第1847日目 〈マタイによる福音書第2章:〈占星術の学者たちが訪れる〉、〈ヘロデ、子供を皆殺しにする〉他〉 [マタイによる福音書]

 マタイによる福音書第2章です。

 マタ2:1-12〈占星術の学者たちが訪れる〉
 ベツレヘムでイエスが生まれたのと時を同じくして、エルサレムのヘロデ王の許に訪問客があった。かれらは占星術の学者で、東方から来たのである。
 ユダヤ人の王として生まれた方はどこにいるのか、とかれらが訊いた。ヘロデは不安を覚えた。かれらのいう人物が自分の地位を脅かす者、と感じたためである。また、エルサレムの民も王同様に震えおののいた。そこで王は学者たちを待たせて、民の祭司長と律法学者たちを集めて、このことを知っているか訊ねた。祭司長と律法学者たちは知っていた。それによれば、かの者はユダヤのベツレヘムで生まれる、とのことだった。
 ヘロデ王は学者たちにそれを教え、自分もその方のところに行って拝みたいから、わかったことがあったら報告してほしい、と伝え、かれらをベツレヘムへ送り出した。
 ベツレヘムへ向かうかれらの前に、以前東方で見た星が再び現れた。それはかれらを導き、幼子の家の上で止まった。学者たちがおそるおそる家のなかを覗くと、そこには母マリアに抱かれた幼子イエスがいたのである。かれらは伏して拝み、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
 その後、かれらは夢のお告げ(「ヘロデの許へ行くな」)に従って、エルサレムを迂回して自分たちの国へ帰っていった。

 マタ2:13-15〈エジプトに避難する〉
 東方からの訪問者が帰国したあと、ヨセフは夢のなかで(再び)天使の告げることを聞いた。曰く、ヘロデが幼子の命を奪おうと計画している、妻と子供を連れてエジプトへ逃れよ、わたしが良いというまでそこに留まれ、と。
 ──ヨセフはそうした。エジプトにはヘロデ王が世を去るまで滞在した。「それは、『わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した』と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」(マタ2:15,ホセ11:1)

 マタ2:16-18〈ヘロデ、子供を皆殺しにする〉
 占星術の学者たちが自分を欺いて帰国したことを知ったヘロデ王。かれは大いに怒り、学者たちにあらかじめ確かめておいた時期に、ベツレヘムとその周辺地域で生まれた2歳以下の男児の虐殺を命じた。そうしてそれは実行された。
 斯様にして、むかし、主が悲しみの預言者エレミヤを通して語ったことが実現したのである(エレ31:15)。

 マタ2:19-23〈エジプトから帰国する〉
 やがてヘロデ王が崩御した。エジプトのヨセフは夢のなかの主の天使のお告げによって、それを知った。ヨセフはマリアとイエスを連れてイスラエルへ帰国した。
 が、王の子アルケラオが亡父の所領を兄弟と分割統治している、と知ると、ユダヤの北方ガリラヤ地方の小村ナザレに身を隠すようにして住んだのだった。

 イエス生誕の地はガリラヤ地方の小村ナザレである。
 福音書に端を発して、ややもすると今日に至るまで未だ根強く思いこまれている<イエスの生地=ベツレヘム>なる挿話は、ダビデ王ゆかりの町でその子孫イエスが生まれたことを強調したいがために為された、歴史のどこかの段階で行われた(良くいえば)改訂である。既に忘却の彼方かもしれぬが思い出すべきは、このベツレヘムがダビデの生誕地であり、サムエルによって油を注がれて統一王国イスラエルの王に即位した地である、ということだ。イエスはダビデの町で生まれたことにしなくてはならなかった!
 そうして後にイエスは<ナザレの人>と称されるようになる。一旦はエジプトへ逃げて、情勢が変わるとイスラエルに帰国したヨセフ一家が、エルサレムの南約8キロの地点にある、かつて住んでいた町ベツレヘムを通過して、わざわざ北方の寒村ナザレに赴かねばならなかった(ことにする)理由は、後代のイエスの呼称にある原因を求められよう。両者の整合性を図ったとき、イエスを仲介としたベツレヘムとナザレの奇妙な関係が誕生した、といえそうである。
 なお、今日ではイエスの誕生はヘロデ王の崩御と同じ前4年である、とするのが一般的。つまり、われらが知るより4年も前から20世紀にも21世紀にも突入していたわけだ。その伝でゆくと、今年はカレンダー上は2015年だが、本当は2019年になるのであって、ちょっとふしぎな気がする。
 なお、イエス生誕の時にベツレヘムを訪れた東方の3博士だが、7世紀になってそれぞれに名前と象徴的意味合いが付与されて、贈り物と関連づけられた。即ち、黄金はメルキオールを、乳香はバルタザールを、没薬はカスパールである(「没薬」の読みは「もつやく」であって「ぼつやく」ではない)。メルキオールは王権を象徴して青年の姿を、バルタザールは神聖を象徴して壮年の姿を、カスパールは死を象徴して老人の姿を、それぞれしている、とのことだ。リヒャルト・シュトラウスのオーケストラ伴奏歌曲に、《東の国からきた聖なる3人の王たち》という作品がある。◆

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