第1830日目 〈旧約聖書続編の読書ブログは昨日で終わりです。ありがとうございました!〉 [終わりのあいさつ]

 昨日を以て旧約聖書続編全編の読書、およびそれに伴う原稿執筆が終わりました。なんとか当初の予定として掲げた年内の読了を達成できたことに、わずかの後ろ暗いところはあるといえども喜んでおるものであります。
 この旧約聖書続編は今年2014(平成26)年1月11日に読み始めて、先日12月28日に読み終わりました。「マカバイ記一」で悩み、「知恵の書」や「シラ書」で難渋し、「エズラ記(ラテン語)」でつまづきましたけれど、それでもなんとか本ブログ2度目の「終わりのあいさつ」を、こうして書くことができています。この間、特筆大書すべきことはありませんでしたが、言い換えればそれは、日々を大過なく過ごすことができたゆえの感想であり、朝起きて着替えて顔を洗って食事して、通勤電車に揺られて会社へ行き、激しく鳴り続ける電話の合間に事務仕事を片附けて、定時になれば呆けて抜け殻の如くになって退勤し、その後は概ね寄り道しては聖書を開いて読んで原稿を書いてPCで清書・予約投稿を済ませ、ふらふらと帰宅したあとは風呂に入って夕食を摂り、その傍らに録画しておいた映画やTVドラマを観て寝る、という生活を判で押したように毎日続けてこられたがゆえの感慨なのかもしれません。本ブログは毎日の決まり切った行動が蓄積された結果である、と申せましょうか。
 ちょっと話が横道にそれちまったが、今回、1年を費やして旧約聖書続編を読んで思うたのは、それぞれの書物の個性の強さと、続編(外典)ということで異端視されたり色眼鏡で見られがちと思うていた個々の書物が旧約聖書正典に収められるのとまったく遜色ない内容と質と敬虔ぶり(畏怖、讃美)を示している、という点でありました。
 精しく見てゆけば、続編収録の13書がどうして正典ではなく外典として一括りにされたのか、などわかってくるのでしょうが、ユダヤ教徒でもキリスト者でなく、教会へ通ったわけでも日曜学校に行ったわけでもなく、ましてやミッションスクールや神学校とも具体的な縁があるわけでもない、聖書を信仰のためでも学びのためでも説教のためでも研究のためでもないあくまで一般的意味合いでの読書対象として接するわたくしには、正典の36書と続編の13書との間に何某かの差異を認めることができぬ。たとえばルターやカルヴァンはこのあたりについてなにか書き記しているのかもしれないけれど、いまのわたくしにはそれを探求する気持ちはない。まずは聖書を読了してしまうことが最優先である、と思うているからだ。
 旧約聖書続編に収められる各書物は、旧約聖書と新約聖書の間の時代に成立してゆきました。この間に、捕囚から解放されて都と神殿を再建したユダヤ人と、かれらの住まうパレスティナ地方を取り巻く政治的軍事的環境は大きく変化しました。即ち、それまでは中東の一地方に過ぎなかった(たといオリエント史では相応の役割を果たしたと雖も)ユダヤを含むパレスティナ地方が、ギリシアやローマといった世界史の主役と密に関わりある存在としてクローズアップされたのであります。このあたりを描いたのが、春から初夏にかけて読んだ「マカバイ記」でありました。<マカバイ戦争>を通じてユダヤ人は、プトレマイオス朝エジプトやセレコウス朝シリアの圧政を退けてハスモン朝を樹立しましたが、これの残照はそのまま新約聖書の時代の曙光ともなっている、と申しあげてよろしいでしょう。
 ──旧約聖書続編の読書には、旧約聖書のときと異なり参考とすべき文献が著しく少なくて不安でした。けっきょくはこのように完走することができたわけですが、もっと旧約聖書続編にまつわる書物が、語義や異文の検討を含めた詳しいものから平易な入門書まで出揃ってほしい、と思います。聖書辞典や人名辞典の充実も結構ですが、それらが旧約聖書続編に対応していないのではお話になりません。わたくしは今年1年間、旧約聖書続編を読み通して、つくづくこの書物のおもしろさ、奥深さなど経験しました。これを基にして声を大にすれば、聖書学者や聖書に普段から接している文筆業者には是非、旧約聖書続編のおもしろさや各巻の内容紹介などした一冊の独立した書物を書いて、販売ルートに乗せていただきたいものである、と希望しております。こんな書物が出版されたら、わたくしはいの一番に購入者に名乗りをあげる者であります。
 旧約聖書続編を読む際は、秦剛平『旧約聖書続編講義』(リトン)や土岐健治『旧約聖書外典偽典概説』(教文館)などが最適な案内書となりましょうが、併せて山川出版社から出ている『詳説 世界史』やヨセフス『ユダヤ古代誌』(ちくま学芸文庫)、アレキサンダー大王とその後の時代について触れたギリシア史や、帝政ローマを扱った歴史の本などを読んでみると、一層おもしろさが増すと思います。
 旧約聖書続編へ収められる書物のうち、「マカバイ記一」と「エズラ記(ラテン語)」のノートは機会を得て新しくする必要があります。前者については時代背景や人物相関、地理の把握などが今一つだった感があるために。後者についてはその摑み所のなさと内容をまとめる能力の不足ゆえに。──これらの改訂、改稿については新約聖書の読了後に手掛ける可能性が、いまは非常に濃厚であります。
 その新約聖書ですが、これは読むべき本、調べるべき事柄、1日のノートの分量、それぞれ多くなるものでもありますので、来月から始めて1年半程の期間を費やして──腰を据えて──読んでゆくつもりでおります。
 なお、旧約聖書の読書ノートブログを終わる際に行ったことでもありますので、次から読む新約聖書の書名を列記して、この稿を閉じようと思います。以下、──
 01;マタイによる福音書
 02;マルコによる福音書
 03;ルカによる福音書
 04;ヨハネによる福音書
 05;使徒言行録
 06;ローマの信徒への手紙
 07;コリントの信徒への手紙 一
 08;コリントの信徒への手紙 二
 09;ガラテヤの信徒への手紙
 10;エフェソの信徒への手紙
 11;フィリピの信徒への手紙
 12;コロサイの信徒への手紙
 13;テサロニケの信徒への手紙 一
 14;テサロニケの信徒への手紙 二
 15;テモテへの手紙 一
 16;テモテへの手紙 二
 17;テトスへの手紙
 18;フィレモンへの手紙
 19;ヘブライ人への手紙
 20;ヤコブの手紙
 21;ペトロの手紙 一
 22;ペトロの手紙 二
 23;ヨハネの手紙 一
 24;ヨハネの手紙 二
 25;ヨハネの手紙 三
 26;ユダの手紙
 27;ヨハネの黙示録

 最後になりましたが、本ブログをこれまでお読みいただき、ありがとうございました。これからしばらくはエッセイの期間が続きますが、来年、ここで、聖書読書ノートブログとして再会しましょう。◆

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