第1851日目 〈マタイによる福音書第5章/「山上の説教」1/3:〈山上の説教を始める〉、〈地の塩、世の光〉他withこれから君の許へ行く、俺の訪れを待っていてほしい。〉 [マタイによる福音書]

 マタイによる福音書第5章、「山上の説教」1/3です。

 マタ5:1-2〈山上の説教を始める〉
 ──ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川東岸ペレア地方から来るたくさんの人々を見て、イエスは卒然と山へ登り、適当な所で腰をおろすと、従ってきた弟子たちを前に口を開き、教えを宣べた。
 いわゆる「山上の説教」である。

 マタ5:3-12〈幸い〉
 「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
 悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。
 柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。
 義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。
 憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。
 心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。
 平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。
 義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
 わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタ5:3-12)

 マタ5:13-16〈地の塩、世の光〉
 あなた方は地の塩である。もし塩から塩気がなくなってしまえば、もはや塩としての機能は果たさない。なんの役にも立たなくなったものは棄てられ、踏みつけられるのが常だ。
 あなた方は世の光である。それは燭台の上にあって家のなかのすべてを照らす。「そのようにあなた方の光を人々の前に輝かしなさい。」(マタ5:16)

 マタ5:17-20〈律法について〉
 わたしは律法を完成させるために来た。けっして律法や預言者を廃するためではない。つまり、主の教えを除くのではなく、主の教えを完成させるために来たのだ。
 「すべてのことが実現し、天地が消え失せるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。」(マタ5:18)
 ゆえに律法の定めた掟の最も小さなものであっても、それを破り、お前たちもこうするように、と教える輩は、天の国に於いて最も小さな者となる。
 反対に律法の定めた掟の最も小さなものであっても、それを守り、あなた達もこうするように、と教える人は、天の国に於いては大いなる者となる。
 ──あなた方の義がファリサイ派や律法学者の義に優っていなければ、あなた方は天の国に入ることができない。

 マタ5:21-26〈腹を立ててはならない〉
 兄弟に腹を立てる者は裁かれる。
 「あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。」(マタ5:23-24)

 マタ5:27-30〈姦淫してはならない〉
 律法に「汝、姦淫するなかれ」という(出20:13,申5:18)。
 しかし、わたしはいっておく。「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心のなかでその女を犯したのである。」(マタ5:28)
 右の目があなたを躓かせるなら、それを抉り出してしまえ。右の手があなたを躓かせるなら、それを切断して棄てろ。その方が、地獄へ投げこまれるより、ずっと良い。

 マタ5:31-32〈離縁してはならない〉
 非合法な理由以外で結婚したのでない限り、妻を離縁する者は、何人と雖も、彼女に姦通の罪を犯させるのである。彼女を新たに妻とした男の姦通の罪を犯した者と見做される。

 マタ5:33-37〈誓ってはならない〉
 「一切誓いを立ててはならない。」(マタ5:34)天にも地にも、エルサレムにも、頭にも。
 天は神の玉座である。地は神の足台である。エルサレムはヘロデの都である。頭髪1本すら自分の思うままにはならない。
 「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは悪い者から出るのである。」(マタ5:37)

 マタ5:38-42〈復讐してはならない〉
 律法に「目には目を、歯には歯を」(出21:24,レビ24:20,申19:21)という。
 しかし、わたしはいっておく。「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」(マタ5:39)

 マタ5:43-48〈敵を愛しなさい〉
 あなた方は、あなた方の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなた方が天の父の子となるためである。天の父は、悪人にも善人にも等しく太陽を昇らせ、正しい人にも正しくない人にも等しく雨を降らせるのである。
 「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
 だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタ5:46-48)

 山上の説教はそこで語られる言葉ゆえに昔から知られてきたところである。が、実はけっこう厳しい物言いがなされていることにも、こうした読書を通じて思い知らされるところである。
 〈姦淫するなかれ〉と語る箇所では、人妻に対して邪な想いを抱くなら、目玉を抉り出せ、手を切り棄てろ、という。その方が地獄へ放りこまれるよりははるかにマシであろう、と。〈離縁するなかれ〉ではきちんとした手続きを踏んで婚姻した夫婦に対して、妻を離縁するならそれは彼女に姦淫の罪を犯させたも同然だ、といって夫であった男を糾弾する。〈敵を愛せ〉では親しい者、身内の者に愛し愛されていたとしてもそれがどうだというのだ、そんなことは蔑まされる者であっても行っている当然至極のことだ、と一刀両断する。
 薄皮を剥げば真実の姿が見えてくる。これは「山上の説教」に於いても同じなようである。
 実を申せば最初、マタ5:43-48〈敵を愛しなさい〉を読んだとき、どうにも引用した一文の真意がわかりかねた。そんなことは当たり前の行為なのだから、幾らそれを行ったとしても善行を積むことにはならない。そんな意味であろうか。──そんな風に考えたりしたこともあった。
 が、本稿を執筆するためにこの条を読書していたら、ようやくわかったのだった。完全な者となるには身内や親しい者、相愛の間柄にある者ばかりでなく、自身にとっての敵、天敵、最悪の敵(your own worst enemy)、生理的嫌悪感が先に立つ輩であっても仕事のライヴァルであっても、等しくかれらをも愛し、理解するよう努めなくてはならないのだ、ということを、マタ5:43-48〈敵を愛しなさい〉は教えるのだ、と思い至ったのである。
 知る者からすれば、一読すぐ理解できることであっても、わたくしにとっては少々の回り道乃至は考える時間が必要だったりする。が、どれだけ時間をかけてでも、多少の遠回りがあったとしても、文章や言葉の意図するところがやがて理解できれば、それで良い。ねじ曲げて解釈したり、自身の考えに沿うような、文脈を無視して己にとって都合の良い考えを構築するよりは、はるかに良いであろう。
 なお、イエスが山上の説教を行ったのは、カファルナウムの町をガリラヤ湖畔に反時計廻りに南下、ゲネサルの野へ至る手前にある山である由。ここには「山上の説教の教会」と呼ばれる古代より存在する教会があって、イスラエルの観光ガイドなどにも載る所であります。

 本日の旧約聖書はマタ5:21と出20:13,申5:17。マタ5:27と出20:14,申5:18。マタ5:31と申24:1。マタ5:33とレビ19:12,民30:3。マタ5:38と出21:24,レビ24:20,申19:21。マタ5:43とレビ19:18。
 「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。」(マタ5:21)
 これの典拠は、
 「殺してはならない。」(出20:13)
 「殺してはならない。」(申5:17)

 「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。」(マタ5:27)
 「姦淫してはならない。」(出20:14)
 「姦淫してはならない。」(申5:18)

 「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。」(マタ5:31)
 これの典拠は、
 「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる。」(申24:1)

 「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。」(マタ5:33)
 これの典拠は、
 「わたしの名を用いて偽り誓ってはならない。それによってあなたの神の名を汚してはならない。」(レビ19:12)
 「人が主に誓願を立てるか、物断ちの誓いをするならば、その言葉を破ってはならない。すべて、口にしたとおり、実行しなければならない。」(民30:3)

 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。」(マタ5:38)
 これの典拠は、
 「目には目、歯には歯、手には手、足には足」(出21:24)
 「骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を受けねばならない。」(レビ24:20)
 「あなたは憐れみをかけてはならない。命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足を報いなければならない。」(申19:21)

 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。」(マタ5:43)
 これの典拠は、
 「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」(レビ19:18)



 待っていてくれ、これから君を迎えに行く。わたくしの来ることを、君が楽しみにしてくれていることを祈りたい。外は風が強い。夜風ゆえにその冷たさは一入であろう。早く君に会いたい。そうして君を僕の胃袋へ押しこんであげたい。待っていてくれ、キリンシティの黒ビールよ。◆

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