第1856日目 〈マタイによる福音書第10章&第11章1/2:〈十二人を選ぶ〉、〈迫害を予告する〉with椎名へきるレヴュー・ブログの統合、是か非か。〉 [マタイによる福音書]

 マタイによる福音書第10章と第11章1/2です。

 マタ10:1-4〈十二人を選ぶ〉
 イエスは自分の12人の弟子を呼び寄せた。そうしてかれらに、汚れた霊に対する権能、即ち悪霊を追い出して、人々のあらゆる病気や患いを癒やす権能を与えた。かれらは12使徒と呼ばれ、それを構成する者は以下の通りである、──
 ・ペトロと呼ばれるシモン
 ・アンデレ   ※シモンとアンデレは兄弟である。
 ・ヤコブ
 ・ヨハネ    ※ヤコブとヨハネはゼベダイの子、兄弟である。
 ・フィリポ
 ・バルトロマイ
 ・トマス
 ・徴税人マタイ
 ・アルファイの子ヤコブ
 ・タダイ
 ・熱心党のシモン
 ・イスカリオテのユダ   ※後にイエスを裏切り、ファリサイ派の祭司長に引き渡す。

 マタ10:5-15〈十二人を派遣する〉
 呼び寄せた12人の弟子を各地へ派遣する前に、イエスはかれらに幾つかのことを命じた。
 異邦人の町、サマリア人の町に入るな。イスラエルの家の失われた羊、即ちユダヤ人のところへ行きなさい。そこで天の国が近附きつつあることを宣べ伝え、病人を癒やし、悪霊を追い出して、人を健やかにしなさい。
 「町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。」(マタ10:11-13)
 もしあなた方の言葉に耳を傾けぬ町あらば、そこを出るとき足の裏の埃を払い落としなさい。裁きの日、その町はソドムやゴモラよりも重い罰を受けることだろう。

 マタ10:16-25〈迫害を予告する〉
 わたしはこれからあなた方を各地へ遣わすが、これは狼の群れのなかへ羊を放りこむに等しい行為であることは承知している。ゆえにあなた方は、「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」(マタ10:16)
 他人を警戒しなさない。やがてあなた方は地方法院へ引き渡され、会堂にて鞭打たれる。やがてあなた方は王や総督の前に引き出され、かれらへ証しを立てねばならぬようになる。その際、なにをどう話そうか、迷う必要はない。父の霊が代わって語ってくれよう。
 わが名ゆえにあなた方はすべての人から憎まれる。が、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。ある町で迫害されたら他の町へ移ればよい。
 「はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人のことは来る。」(マタ10:23)

 マタ10:26-31〈恐るべき者〉
 あなた方は誰をも恐れてはならぬ。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタ10:28)

 マタ10:32-33〈イエスの仲間であると言い渡す〉
 「だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」(マタ10:32-33)

 マタ10:34-39〈平和ではなく剣を〉
 勘違いするな、わたしが来たのは地上に平和をもたらすためではない。否、その逆で剣をもたらすために来たのである。人々を敵対させるために来たのだ。人はその父と、娘は母と、嫁は姑と。人は己が家族の者と敵対する。
 それはこうした所以からである。即ち、「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」(マタ10:37-39)

 マタ10:40-11:1〈受け入れる人の報い〉
 わたしはこれからあなた方を各地へ遣わすが、あなた方を受け入れる人はわたしをも受け入れ、わたしを地上へ遣わした方を受け入れることになる。同様に、預言者を預言者として、義人を義人として受け入れる人は然るべき祝福を受ける。
 「はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に水の一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」(マタ10:42)
 イエスがこれらのことを伝えると、12人の弟子は各地は赴くため散会し、イエス自身もそこを去ってあちこちの町で伝道し、宣べ教えた。

 ようやく機会が来たのでここでいうておく。熱心党についてだ。かつてわたくしは〈新約聖書・前夜〉にてファリサイ派とサドカイ派について書いた。その際触れるつもりで省いた項に、この熱心党がある。
 12人の弟子の1人、(ペトロではない)シモンが属する熱心党は、ローマ帝国によるユダヤ支配へ激しく抵抗した民族主義的党派である。ファリサイ派などと異なって、こちらは政治的理念民族的理念に基づいて結成された集団であるのが特徴か。
 ユダヤがローマ帝国の属州になったのは後6年のこと。それまでここを所領としていたヘロデ大王の息子アルケラオは度重なる失政ゆえにその任を解かれ、代わってシリア総督代理としてユダヤ総督が置かれた。同時にユダヤはサマリア・イドマヤの2州を併合して、ユダヤ属州となったのだった。熱心党の活動はこの出来事が端緒となって始まる。
 このユダヤ属州ついでにいうと、引用もしたマタ10:23にある「人の子」は後70年、ローマ帝国支配への抵抗から勃発した第一次ユダヤ戦争にてローマ軍を率いた、エルサレムを陥落させてユダヤ人を完全なる離散民(ディアスポラ)とした将軍ティトゥスを指す、という。
 ──うっかりしていると見過ごす事実であるが、既に聖書の時代は西暦を元号としている。
 マタ10:6「イスラエルの家の失われた羊」とはユダヤ人のこと。神とイスラエルの契約によって、神の救いはまずユダヤ人に対して為される、とされるために、イエスは弟子たちにユダヤ人のところへ行け、というたのである。
 「蛇のように賢く、鳩のように素直に」──組織に属して活動するならば、誰もが肝に刻んでよい言葉と思う。が、これはけっして狡猾であれ、というているのではない。思慮深くあれ、というているのだ。<表向きは風にそよぐ葦のようにしなやかであれ。そうして内に於いては、周囲を注意深く、じっくりと観察して慎重かつ真実なる行動を取れ。鋼の如き君であれ>というているのだ。……これは生き抜くための法則、その根幹となるものではあるまいか。

 本日の旧約聖書はマタ10:35-36とミカ7:6。
 「わたしは敵対させるために来たからである。/人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。/こうして、自分の家族の者が敵となる。」(マタ10:35-36)
 これの典拠は、──
 「息子は父を侮り/娘は母に、嫁はしゅうとめに立ち向かう。/人の敵はその家の者だ。」(ミカ7:6)



 別名義で行っていた椎名へきるCDレヴュー・ブログの内容を、そろそろ本ブログへ統合しようと思うの。SMEからランティスへ移籍してからはアルバム1枚しか取り挙げていないため、それ以後のアルバムとシングルについては改めて聴き直し、筆を執らねばなるまいが、まあそれに関しては特に問題はない。
 むしろ悩ましいのは、このレヴューが当初は400字詰め原稿用紙1枚に収まるように腐心していた点である。つまり、本ブログへ移植させた場合、極めて物足りぬ分量となってしまうのだ。かというて、約20年前から書いてきたそれらへ、今更かさ増しの作業を行う気はなく、また短さをカヴァーする目的も兼ねてジャケット写真の取りこみを行うつもりもない。要するに若干の手直しをする以外は発表当時のままとしたいのだ。
 さて、いったいどうしたものか。そも統合か現状維持かさえ判断しかねている。悶々としてしまうけれど、おそらく近日中に自分でも納得のゆく答えが出せるだろう。◆

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