第1823日目1/2 〈エズラ記(ラテン語)第10章2/2−12章〈第五の幻〉:〈鷲の幻〉、〈幻の説明〉他with正月休みの読書候補に荒俣宏・編纂『怪奇文学大山脈』第3巻が浮上したこと。〉 [エズラ記(ラテン語)]

 エズラ記(ラテン語)第10章2/2,11,12章〈第五の幻〉です。

 エズ・ラ10:60−12:3 1/2〈鷲の幻〉
 わたしは言われたとおり、その夜も次の夜もそこで眠った。二日目の夜、わたしは夢を見た。
 見よ、一羽の鷲が海から昇って来た。その鷲には羽の生えた翼が十二と頭が三つあった。わたしが見ていると、見よ、鷲は翼を全地の上に広げた。そして天の風はすべて、鷲に向かって吹き、雲が鷲の周りに集まった。更に見ていると、羽の間から逆毛の羽が生えて来たが、それらは小さくて貧弱な羽となった。鷲の頭はいずれも不動のままであった。真ん中の頭は他の頭より大きかったが、それも他の頭と一緒にじっと動かなかった。
 更に見ていると、見よ、鷲はその羽を使って飛び、地とそこに住む人々を支配した。わたしは、天の下のものすべてが、鷲に従っている有様を見た。だれも、地上にある被造物のうち一つとしてこれに逆らうものがなかった。
 更に見ていると、見よ、鷲はつめをたてて立ち上がり、羽に向かって声を発して言った。「皆が同時に見張りをするな。めいめいが自分のところで眠り、順に見張りをするがよい。頭は最後に用立てる」と。見よ、その声が出ているのは頭からではなく、体の真ん中からであった。
 わたしは逆毛の羽を数えたが、それは八つあった。
 更に見ていると、右側から一つの羽が起き上がり、全地を支配した。その羽は支配していたけれども、終わりが来て消えうせ、その在りかすら見えなくなった。そして次の羽が起き上がって支配し、その時代は長く続いた。しかしこの羽も支配しているうちに終わりが来て、前の羽と同様に姿を消そうとしていた。
 すると、見よ、声が聞こえてきて、その羽に言った。「長い間地を支配していた羽よ、聞くがよい。お前が消えうせる前に、言っておくことがある。お前の後だれも、お前ほど長い間、いや、その半分すらも支配する者はいないだろう。」
 そして三番目の羽が起き上がり、前の二つの羽のように主権を握ったが、これも消えうせた。このように、すべての翼は代わる代わる主権を行使していったが、再び現れることは決してなかった。更に見ていると、見よ、時が来て、次の羽が自分たちも主権を握ろうとして右側から起き上がった。これらの中には、支配したものもあったが、すぐに消えうせた。またあるものは起き上がったが、主権を握るに至らなかった。この後更に見ていると、見よ、十二の羽と二つの小さな羽が消えうせた。そして、鷲の体には、じっとしている三つの頭と六つの小さな羽以外には、何も残らなかった。
 更に見ていると、六つの小さな羽から二つが離れて、右側の頭の下にとどまった。四つの小さな羽はそのまま元の場所にとどまっていた。
 見ていると、見よ、この四つの下の羽は立ち上がって主権を握ろうと企てていた。更に見ていると、その一つが立ち上がった。しかし、すぐ消えうせた。それから第二のものが立ち上がったが、これは、第一のものより早く消えうせた。更に見ていると、残った二つの羽は、自分たちも支配しようと企てていた。
 彼らがこのようなことを考えていたとき、見よ、じっとしていた頭のうちの一つで、真ん中のものが目を覚ました。これは他の二つよりも大きかった。見ていると、この頭は、他の二つを味方に引き入れた。この頭は、味方にした他の頭と一緒に振り向き、支配しようと企てていた下の二つの羽を食べてしまった。
 この頭は全地を制圧し、地に住む人々を支配して大いに苦しめた。そして、それまでのどの翼よりも大きな権力を全世界に振るった。この後、更に見ていると、真ん中の頭が、翼のときと同じように、突然消えうせた。
 さて、二つの頭が残った。この二つの頭も同様に、地とそこに住む人々を、支配した。更に見ていると、見よ、右側の頭が左側の頭を食べてしまった。
 わたしに話しかける声が聞こえてきた。「目の前をよく見て、見えるものについて考えなさい」と。
 わたしは見た。すると、森から獅子のようなものがほえながら起き上がって出て来た。そして、それが鷲に向かって人の声を発して言うのが聞こえた。
 「聞け、お前に言うことがある。いと高き方はお前にこう言われる。『お前は、わたしが世を支配させ、わたしの時の終わりを来させるために造った四つの獣の生き残りではないか』と。
 お前は四番目にやって来て、それまでの獣をすべて征服し、権力を振るって世を大いに震え上がらせ、全世界をひどく苦しめ、またこれほど長い間、世に住み着いて欺いた。お前は地を裁いたが、真理によってではなかった。お前は柔和な人を苦しめ、黙している人を傷つけ、真実を語る人を憎み、うそつきを愛し、栄える者の住居を壊し、お前に何の害も及ぼさなかった人の城壁を打ち倒した。お前の非道はいと高き方に、お前の傲慢は力ある者に達した。
 そこでいと高き方は、御自分の定めた時を顧みられた。すると、時は終わり、世は完了していた。それゆえ、鷲よ、お前は消えうせるのだ。お前の恐ろしい翼も、最も邪悪な小さな羽も、悪意に満ちたお前の頭も、最も邪悪なつめも、むなしいお前の体全体も消えうせるのだ。そうすれば、全地は、お前の暴力から解放されて力を取り戻し、地を造られた方の裁きと憐れみを待ち望むことができるであろう。」
 獅子が、この言葉を鷲に話していたとき、わたしが見ていると、見よ、生き残っていた頭は消えうせ、その頭のところに移っていた二つの翼が立ち上がって支配した。その治世は、短く、騒乱が絶えなかった。更に見ていると、二つの翼も消えうせて、鷲の体全体が燃えだした。そして地は恐れおののいた。

 エズ・ラ12:3 2/2−40 1/2〈幻の説明〉
 わたしは心がひどく乱れて、強い恐れにかられて目を覚ました。そしてわたしの霊に向かって言った。
 「見よ、お前がいと高き者の道を探り出そうとするので、こういうことになったのだ。見よ、わたしの心は疲れ、わたしの霊は弱りきっている。今夜、わたしが受けた恐怖があまりに大きかったので、わたしの中にはわずかな力もなくなっている。だから今、最後までわたしを強めてくださるようにいと高き方に祈ろう。」
 そしてわたしは祈った。「統べ治められる方、主よ、もし御好意にあずかっているのでしたら、そしてもし、わたしが多くの人々にまさって御前で正しい者とされ、また、わたしの願いが御顔の前に届きますなら、わたしを強めてください。あなたの僕であるわたしに、この恐ろしい幻のはっきりとした解き明かしをして、わたしの魂を十分に慰めてください。あなたはわたしを、時の終わりと終末のことを示すのに、ふさわしい者と見なしてくださったからです。」
 主は言われた。「あなたの見た幻を解き明かせばこのようになる。海から昇って来るのが見えたあの鷲は、あなたの兄弟ダニエルの幻に現れた第四の王国である。しかし、彼にはわたしが今、あなたに解き明かしているように、あるいは既に解き明かしたようには、明らかにされていなかった。
 見よ、時が来て、地上に一つの王国が興る。その王国は、それまでにあったどんな王国よりも、恐ろしいものである。そこでは、十二人の王が次から次へと支配するであろう。第二の王は、支配し始めると十二人の中のだれよりも長く治めることになる。これがあなたの見た十二の翼の解き明かしである。
 あなたは、声が鷲の頭からでなく、体の真ん中から出て来て話すのを聞いた。それを解き明かせばこうである。この王国の時代の後半に、小さくはない争いが生じて、王国は滅亡の危機に瀕する。しかし、その時には倒れず、再び力を取り戻す。
 また、あなたは翼に八つの下翼がついているのを見たが、それを解き明かせばこうである。その王国に八人の王が立つが、彼らの時代は短く、その年はすぐに終わってしまう。その中の二人は、時半ばにして滅びてしまう。しかし四人は、王国の終わりの時が近づくまで残るが、最後まで残るのは二人だけとなる。
 あなたはまた、動かないでいる三つの頭を見たが、それを解き明かせばこうである。その王国の終わりの時に、いと高き方は三つの王国を興す。彼はそこで多くのことを新たにする。王たちは地を支配し、そこに住む人々を、以前のどの王たちよりも大きな苦しみを味わいつつ支配する。このため、彼らは鷲の頭と呼ばれたのである。彼らこそ不敬虔を繰り返し、世の終末をもたらす者である。
 あなたは大きな頭が消えうせるのを見た。それは、彼らの中の一人が寝床で死ぬが、しかし苦しみながら死ぬということである。さて残った二人については、剣が彼らを食い尽くすのである。一人の剣が、一緒にいるもう一人を食い尽くす。しかし、彼自身も最後は剣に倒れるのである。
 あなたは、二つの下の翼が右の頭に移るのを見たが、それを解き明かせばこうである。彼らは、いと高き方が終わりの時まで取って置かれた者たちで、彼らの治世は短く、騒乱が絶えないであろう。あなたの見たとおりである。
 あなたは、獅子が森の中からほえながら、起き上がって出て来るのを見た。その獅子は鷲に話しかけ、言葉の限りを尽くして、鷲の不正な業を非難していた。これはあなたが耳にしたとおりである。
 この獅子とは、いと高き方が王たちとその不敬虔のために、終わりまで取って置かれたメシアである。彼は、王たちの不正を論証し、王たちの前に、その侮辱に満ちた行いを指摘する。メシアはまず、彼らを生きたまま裁きの座に立たせ、彼らの非を論証してから滅ぼす。彼は、残ったわたしの民を憐れみをもって解放する。彼らはわたしの領土で救われた者であり、メシアは終末、すなわち、裁きの日が来るまで、彼らに喜びを味わわせるであろう。裁きの日のことは、初めにあなたに話しておいた。これがあなたの見た夢とその解き明かしである。
 いと高き方のこの秘密を知るのにふさわしいのはあなただけであった。だから、あなたが見たことをみな、本に書き、隠れた場所にしまいなさい。そして民の中の賢い人々、すなわち、この秘密を理解し、守る心があるとあなたが思う人々に、これを教えなさい。しかしあなたは、あと七日間ここにとどまりなさい。そうすれば、いと高き方があなたに示そうと考えられることは何でも、あなたに示される。」
 そして、彼はわたしから去った。

 エズ・ラ12:40 2/2−51〈結び〉
 さて、七日間過ぎても、わたしが都に戻らなかったので、人々は、身分の低い者から高い者まで皆集まって、わたしのもとにやって来た。そしてわたしに言った。
 「わたしたちがあなたに対して、どのような罪を犯し、どのような不正をしたというのですか。なぜわたしたちを見捨ててここに座っておられるのですか。すべての預言者の中で、わたしたちに残されたのはあなただけなのです。あなたは、刈り入れで残った一房のぶどう、暗闇の中の明かり、嵐から逃れた船のための港のような方です。わたしたちにふりかかった災難がまだ足りないというのですか。あなたに見捨てられるくらいなら、シオンの大火で、わたしたちも焼かれてしまった方が、どれほどよかったことでしょう。あの大火で死んだ人々よりも、わたしたちの方がましだということはないのですから。」
 そして、彼らは大声で泣いた。
 わたしは彼らに言った。「イスラエルよ、信頼しなさい。ヤコブの家よ、悲しんではならない。いと高き方はあなたたちのことを覚え、力ある方は戦いの中にあるあなたたちを忘れられることはないのだ。わたしは、あなたたちを見捨てたわけでもなく、あなたたちから離れたわけでもない。わたしがここに来たのは、シオンの荒廃の赦しを願い、また、あなたたちの聖所がさげすまれたことへの憐れみを求めるためなのです。だから今、おのおの家に帰りなさい。わたしも定められた日数がたったら、あなたたちのところへ戻ろう。」
 そこで民は、わたしの言葉に従って都へ立ち去った。
 わたしは命じられたとおり、七日間、野原に座って、野の花だけを食べた。この期間、草花がわたしの食物であった。

 われらがかつて読んだ「ダニエル書」を繙こう。今回の〈第五の幻〉はダニエルが見た幻を基とし、これをいわば更新した内容──〈幻〉となる。
 ダニ7:19−25が、ダニエルの見た第四の獣の幻である。引用は控えるが、鉄の歯と青銅の爪を持ち、頭には10本の角を持つが内1本が強大なものとなり、また主に敵対していと高き方の聖者を悩ます存在が、この第四の獣の幻であった。エズ・ラ11:1−35で触れられる<海から昇ってきた一羽の鷲>もダニエルが見た第四の獣と同じで、いずれの場合も或る国家を暗喩する。即ちローマ帝国がこれだ。
 「エズラ記(ラテン語)」の場合、この幻については具体的に語られる。更にこの幻をダニエルが見たそれの更新というのは、鷲を滅ぼす存在として一頭の獅子が登場する点だ。獅子は鷲に向かって表面上は諭しとも取れる言葉を投げかける──が、実際のところ、それは鷲に手向けた滅びの宣告であった。つまり、帝政ローマが滅亡した後は神なる主によって全地の永遠統治の時代が訪れることが宣言されているのだ。
 それは後の世界史を俯瞰すると、たしかに<キリスト教>という形を取って全地を覆い尽くそうとしているように見える。が、それがここで語られるような永遠統治の実現であるかといえば、それは大いに疑問であるし、さなざまな要因をあれこれ浮かべて「否」といわざるを得ないであろう。歴史は一つの宗教の神によって規定されるものでも押し付けられるものでもないから、まぁ、或る意味で実現していないというのは至極当然なことであるし、異教徒からすれば大きなお世話でさえある。しかし、神なる主による永遠統治を待望し、それを終末のイメージのなかに組みこむ懐の深さ、広さ、そうして節操の無さについては、ちょっとだけ羨ましくなったりするのだ。
 ──エズ・ラ12:31−34に現れたる処の<メシア預言>、「この獅子とは、いと高き方が王たちとその不敬虔のために、終わりまで取って置かれたメシアである。彼は、王たちの不正を論証し、王たちの前に、その侮辱に満ちた行いを指摘する。メシアはまず、彼らを生きたまま裁きの座に立たせ、彼らの非を論証してから滅ぼす。彼は、残ったわたしの民を憐れみをもって解放する。彼らはわたしの領土で救われた者であり、メシアは終末、すなわち、裁きの日が来るまで、彼らに喜びを味わわせるであろう。」を読むと、そんな風に思う。
 ダニエルが見た4番目の獣が本章でいう「鷲」であり、鷲は帝政ローマの象徴であることを述べた。では、ここからは、エズ・ラ12:13以後について、可能な限り人物の推理・特定をしてゆこう。
 まず「12」。本書が成立したとされる後100年頃までに在位した、帝政ローマの皇帝の数とされるが、正確に12人の皇帝を指すというわけでもないだろう。キリのいい数字として「12」と表記された可能性も否定はできない。
 「エズラ記(ラテン語)」が成立したとされる時代間に在位したローマ皇帝だが、まず「ユリウス・クラウディウス朝」のアウグストゥス、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、「四皇帝」と称されるガルバ、オト、ウィテッリウス、ウェスパシアヌス、「フラティウス朝」のウェスパシアヌス(4皇帝の最後だが同時にフラティウス朝最初の皇帝でもあった)、ティトゥス、ドミティアヌス、「ネルウァ=アントニヌス朝」のネルウァ。ここまでで12人である。
 わたくしは先程、正確に12人の皇帝を指すかは未詳というた。どういうことかといえば、お話は一旦エズ・ラ3:1、サラティエルことエズラは都陥落から30年後の年バビロンにいた、という記述に立ち帰ることになる。もし本書の外題役エズラが前六世紀を生きたかのエズラでなく、後一世紀を生きたエズラという名を持つサラティエルだとした場合、第一次ユダヤ戦争でエルサレムがローマ軍によって陥落したのは後70年のことであるから、それから30年後は後100年前後となることを既に他で述べた。ローマ皇帝はこの時期に短期間で交代しているので、ネルウァから数代は「12」という数字の許容範囲として捉えるべきかもしれぬ。となれば、そのあとに続く、「ネルウァ=アントニヌス朝」のトラヤヌスまではここに治めて良いであろう、と考える。
 エズ・ラ12:15「第二の王は、支配し始めると十二人の中のだれよりも長く治めることになる。」これは、後14年9月18日から37年3月16日までという帝政ローマ前期の内でも最長在位期間を誇った第2代皇帝ティベリウスを指すのだろう。ちなみにティベリウスといえば、アーサー・マッケンの『怪奇クラブ』(『三人の詐欺師』)で重要な小道具として出たティベリウス銀貨の由来する人物であります。
 エズラ12:26「彼らの中の一人が寝床で死ぬが、しかし苦しみながら死ぬ」この人物を特定するのはわたくしには難しいが、おそらく暗殺された皇帝のうちの誰かであろう。また、同27−28「残った二人については、剣が彼らを食い尽くすのである。一人の剣が、一緒にいるもう一人を食い尽くす。しかし、彼自身も最後は剣に倒れる」は、戦で敗れて自死したオトと別の戦で敗死したウィテッリウスあたりであろうか、と思う。こうしたあたりはまたローマ史を勉強し直し、後日再点検と検証を行ってより事実に近附けてみたい。──古代ローマに憧憬の念を抱いていたH.P.ラヴクラフトであれば、事程さように悩むこともなかったのであろうが、まぁ、人には向き不向きがありますからね。歴史の好むところもそれぞれである、と詭弁を弄して本日の感想、幕を下ろさせていただこう。えへ。



 年末年始の休みに読む本は──かねて予告した──A.E.コッパードの短編集であろうけれど、昨日購入した素敵な1冊がそこに加わる(か、取って代わるか定かでないが、)可能性が急浮上してきた。荒俣宏・編纂『怪奇文学大山脈』第3巻(東京創元社)がそれである。副題は「西洋近代名作選【諸雑誌氾濫篇】」。
 20世紀に登場した諸雑誌──英米独の雑誌に発表されて今日まで紹介の機会を逃していた怪奇短編小説、また20世紀初頭から半ばに至までのフランスにて一世を風靡した煽情的かつ残虐リアリズムに彩られたグラン・ギニョル劇の作品を中心に、編者が精選して一堂に集まったのが本書である。既刊2巻同様、巻頭に編者入魂の「前書き」を置き、巻末には充実の作者案内がある。これを読むだけで、ああ荒俣宏がこの分野に帰ってきてくれた、と安堵と喜びを覚えるのは、果たしてわたくし一人のみではないはずだ。さよう、わたくしの世代、わたくしよりも少し上の世代にとって荒俣宏とは、怪奇・幻想文学の紹介者であり、アンソロジスとであり、いわば里程標的役割を担った人物であったはずだ──加えていえば、『世界大博物学図鑑』に代表される博物学の復興者としての、身持ちを崩してでも書物を購入するブック・コレクターとしての、存在であったはずだ。断じて今日のような、TV番組の雑学番組やらなにやらに顔を出し、司会者芸人に弄られたりする<ちょっと得体の知れない博学なおじさん>ではないのである。
 話が横道へ逸れかけたが、全3巻から成るこの『怪奇文学大山脈』は荒俣宏が原点回帰を果たして、本人いうところの「これが西欧の怪奇小説史について真摯に語る最後の機会となると思われる」(P75)仕事である。かれが恩師紀田順一郎と企画、編纂した〈世界幻想文学大系〉や古本で入手した〈怪奇幻想の文学〉や雑誌〈幻想と怪奇〉を読んで10−20代を過ごして好みや知識の土台を形成された者にとって、本叢書は待望の、そうして幾許かの寂しさも同時に感じさせるシリーズである。
 称揚されるべきはいずれの作品も本邦初訳であること。今回の第3巻に即していえば、個人的目玉はカール・ハンス・シュトローブル「舞踏会の夜」とメアリ・エリザベス・カウンセルマン「七子」であった。
 前者は高校生の時分に読んだ河出文庫の『ドイツ怪談集』に収められた「死の舞踏」の作者ということで、その後もシュトローブルの作品は目に付くたびに(その数は微々たるものであるが)読んできたし、自分が大学で第二外国語にドイツ語を選んだ理由もシュトローブルの作品を読んでみたいと望んだがゆえだ。また、カウンセルマンについては、その作品を読んだことはあってもどの本でどの作品を読んだのかも覚えていないけれど、ラヴクラフトの書簡集で彼女宛の書簡の内容にひどく心惹かれるものを感じていたことから、実際のその作品を読む前から妙に親近感を抱いていた人物であったのだ。そんな所以で、本書の目次を一瞥したときに胸の最奥から湧き起こってきた<歓び>は、ちょっと筆舌に尽くしがたい程のものがあったね。
 本書『怪奇文学大山脈』第3巻は全556ページ、21の作品を収める。小説に限らず戯曲もある。参考資料として、野尻抱影のエッセイも載せる。正直なところを申して、本書を正月休みにのんびりと読み耽り、読了できるとはまったく思うていない。コッパードの短編集にしても然りだ。そのヴォリュームがため、という理由もあるし、なんとその正月休みが元日を除いて吹っ飛ぶ可能性も濃くなってきたからである。文語訳の新約聖書にも目を通しておきたいしなぁ……。
 実際がどうなるかまだ話すことはできないけれど、そのときになったらここで報告できるかもしれない。◆

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