第1886日目 〈「マルコによる福音書」前夜〉 [マルコによる福音書]

 とにもかくにも「マルコによる福音書」を読み通したあとで思うのは、本福音書がと手も読みやすい、ということでした。既に「マタイによる福音書」を約1ヶ月掛けて読了している経験からかもしれません。が、それ以上に「マルコによる福音書」という書物の性格がそう思わせているのかも。
 かつて「マタイ伝」前夜や共観福音書の稿で触れましたけれど、「マルコによる福音書」は4つの福音書のうち、いちばん最初に成立したものと考えられています。「マタイ」、「ルカ」両福音書の抜粋ではなく、基。読みやすさとわかりやすさについては「マルコによる福音書」に軍配が上がる、というてよいでしょう。これから初めて福音書を読もう、とする方はこの「マルコによる福音書」、別称「マルコ伝」から始めるとよいのではないかな、と思います。ただ事前に承知しておくべきは、開巻早々から登場するイエスは既に成長しており、われらの知る生誕物語はどこにも記載されていない点でありましょうか。
 ついでに申しあげれば、「マルコ伝」第1章にて「マタイ伝」の前半1/3が消化されている。これを歓迎するか、呆然とするか、素っ気ないと感じるか。読者次第でありましょう。
 冗談はさておき、ウィリアム・バークレーが本福音書を指して、「『イエスの生涯』の原型を確立した」(『バークレーの新約聖書案内』P30 高野進・訳 ヨルダン社 1985.4)というのは、こうした内容の簡潔さ、構成のシンプルさに起因するのかもしれません。また、それは裏を返せば「マルコによる福音書」が最も早い段階で成立した福音書であることの、証しの一つといえるのでありましょう。
 では、本福音書は、いつ、どこで、誰によって書かれたのか。
 著者については旧来よりマルコなる人物とされてきたが、ではマルコとは誰か。これは12使徒の1人でそのリーダー的存在、初代ローマ教皇とされる聖ペトロ即ちシモンの弟子で助手、通訳であったヨハネ・マルコ(使12:12,13:5他)であります。かれがペトロからイエスのことを聞き、それを書き記したのが事実なら、著者はイエスの弟子団トップの人物を取材源としたことになります。
 が、その一方で過去数世紀の間に巻き起こって今日はそちらの方が信憑性が高い、とされるのが、「使徒言行録」に載るエルサレム出身のヨハネ・マルコによってではなく、かれとは無関係の人物の手によって「マルコによる福音書」が書かれた、という説であります。それもパレスティナ、就中ガリラヤ地方の地理に幾つもの不正確な点があるため、実際の著者はこの地域にあまり縁のない、しかしローマ帝国領内のキリスト者であろう、という。ただそのキリスト者がパレスティナの外に住むユダヤ人であるのか、それとも外国人であるかは未詳。アラム語やラテン語を本文に紛れこませ、異邦人のためにユダヤ人の慣習を説明している、というだけでは、著者をの出自は明らかにできないのであります。
 が、そうはいわれてもわたくしは、本福音書の著者がペトロの弟子マルコとする旧来の説に首肯したいのです。マルコの従兄弟に敬虔で熱心なキリスト者バルナバがいた(使4:36−37)。ユダヤ人で出自はレビ族、キプロス島出身。バルナバはサウロことペテロの伝道旅行に同行し、ローマ帝国領内で福音を説いたが、或るときに或る出来事が原因して袂を分かち、連れ1人を伴いキプロスへ向かいます。その原因となり、バルナバがキプロス伝道へ伴ったのがマルコでありました。パウロとバルナバの不和は、マルコのキプロス伝道同伴の是非に結論の一致を見なかったせいだが、これについては「使徒言行録」の当該章にて改めて触れましょう(使15:37−40)。
 マルコはペトロ・シモン、バルナバ、パウロという3人の篤信家の謦咳に接して、自分の信仰と思想を深めてゆく。折節──殊ペトロからイエスについて語り聞くこともあったでありましょう。また、「イエスの言行録」とでも称すべき、やがて福音書執筆の資料になる記録、断簡の類も、マルコの目に触れ、手の届く範囲にあっただろう。そのようにして蓄積された情報が、なにかの拍子にまとまりを持ち始め、1つのストーリー・ラインを作り、一巻の執筆へまで発展してゆくのは自然と思います。これについては2世紀初頭、小アジアはヒエラポリスの司教パピアスが著書『主の言葉の解釈』に書き、3−4世紀のギリシア教父エウセビオスが自著『教会史』へ引いた断片でも確かめられます。
 或いはマルコを直接の著者とせずとも、かれの思想を受け継いだグループがマルコがペトロから聞いたイエスの言行や生涯をまとめ、今日われらが読むような「マルコによる福音書」として完成させた、という可能性も否定はできないでしょう。この完成経緯はわが国の『古事記』、中国の『論語』、ドイツの『ニーベルンゲンの歌』、イギリスの『ベーオウルフ』、ギリシアとローマ、ゲルマン、スカンジナヴィアエジプトやシュメール他世界各地の神話の生成過程と酷似します。聖書も然り、福音書も然り、といえるのではありませんか。
 すくなくともわたくしは、本福音書の著者が「マルコによる福音書」、乃至はマルコ派というべき人々の手によって書かれたのだろう、と考える者であります。すくなくとも、「マタイによる福音書」の著者をマタイとするよりは納得のできる証拠が新約聖書その他の文書に見出すことができる、と思うのであります。
 なお、本福音書が成立したのは70年代と考えられている由。マタ24,マコ13,ルカ21にそれぞれ見られる神殿崩壊の予告、終末の徴、大いなる苦難の予告の内容は、66−70年に勃発した第一次ユダヤ戦争を暗喩し、特に70年のエルサレム陥落と第二神殿の破壊、そうしてその後の都の荒廃を嘆いたものであります。既にマタイ伝前夜で触れたように「マタイによる福音書」が80年代の成立であれば、自ずとそれに先行する形で存在した「マルコによる福音書」がエルサレム陥落からあまり時間が経過していない時代、即ち70年代の成立と推察するのでは必然と思われます。
 新共同訳聖書の解説によれば「マルコによる福音書」は、異邦人の改宗者を読者対象にしてイエスの説く福音を伝えた書物である、という。であるならば、わたくしのように改宗する気なんて毛頭ないけれど聖書を読みたいと欲する者が読むに、いちばん相応しい福音書ということもできるのではないでしょうか。読みやすさとわかりやすさ、そうして素朴さに於いて、本福音書は4つのなかでいちばん接しやすく、また最初に読まれて然るべき書物と思うのであります。
 それでは明日から1日1章の原則で「マルコによる福音書」を読んでゆきましょう。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。