第1821日目 〈エズラ記(ラテン語)第7章2/2-9章1/2〈第三の幻〉2/2:〈死後の霊のたどる道〉他with「エズラ記(ラテン語)」舞台裏その2 "climbing Jacob's ladde"〉 [エズラ記(ラテン語)]

 エズラ記(ラテン語)第7章2/2-9章1/2です〈第三の幻〉2/2です。

 エズ・ラ7:78-101〈死後の霊のたどる道〉
 「さて、死についての話をしよう。ある人が死ぬという最終決定をいと高き方が下されるとき、霊が体から出て、自分をお与えになった方のもとに、再び帰って行く。まず、いと高き方の栄光をたたえるためである。しかし、もしその霊が、いと高き方の道を軽んじて、それを守らなかった者、律法を軽蔑した者、神を畏れ敬う人々を憎んだ者の霊であった場合、その霊は安らぎの場所に落ち着くことができず、以後苦しみの中で常に嘆き悲しみながら、七つの道をさまよい歩くだろう。
 第一の道は、人がいと高き方の律法を軽んじたゆえに備えられた道である。
 第二の道は、生きるために良い悔い改めをもはや行うことができない道である。
 第三の道では、いと高き方の契約に忠実であった人々に蓄えられた報いを見せつけられる。
 第四の道では、終わりの時のために自分に用意されている懲らしめを思い浮かべる。
 第五の道では、他の人々の住まいが天使たちによって守られて深い静けさに包まれているのを見せつけられる。
 第六の道では、彼らの中のだれかが苦しみの中へと移って行くのを見る。
 第七の道は、以上のどの道よりもつらい道である。この道では、いと高き者の栄光を見て、うろたえながら衰えてゆき、恥ずかしい思いをしてやつれ果て、恐ろしさのあまりしおれてしまう。彼らは生きていたときには、この方の前で罪を犯したのであり、終わりの時には、この方の前で裁かれるのである。
 さて、いと高き方の道を守った人々の霊が、朽ちる体の器から離れるときの次第はこうである。彼らはその器の中にいたとき、いと高き方に苦労して仕え、立法者の律法を完全に守ろうと、絶えず危険を冒した。だから、彼らに対する言葉はこうである。まず彼らは、自分たちを受け入れてくださったお方の栄光を見て大いに喜び、七つの段階を通って、安らぎを得ることになる。
 第一段階は、人が自分たちと共に造られた悪い思いによって生から死へと誘われないように、それに打ち勝つため、大いに苦労して闘ったゆえに備えられている。
 第二段階では、不敬虔な人々の魂がさまよう有様を見、彼らを待ち受けている罰を眺める。
 第三段階では、生前、信仰をもって受け取った律法を彼らが守ったという造り主の証言が承認されるのを見る。
 第四段階では、陰府の部屋の中で、天使たちに守られて、深い静けさの中に集まって味わう安らぎと、終わりの時に自分たちを待ち受けている栄光とを知る。
 第五段階では、今や自分たちが朽ちるべきものから逃れたこと、やがて相続財産を受け継ぐことを喜び、更に、自分たちが窮屈で労苦に満ちた世から救い出されたことを見、今や、不死となって喜びながら、ゆとりを得る。
 第六段階では、彼らの顔が太陽のように輝き、また、彼ら自身が、星の光のようになっているのが示される。彼らはもはや朽ちるべきものではない。
 第七段階は、以上のどの段階よりも偉大である。ここでは、人は安心して喜び、信頼して迷うことなく、恐れることなく喜びを味わう。彼らは、生前に仕えた方、やがてその栄光にあずかり、報いをいただくその方の御顔を見に急ぐ。
 これが、やがて告げ知らされる義人の魂の段階であり、さきに述べたことは、律法をないがしろにした人々がやがて受ける苦しみの道である。」
 わたしは言った。「それでは魂には、体から離れた後、今言われたことを見る時間が与えられるのですね。」
 天使は言った。「彼らには七日間の余裕が与えられ、さきに語ったことをその七日間で見て、その後、自分たちの住まいに集められるだろう。」

 エズ・ラ7:102-115〈代願の不可能なこと〉
 そこでわたしは言った。「もし御好意にあずかっているのでしたら、更に僕にお教えください。裁きの日に、義人たちは、不敬虔な人たちのために執り成しをしたり、彼らのためにいと高き方にお願いしたりすることができるでしょうか。父が子のために、子が両親のために、兄弟が兄弟のために、親族が身内のために、友がその愛する人のためにそうすることができるでしょうか。」
 天使は答えた。「あなたはわたしの好意を受けたのだから、このことも教えよう。裁きの日は厳かなもので、すべての人に真理の印を示すのである。今でも、父が子に代わり、子が父に代わり、主人が僕に代わり、親友が大切な人に代わって悟ったり、眠ったり、食べたり、病気を治してもらったりすることができない。それと同様に、だれも他人のために赦しを願うことは決してない。人は皆おのおの自分の不正な行い、あるいは正しい行いの責任を負うのである。」
 そこでわたしは言った。「それでは、どうなのでしょうか。まずアブラハムはソドムの人たちのため、モーセは荒れ野で罪を犯した父祖たちのために祈りました。モーセの後を継いだヨシュアはアカンの時代にイスラエルのため、サムエルはサウルの時代にイスラエルのために祈りました。またダビデは災害のゆえに民のため、ソロモンは聖所にいる人々のために祈りました。エリヤは雨を待つ人々のために、また死人のため生き返るように祈りました。ヒゼキヤはセンナケリブの時代に民のために祈り、またその他の多くの人たちが、多くの人々のために祈ったではありませんか。ですから、滅びる者がはびこり、不正が増し加わっている今、義人たちが不敬虔な人たちのため祈っているのに、どうしてあの裁きの日には、それができないのでしょうか。」
 天使は答えた。「今の世は到達点ではないのだ。神の栄光は、今の世に常にとどまるものではない。それゆえ力のある者は弱い者のため祈ったのである。裁きの日はこの世の終わりであり、来るべき不死の時代の始まりとなる。その時には、腐敗はもはやなくなる。放縦は解消し、不信仰は断たれ、正義が成長し、真理が現れる。だからその時、だれも、裁きに敗れた者を憐れむことはないし、勝った者を滅ぼすこともできないのである。」

 エズ・ラ7:116-8:14〈救われる者は少ない〉
 わたしは言った。「これは、最初にして最後の言葉です。大地はアダムを産み出さない方がよかったのです。あるいは、産み出したとしても、彼が罪を犯さないように引き留めればよかったのです。今の世では、生きていても悲しむほかなく、死んでからも刑罰しか待ち望めないとしたら、すべての人に何のよいことがありましょう。
 ああ、アダムよ、あなたはいったい何ということをしたのか。あなたが罪を犯したとき、あなただけが堕落したのではなく、あなたから生まれたわたしたちも堕落したのである。わたしたちに不死の世が約束されていても、いったい何の役に立つでしょう。わたしたちが死をもたらす悪行をしているのですから。永遠の希望が約束されているとしても、わたしたちは最悪なことに、むなしい存在になっているではありませんか。また、快適で安全な住まいが用意されているとしても、わたしたちは悪い方に傾いているではありませんか。また、いと高き方の栄光が清く生きる人たちを守るとしても、わたしたちは最も邪悪な道を歩んでしまったではありませんか。更に、楽園が示されて、そこでは実が腐ることなく実り続け、満足といやしとをもたらしてくれるとしても、わたしたちは忘恩の地で暮らしてきたので、そこに行くことができないではありませんか。あるいはそこでは節制を守った人たちの顔が星よりも輝くとしても、わたしたちの顔は闇よりも暗いではありませんか。この世に生きて不正を行っていたときわたしたちは、死後にどのような苦しみを受けるかなどと、考えてもみませんでした。」
 天使は言った。「地上に人間として生まれた者は人生の戦いについて、次のことを考えておくべきである。戦いに負ける者はあなたが言った苦しみを受け、勝つ者はわたしの言っている報いを受けるであろう。なぜなら、これこそモーセが存命中、民に教えた道だからである。彼は言った。『あなたは命を選びなさい。そうすれば生きる』と。しかし彼らは、モーセもモーセの後に来た預言者たちも、彼らに語ったわたしをも信じなかった。彼らが滅んでもだれも悲しまないであろう。救いを確実に受ける人々のことで喜びがあるであろう。」
 わたしは言った。「主よ、わたしは知っています。いと高き方は、今、憐れみ深い方と呼ばれています。それは、まだこの世に生まれて来ない人々を憐れまれるからです。また、情け深い方と呼ばれています。それは、悔い改めてあなたの律法に立ち帰る人々に情けをかけられるからです。また忍耐強い方と呼ばれています。それは、罪を犯した人々を御自分の作品として耐え忍ばれるからです。雅量に富んだ方と呼ばれています。それは求めることよりも与えることを望まれるからです。また、憐れみに富む方と呼ばれています。それは、今の人にも、過去の人にも、将来の人にも憐れみを増し加えられるからです。もし憐れみを増し加えてくださらなければ、この世もそこに住む人々も、生かされることはないでしょう。また赦すお方と呼ばれています。それは、もし不正を犯した人たちをその不正から助け出して慈しみ深く赦してくださるのでなければ、人々の一万分の一も生かされることはないからです。そして、裁き主と呼ばれています。もし、御言葉によって造られた人々を赦さず、多くの罪を消してくださらなかったら、恐らく、数えきれないほどの人の群れの中で、ごくわずかの人々しか生き残れないでしょう。」
 天使は言った。「いと高き方はこの世を多くの人のために造られた。しかし、来るべき世は、わずかな人のために造られている。エズラよ、たとえを話そう。あなたが大地に尋ねると、大地は答えるだろう。『器を造る粘土は多くできるが、金を産み出す土はわずかしかできない』と。この世の有様もそうである。確かに造られた者は多いが、救われる者は少ない。」
 わたしは言った。「わたしの魂よ、知識を飲み、知ったことをむさぼり食え。お前は欲せずしてこの世に生まれ、望まずに世を去る。お前は、ごくわずかの間しか生きられないのだ。
 ああ、わたしたちの上におられる主よ、僕が御前で祈ることを許していただけますなら、どうか、わたしたちに心の種を与え、そしてわたしたちの知性を耕して実を結ばせてください。そうすれば、朽ちるべきすべての者が人としての場を得て、生きることができるでしょう。
 あなたは唯一の方であり、わたしたちは、あなたが語られたとおり御手によって造られたものの一つです。あなたは今、母胎の中に体を形づくってこれに命を与え、器官を与えられると、この被造物は火と水の中で守られます。そしてあなたが造られた母胎は、あなたがその中に造られた子を、九か月間宿します。そして守るものも、守られるものも、共にあなたの守りによって守られます。
 母胎が、自分の中に育ったものを外に返す時には、器官そのものから、すなわち、乳房からその実である乳を与えるようにと、あなたは命じられたのです。形づくられた子は、それによって一定の期間育てられます。その後あなたは、その子に憐れみをかけ、あなたの正しさではぐくみ、あなたの律法で教育し、あなたの知恵で戒められました。それをあなたは、御自分が造られたものであるがゆえに死なせたり、御自分の作品であるがゆえに生かしたりされるのです。
 あなたの命令に従い、これほどの苦労によって形づくられたものを、簡単なひと言で滅ぼされるなら、何のためにそれをお造りになったのでしょうか。」

 エズ・ラ8:15-36〈エズラの祈り〉
 「今こそ、申し上げます。人類一般のことをあなたはよくご存じです。しかし、わたしはあなたの民のことで心を痛め、あなたの世継ぎのことで泣き、イスラエルのことで悲しい思いをし、ヤコブの子孫のことで心を乱しているのです。ですから、わたしは、自分のため、また彼らのために御前に祈りましょう。わたしは地上に住むわたしたちの堕落を見、また、来るべき裁きが速やかにやって来ると聞いているからです。どうか、わたしの声に耳を傾け、わたしの言葉を理解してください。わたしは御前で語ります。」
 天に上げられる前のエズラの祈りの初め。
 彼は言った。「永遠に生きられる主よ、あなたの目は天の高みにあり、あなたの玉座は比類なく、栄光は計り知れません。天使の軍団はおののきつつあなたに仕え、御命令に従って、風にでも火にでも変わります。御言葉は真実で、語られたことが変えられることはありません。あなたの命令は力があり、あなたの定めは恐るべきものです。あなたが見据えると深淵は乾き、あなたが怒られると山々は熔け、あなたの真理は証しされます。主よ、この僕の祈りを聞き入れてください。あなたがお造りになった者の祈りに耳を傾け、わたしの言葉に御心を向けてください。わたしは生きるかぎりあなたに語り、わたしに分かるかぎりお答えします。御民のとがに目を向けず、真実をもってあなたに仕えている人々を御覧ください。不敬虔な業を行う者のたくらみではなく、苦しみながらもあなたの契約を守った人々に注意を向けてください。あなたの御前で、道を踏み外した者のことを思わず、畏れることを心から認めた人々のことを思い出してください。家畜のような生き方をした者を滅ぼそうとはなさらずに、律法を立派に教えた人々を顧みてください。獣にも劣ると見なされた者のことをお怒りにならず、常にあなたの栄光に信頼した人々を慈しんでください。
 わたしたちもわたしたちの父祖たちも死をもたらす生き方をしてきましたが、あなたは、罪人であるわたしたちのゆえに憐れみ深い方と呼ばれるのです。もし、あなたがわたしたちを憐れむことを望まれるのでしたら、正しい業を行わないわたしたちを憐れんでこそ、あなたは憐れみ深い方と呼ばれるでしょう。正しい人たちは、あなたのもとにたくさんの業を蓄えており、自分たちの業のゆえに報いを受けるからです。
 人とはいったい何ものですか。なぜ、あなたは怒られるのですか。朽ちるべきものゆえに、あなたはこれを厳しくあしらわれるのですか。実際には、生まれてきた人の中で不敬虔なふるまいをしなかった者は一人もいません。信仰を告白する人の中にさえ、罪を犯さなかった人はいません。主よ、よい業を蓄えていない人々をあなたが憐れまれてこそ、あなたの正しさと善良さとが、宣べ伝えられるでしょう。」

 エズラ8:37-9:13〈終末について〉
 天使は言った。「あなたの言ったことはある程度正しい。あなたの言葉どおりになるだろう。確かに、罪を犯した者たちについて、彼らを創造したことも、その死も裁きも滅びも気にしないことにしよう。むしろわたしは、義人について、彼らを創造したことと彼らの人生の旅と救いと、彼らが報いを受けることを喜ぼう。それゆえわたしが語ったとおりになる。農夫が地に多くの種を蒔き、多くの苗を植えるが、時が来ても、蒔かれたものがすべて無事に芽を出すわけでなく、植えられたものがすべて根づくわけでもない。それと同じく、この世に蒔かれた人々がすべて救われるわけではない。」
 わたしは言った。「もし許していただけるなら、申し上げたいことがあります。農夫の種は、もし適当なときに雨が降らず芽を出さなかったとき、また、雨が多すぎて腐ってしまったとき、死んでしまいます。しかし人はあなたの手によって造られ、あなたの似姿ゆえに特に名付けられ、すべてのものは人のために造られたのです。それにもかかわらずあなたは、人を農夫の種と同じに扱われたのです。わたしたちではなく、あなたの民を惜しみ、あなたの世継ぎの民を憐れんでください。あなたは御自分の造られたものを憐れまれるからです。」
 天使は答えた。「今在るものは、今いる人たちのためであり、将来のものは、将来の人たちのためにある。わたしにまさってわたしの被造物を愛することなど、あなたには到底できない。
 ところであなたはしばしば自分を不正な人々の仲間扱いするが、そんなことをしてはならない。もっともこの点でも、あなたはいと高き方の前で褒められるだろう。あなたは自分にふさわしくへりくだって、自分を正しい人々の中に数えなかったからである。このことで、あなたはもっと栄光を受けるだろう。
 この世に住む人々は、おごり高ぶって歩んでいたので、終わりの時には、多くの悲惨な目に遭うであろう。しかしあなたは自分のことをよく考え、自分と同じような人々の受ける栄光について思い巡らしなさい。あなたたちには楽園が開かれており、生命の木が植えられ、来るべき時が備えられて、豊かな富が用意されており、都が建てられ、安らぎが保障されており、恵みが全きものとなり、完全な知恵が与えられる。悪の根は、あなたたちに近づかないように封じられ、病は消え去り、死は姿を隠し、地獄は遠ざかり、腐敗は忘れ去られる。悲しみは過ぎ去って、最後に不滅の宝が示される。
 それゆえ、滅びる者が多いことについて尋ねるのは、もうやめなさい。彼らは自由を与えられていながら、いと高き方を侮り、律法を軽蔑し、その道を捨てたのである。その上、彼らは義人を踏みにじった。そして心の中で、神はいないと言った。こんなことをすれば死ぬと知っていながらである。前もって話しておいたことがあなたたちを待ち受けているように、彼らには、用意された渇きと懲らしめが待ち構えている。
 いと高き方が人の滅びを望まれたのではなく、造られた人々自らが、自分たちをお造りになった方の名を汚し、今の命を与えてくださった方の恩を忘れたのである。それゆえ、わたしの裁きは間近い。わたしはこのことをすべての人に示すのではなく、あなたとあなたと同じようなわずかの人々にだけ示したのである。」
 わたしは答えた。「主よ、確かに今、あなたは終わりの時になさろうとする多くのしるしを示してくださいました。でもそれがいつかということは示してくださいませんでした。」
 天使は答えて言った。「自分でよく推し量ってみなさい。わたしがあらかじめ語ったしるしが幾らかでも起こるのを見たならば、そのときこそ、いと高き方が自ら造られた世を訪れる時であると悟りなさい。この世に地震、人々の騒乱、諸国民のはかりごと、指導者たちの不安定、君主たちの動揺などが現れてきたら、そのとき、これこそいと高き方が前々から、初めのときから言われてきたことであると悟りなさい。
 この世の出来事はすべて、始まりは終わりによって明らかになり、終わりがすべてを明らかにするが、いと高き方の時もこれと同じであって、その始まりは前兆と力ある業において明らかにされ、終わりは行いとしるしにおいて明らかになる。そのときには、救われた者、自分の業または誠実な信仰によって怒りから逃れることのできた者は皆、わたしがあらかじめ語った危険を免れて生き残り、永遠の昔から聖別しておいたわたしの地と領域で救いを見るだろう。
 そのときわたしの道を悪用した者は驚き、わたしの道をさげすんで捨てた者は、懲らしめの中にとどまるだろう。生きていたとき、わたしの恩恵を受けていながら、わたしを認めなかった者、まだ自由を持っていながら、律法をさげすんだ者、悔い改めの余地がまだあったにもかかわらず、悟ろうとせずに軽んじた者はすべて、死後、懲らしめを受けながらそれを認めねばならないのである。
 あなたは、不敬虔な人々がどのように懲らしめを受けるかということに好奇心を起こしたりせず、むしろ義人がどのように救われるのか、来るべき世はだれのもので、だれのためか、それはいつ来るのかを尋ねなさい。」

 エズラ9:14-25〈結び〉
 わたしは言った。「わたしが前に申し上げたことですが、今また申し上げ、今後も言い続けます。滅びる者の方が、救われる者よりも多いのです。それは、流れる水が滴よりも多いのと同じです。」
 天使は答えた。「種は畑しだい、色は花しだい、出来ぐあいは仕事しだい、脱穀は農夫しだいである。この世には時があり、わたしが、この世のまだ造られぬ前、今生きている人たちのために準備をしていたときには、だれもわたしに逆らわなかった。そのときは、だれもいなかったからである。
 しかし、この世界に人間が造られたとき、そこには不足することのない食卓と究め難い法則とが備えられていたのに、彼らの生活は堕落した。わたしはわたしの世に思いを向けてみた。するとどうだろう、それは滅びていた。わたしの世界に思いを向けてみた。しかし、そこに生まれて来た者たちのはかりごとのために、それは危険にさらされていた。わたしはそれを見て、ある人たちをかろうじて救った。
 わたしはぶどうの房から一粒の実を、大きな森から一本の木を救ったのである。だから、理由もなく生まれてきた多くの人々は滅びるがよい。わたしの一粒のぶどうの実とわたしの一本の木が救われればよいのだ。わたしが大変な苦労をしてこれを完成させたのであるから。あなたは更に七日間待ち、その間は断食をしないで、 家が建てられたことのない花咲く野原に行き、野の花だけを食べなさい。肉を食べず、ぶどう酒も飲まず、ただ花だけを食べなさい。そして絶えずいと高き方に祈りなさい。そうすれば、わたしは来て、あなたと語ろう。」

 「理由もなく生まれてきた多くの人々は滅びるがよい。わたしの一粒のぶどうの実とわたしの一本の木が救われればよいのだ。わたしが大変な苦労をしてこれを完成させたのであるから」(エズ・ラ9:22)──これは思えば思う程、空恐ろしくなる言葉である。
 これに限らず、本章──殊に今日読む後半部分は終末的色合いが濃くて、読んでいるうちにだんだん圧し潰されてゆきそうな息苦しさが充満している。実は、といえば言い訳めくが、本書の読書ノートの執筆を当座は断念し、現在の方法でいまを乗り切ろうと決めたのは、〈第三の幻〉後半部分の読書に差し掛かってからだった。というのも、この救いようのない言葉の絨毯爆撃に気持ちが折れたせいだ。これまでに経験したことがない事態だから、後ろめたさと挫折感が綯い交ぜになったもやもやを抱えて過ごすことになる。そう、わたくしは本章が内包している、どれだけ密閉してみても外へ滲み出てくる瘴気にあてられて(蝕まれて)、挫折したのだ。舞台裏とも言い訳ともつかぬ事実を、ついでに告白しておく。
 しかしながら、エズ・ラ7:78-101〈死後の霊のたどる道〉で語られる神に背き律法を破った者と、神に敬虔であり律法を守った者の7つの点での対比についてだが、これ程双方が明暗を分けて説明された所が過去にあったことをわたくしは思い出せない。双方の間に、詩88:10や15をはさめば、まるで舞台劇のような様相を呈してくる──とは、わたくしの好みへあまりに引き寄せた感慨であろうか。



 ふと筆を止めたとき、本当に「エズラ記(ラテン語)」読書ノートを改稿する機会が巡ってくるのだろうか、と不安になる。予定通り旧約聖書続編を消化できていたら、いま頃は「マカバイ記・一」の改稿に取り掛かっていたはずなのに、いったいどうしてまだ続編の読書が終わっておらず、しかも「エズラ記(ラテン語)」のノートで斯様な醜態をさらしているのか? こんな忸怩たる思いを抱えてることになろうとは、今年1月の時点ではまったく考えられなかった。
 いまこんな状況に陥っているのは、なにがなんでも今年中に旧約聖書続編を読了させる、という望みに縛り付けられたからだろう。
 ──が、今更そんなことを嘆いても埒があかぬ。いまはこのまま本文の引用と感想をメモ程度に残しておき、いずれ行う改稿に備えておくより他ない。それがいつの日になるのか、正直わからない。いまの目算では、新約聖書を読了したあとかな。福音書や書簡などの読書・原稿執筆と「エズラ記(ラテン語)」のノートを並行して行うなど、自分の能力に余る。24時間354日すべてが自分の自由裁量で使えるようになったとしても、ぜったい無理。
 というわけで、ついさっきまで塞ぎこんでいたけれど、いまや迷いや恥辱とわたくしは完全に無縁である。ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュースに「ジェイコブズ・ラダー」という歌があるのだけれど、その歌詞通りにわたくしは、一段一段、一歩一歩、より高いところを目指して、えっちらおっちらジェイコブ(ヤコブ)の梯子を登ってゆくのである。◆

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