しぶりに食べたけれど、やはりここのトンカツは美味いですな。筋の通った味だ。プライドを感じます。
和幸かさぼてんか、と訊かれたら、わたくしは躊躇なく和幸の味に与する者だ。「理由? 知らなぁい」とはかつてこの世に存在した天使級のアイドル、向田茉夏が残した名台詞であるが、和幸に軍配をあげる理由を訊かれてさすがに「知らない」とは言い逃れられない。
どうしてか、といえば、さぼてんよりも和幸の方が馴染みあるからです、というのがすこぶる大きな理由なのだけれど、それ以外に理由を考えるとしても、無理矢理頭をフル回転させてみたってそうすぐには思い浮かばないのが正直なところ。
こんな風にして、これまで殆ど考えたこともない理由について考えているうちに思い至るのは、どれだけ良い肉を使っていても、揚げ具合が文句なしの状態であっても、どれだけ衣がさくっとしていても、ソースに絶妙なコクがあったとしても、やっぱり自分のなかでは和幸って第3位のポジションを占めるに過ぎないのかなぁ、ということ。
決してナンバー・ワンにはなれないし、それへ迫る位置に昇格できるわけでもない。新しいトンカツ屋を開拓したらその地位は脅かされて降格する可能性も否定はできない店、和幸。知名度は(おそらく)全国区ながらちょっぴり幸薄いのは、有名店で各地に支店を持つがゆえのハンディかも。
──でもねぇ、ふとこの店の看板が目に触れたとき、子供の頃からの持病の一つである<トンカツが無性に食べたい病>が即効で発症、そのまま無視しようとすれば強烈な罪悪感と深い後悔に襲われることは必至。こんな感情が湧き起こるのも、比較的あちらこちらにある店だからこその技かもしれぬ。だって、自分にとっての絶対的トンカツ屋センターの某店や東京都内にあって唯一通いたいと思えるトンカツ屋の看板なんて、町中を歩いていてふとした拍子に目に付いた例しはないもの。うぅん、全国展開の店ってやっぱり凄いな。
──こんなことを書いていたら、お腹が空いてきた、無性にトンカツが食べたくなってきた。が、いまは21時44分。今日はもう無理か。お楽しみは先に延ばすより他ない時間だ。
というわけで、また今度行くね、職場近くの和幸!◆
エズ・ギ7:1-5〈神殿工事の完成〉
王の勅令に従ってシシネとシェタル・ボゼナイはユダヤ人を助け、工事の監督にあたった。
工事は、2人の預言者の励ましもあって順調に進んだ。そうしてこの第二神殿はダレイオス王第6年、アダルの月の23日に完成したのである。
エズ・ギ7:6-15〈神殿の奉献〉
イスラエルの子ら、即ち祭司もレビ人も帰還民の全員が、モーセの律法の書に従って神殿奉献の手続きを進めた。このための献げ物として、雄牛100頭と雄羊200匹、小羊400匹が用意され、また、全イスラエルの罪の贖いのために12部族の長の数と同じ12匹の雄の子山羊が供えられた。祭服を着た祭司たち、レビ人たちが、モーセの律法の書に従って各部族毎に主のための祭儀を行った。門衛たちもその任に従い、それぞれの門を守った。
第1の月の14日、イスラエルは過越祭を祝った。
「捕囚からの帰還者全員が清めを行ったわけではなかった。しかし、レビ人たちは全員が清めを行い、兄弟の祭司たちや自分たちをはじめ、捕囚から帰った者たち全員のために過越のいけにえを屠った。イスラエルの子らの帰還者たちは、だれ一人この地の異民族の偶像に近づくことなく、全員が主を求めて、過越の食事をとった。彼らはまた、主の前で喜びつつ、除酵祭を七日間祝った。」(エズ・ギ7:11-14)
これらのことができたのも、イスラエルの神がアッシリア王の気持ちを改めさせ、主の家の工事を支援したからである。
エズ・ギ7:15「アッシリア王」とはなにか。むろん、北王国イスラエルを滅亡させたあのアッシリアではない。ここでいうアッシリアとはメソポタミア地方全域を指す語であり、即ち歴代ペルシア王、本書に於いては就中ダレイオス王をいう。旧約聖書に収められるヘブライ語の「エズラ記」第6章第22節に於いても、「アッシリアの王」てふ表現は出る。
様々な妨害はあったと雖もエルサレムの第二神殿はここに落成した。かつてソロモン王の時代に築かれてバビロニア軍による王都陥落の時まで、その姿を誇った第一神殿を記憶に焼き付けていた生き残りが完成した第二神殿に接したとき、かれらのうちに湧き起こった喜びは如何ばかりのものであったろう。
おお、諸君、知れ。これが信仰の復活した瞬間だ。魂の底から途轍もない勢い(パワー)で外へ向かい、と同時に深閑として透き通るような敬虔が感じられる。この様子を一言で言い表すなら、まこと単純ながら<歓喜>としか思い当たらぬ。
職場近くの和幸でW和幸御飯を食べたらお腹いっぱい、動くのが面倒臭くなり会社に戻るのがかったるくなった経験を持つみくらさんさんかです──眠気が吹き飛ぶぐらいに忙しい日の昼食である──。いや、久しぶりに食べたけれど、やはりここのトンカツは美味いですな。筋の通った味だ。プライドを感じます。
和幸かさぼてんか、と訊かれたら、わたくしは躊躇なく和幸の味に与する者だ。「理由? 知らなぁい」とはかつてこの世に存在した天使級のアイドル、向田茉夏が残した名台詞であるが、和幸に軍配をあげる理由を訊かれてさすがに「知らない」とは言い逃れられない。
どうしてか、といえば、さぼてんよりも和幸の方が馴染みあるからです、というのがすこぶる大きな理由なのだけれど、それ以外に理由を考えるとしても、無理矢理頭をフル回転させてみたってそうすぐには思い浮かばないのが正直なところ。
こんな風にして、これまで殆ど考えたこともない理由について考えているうちに思い至るのは、どれだけ良い肉を使っていても、揚げ具合が文句なしの状態であっても、どれだけ衣がさくっとしていても、ソースに絶妙なコクがあったとしても、やっぱり自分のなかでは和幸って第3位のポジションを占めるに過ぎないのかなぁ、ということ。
決してナンバー・ワンにはなれないし、それへ迫る位置に昇格できるわけでもない。新しいトンカツ屋を開拓したらその地位は脅かされて降格する可能性も否定はできない店、和幸。知名度は(おそらく)全国区ながらちょっぴり幸薄いのは、有名店で各地に支店を持つがゆえのハンディかも。
──でもねぇ、ふとこの店の看板が目に触れたとき、子供の頃からの持病の一つである<トンカツが無性に食べたい病>が即効で発症、そのまま無視しようとすれば強烈な罪悪感と深い後悔に襲われることは必至。こんな感情が湧き起こるのも、比較的あちらこちらにある店だからこその技かもしれぬ。だって、自分にとっての絶対的トンカツ屋センターの某店や東京都内にあって唯一通いたいと思えるトンカツ屋の看板なんて、町中を歩いていてふとした拍子に目に付いた例しはないもの。うぅん、全国展開の店ってやっぱり凄いな。
──こんなことを書いていたら、お腹が空いてきた、無性にトンカツが食べたくなってきた。が、いまは21時44分。今日はもう無理か。お楽しみは先に延ばすより他ない時間だ。
というわけで、また今度行くね、職場近くの和幸!◆