第1824日目 〈エズラ記(ラテン語)第13章〈第六の幻〉:〈海から昇る人〉、〈幻の説明〉&〈結び〉他with本ブログ改稿の教師となるは、やはりあの方のみ──S.K!〉 [エズラ記(ラテン語)]

 エズラ記(ラテン語)第13章〈第六の幻〉です。

 エズ・ラ13:1−13〈海から昇る人〉
 七日の後、夜わたしは夢を見た。
 見よ、海から風が起こり、潮の流れが逆巻いていた。わたしが見ていると、見よ、人が天の雲とともに飛んでいた。
 彼が顔を向けて見つめると、見つめられたものは皆、震え上がった。彼の口から声が出ると、どこでもその声を耳にした人は皆、蝋が火に触れて熔けるように燃え上がった。
 その後、わたしが見ていると、見よ、無数の人々の群れが天の四方から集まって来て、海から昇って来た人と戦おうとしていた。更に見ていると、見よ、その人は自分のために大きな山を刻み出し、その上に飛び上がった。わたしは、山が刻み出された地方または場所を見ようとしたが、できなかった。
 その後、更に見ていると、彼と戦おうとして、集まって来た人々は皆、ひどく恐怖にかられたが、それでもあえて戦い始めた。すると、見よ、彼は群衆の襲撃を見ても手を上げず、投げ槍も取らず、何の武器も取らなかった。ただわたしが目にしたのは、彼が口から火の流れのようなものを、唇から炎の息を、舌からは稲妻の嵐を発している有様だった。そして、火の流れと炎の息と大嵐はすべて、同時に混ざり合った。それは、戦おうとして襲って来た群衆の上に落ち、すべての者を焼き尽くした。すると、たちまち無数の群衆は見えなくなり、灰の粉と煙のにおいだけになってしまった。わたしはこれを見て驚いた。
 この後、わたしは、この人が山から下りて、別の平和な群衆を自分のもとに招いているのを見た。彼のもとに、様々な顔の人々が近づいて来た。喜んでいる者もいれば、悲しんでいる者もいた。ある者は縛られており、ある者は差し出すべく捕虜を引き連れていた。
 わたしは非常に恐ろしくなって、目を覚まし、いと高き方に祈った。

 エズ・ラ13:14−56〈幻の説明〉
 「あなたは初めから、僕にこれらの不思議を示され、わたしを認めて願いを受け入れるにふさわしい者とされました。今、また、わたしにこの夢の解き明かしをしてください。わたしが思いますには、その日まで残された人々は不幸ですが、残されなかった人々はもっと不幸です。残されなかった人々は、終わりの日に備えられているものを知りながら、それに達しえないと分かって悲しみを味わうからです。
 しかし残された人々も、不幸なのです。というのも、この夢が示しているように、大きな危険と多くの苦しみに遭うのですから。それでも、雲のようにこの世から去って行き、終わりの日に起こることを見ないよりは、危険に遭いながらも、終わりの日に至る方が、まだましです。」
 主はお答えになった。「幻の解き明かしをしよう。また、あなたが話したことについても明らかにしよう。あなたは残された人々と、残されなかった人々について語ったが、それを解き明かせばこのようになる。その時に危険をもたらす方こそ、危険に陥る人々を守り、彼らは全能者のために働き、信仰を保つ者となるだろう。だから、死んだ人々より、残された人々の方が、はるかに幸せであることを知るがよい。幻を解き明かせば、このようになる。
 あなたは、海の中から人が上がって来るのを見たが、この人こそいと高き方が長い間取って置かれた人である。この人は自分で自分の被造物を解放し、残された人々の運命を定めるであろう。あなたは、彼の口から風と火と嵐が出るのを見た。彼は、投げ槍も武器も持たずに、自分を倒そうとして来た群衆の襲撃を粉砕した。これを解き明かせばこのようになる。
 見よ、いと高き方が地上にいる人々を救う日が来る。そして、地に住む人々は正気を失うであろう。町は町に、地方は地方に、民は民に、国は国に対して、互いに戦いを企てる。これらのことが起こり、わたしがさきにあなたに示したしるしが現れるとき、そのとき、わたしの子が登場する。わたしの子とは、海から昇るのをあなたが見た人のことである。
 すべての民は彼の声を聞くと、おのおの、自分の国を捨て、互いに戦うのすらやめて、一つに集結し、無数の群衆となって、あなたが見たとおり、彼に戦いを挑むであろう。しかし彼は、シオンの山の頂に立つ。あなたは山が手によらずに刻み出されるのを見たが、シオンは整えられ、建てられた姿で到来し、すべての人々に現れる。そこで、わたしの子は、立ち向かって来た民に対して、その不敬虔を論証する。これが嵐にたとえられているのである。そして、彼らの前で、その邪悪な思いをとがめ、彼らをさいなむ懲らしめを与える。これが炎にたとえられている。そして、彼らを律法によって難なく滅ぼす。これが火にたとえられているのである。
 あなたは、彼が別の平和な群衆を自分のもとに集めるのを見た。これはかの九つの部族のことである。彼らはかつてヨシヤ王の時代に、捕囚となって祖国から連れ出された民である。アッシリア王シャルマナサルは彼らを捕虜として連行し、川の向こうに移し、彼らはこうして他国に移されたのである。
 しかし彼らは、多くの異邦の民を離れて、人がまだだれも住んだことのないほかの地方に行こうと決心した。彼らは、それまでいた地方では守ることのできなかった掟を、そこで守りたかったのである。彼らはユーフラテス川の狭い支流を通って入って行った。その時、いと高き方は彼らにしるしを行い、彼らが渡るまで、川の流れをせき止められた。その地方を通り過ぎる道のりは長く、一年半に及んだ。その地方は、アルザルと呼ばれている。彼らは、最近までそこに住んでいたのである。
 そして今、彼らは再び帰国の途につき、いと高き方は彼らが渡れるようにと、川の流れを再びせき止められた。あなたが、平和のうちに集まった群衆を見たのはこのことだったのである。しかしあなたの民の中で残されて、わたしの聖地に見いだされる人々も同様である。そこでわたしの子は、集まった諸国の民の群れを滅ぼすとき、残された民を守る。その時、彼は、おびただしい奇跡を彼らに示す。」
 わたしは言った。「統べ治められる方、主よ、このことを教えてください。なぜわたしは、海の中から人が昇って来るのを見たのですか。」
 主は言われた。「海の深みに何があるかを、だれも調べたり、知ったりすることができないように、地上のだれも、その日まで、わたしの子や、彼と共にいる人々を見ることはできない。これが、あなたの見た夢の解き明かしである。しかも、これは、あなただけに明かされたのである。あなたは、自分のことを捨てて、わたしのことに専念し、わたしの律法を追い求めたからである。あなたは、自分の人生を知恵に従って整え、あなたの知性を母と呼んだ。それゆえ、わたしは、いと高き方からの報いとしてこのことを示したのである。
 三日後には、更に別のことを話し、大切な驚くべきことを説明しよう。」

 エズ・ラ13:57−58〈結び〉
 わたしは、野原へ出て行き、時に応じて行われた奇跡のゆえにいと高き方を大いにほめたたえた。いと高き方は、時と、時の中で生じることを支配されるからである。わたしは三日間そこにとどまった。

 天使はエズラに、むかしアッシリア王シャルマナサルによってアッシリア捕囚となったイスラエルの民について語る(エズ・ラ13:40)。時の北王国の王はホシェア。ここでいうシャルマナセルは5世、実際にサマリア陥落/北王国イスラエル滅亡を遂行したのはサルゴン2世であった。それは年号でいえば前722年、南王国がヒゼキヤ王第6年のことである(王下17:1、王下18:9-12)。
 ソロモン王の崩御後南北に分裂してダビデ王朝の系譜を継ぐことのなかった北王国イスラエルは、北から迫り来たった強大な敵アッシリアの侵攻によって前722年に王都サマリアが陥落したことで、王国は滅亡した。以後、旧北王国領には指導者を連行された王国民とバビロニアからの移住者などが暮らす地となった。北王国イスラエルには10部族が住まっていたが、アッシリア捕囚と異郷民の入植によって次第に姿を消してゆき、やがてこの地上からイスラエルの10部族は消え果てた。
 エズ・ラ13:40で語られる「九つの民」は北王国にいた10部族のことを指すのであろうか。数字は必ずしも正確な値を示すものとは限らない。それが概数であったりすれば、北王国にいた10部族をここではなんらかの理由あって「九つの部族」と呼ぶのだろう。なお、統一王国イスラエルから分裂して北王国イスラエルを形成するに至ったのは、以下の部族である。即ち、──
 ・エフライム
 ・ルベン
 ・マナセ
 ・ガド
 ・イサカル
 ・ゼブルン
 ・ナフタリ
 ・ダン
 ・アシェル
 ・シメオン
である(順不同)。
 ただし、10部族のすべての者がアッシリア捕囚となったわけではないし、残された者もその場に留まり異郷民との交配・雑婚を経て同化、歴史の表舞台から消えたわけではない。捕囚として連行されなかった者たちの多くはユダ王国に移り住んで、そのまま南王国の一員として生きたのである。また、アシェル族については北王国滅亡後に書かれた文献に拠れば、後にユダヤ教に改宗したという。
 となれば、エズ・ラ13:42「彼らは、それまでいた地方では守ることのできなかった掟を、そこで守りたかったのである」は旧北王国の残された民による信仰回帰であり、エズ・ラ13:48「あなたの民の中で残されて、わたしの聖地に見いだされる人々」はバビロン捕囚となった旧南王国の民のうちエルサレムへ帰還して先祖の信仰を取り戻した者たちを指すのか。いずれにせよ、といういい方は好きでないが、これらは幻のなかで示されたユダヤ人の信仰が回復することを謳ったものであろう。
 なお、「アルザル」なる地名であるが、そもこれが固有名詞であるかどうかも不明だ。『ムー』的想像を巡らすのが好きな向きにはアルザルは地底文明、或いは地底王国の名称として有名なようで、「エズラ記(ラテン語)」の当該節を引いて(エズ・ラ13:41−46)、「あの旧約聖書続編に記述があるんですよ!」とはしゃいでいる様子が見受けられるが、この人たちが本当に「エズラ記(ラテン語)」全編、旧約聖書続編、旧約聖書を読んでいるのか、甚だ疑問である。そもいくら勘のいい人であっても掲載書の限られる「エズラ記(ラテン語)」をその分野の基礎教養として読んでいるものなのか。
 一部冷静さを欠いた人々のはしゃぎぶりは、自分にとって都合の良い箇所を都合良く解釈するだけの、ものみの塔となんら変わるところはない。ロマンあふれる発想であるのは否定しないし、個人的にはそれに失われた部族が地底の王国に逃れていまもその血脈を保っている、なんて聞くと胸がときめいて、知らずワクワクしてくるけれど、聖書読者としてアルザルを検討するのとファンタジーや伝承を好んでアルザルを想像するのは、まったく別次元の話である。
 つまり、本ブログに於いてはこの名詞について不詳と判断する。



 本ブログ就中「エズラ記(ラテン語)」を改稿する祭、わたくしが参考とすべきなのは過去に「GIGAZINE」へ掲載された<スティーヴン・キングが語る「小説家として成功するために知るべきすべてのこと」>である。これを教師に、また「わが神」キングが著した『小説作法』(アーティスト・ハウス 『書くということ』小学館文庫)をこれまで同様に座右へ置いて、いずれ訪れるであろう改稿作業に取り組んでゆく。
 本来なら毎日キングを範としてブログの文章も書いてゆければ良いのだけれど、毎日定時更新を宣言して日々その日の原稿に追われる身となればなかなかそれもかなわぬ望みであるのが、残念である。◆

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